緊急連載 大学から震災の灯は消えたか 第1回
事故きっかけに震災語り継ぎ活動見直しへ HANDS理事長の白木利周さん |
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白木さんは震災で、神戸大生だった息子の健介さん(当時=経済・3年)を亡くしている。「遺族にとって大切、神聖な場所で、なんで、どうして」。報告を受けた白木さんの胸中は揺らいだ。 最初はショックを感じただけだったが、時間が経つにつれ、「なんで壊されるの、という思いが強くなった」。 7日に灯りを壊したという男性から電話が入った。震災当時の健介さんと同じ21歳の大学生。9日に大学生本人と直接会って話を聞くと、激震地からは離れていたが神戸市内に住み、市内の大学に通っているという。大学生が正直に申し出たことには安心した白木さんだが、同時に大学生が「希望の灯り」を全く知らなかったことに、再び大きな衝撃を受けた。 その日、大学生とともに「希望の灯り」に隣接する「めい想の空間」を訪れた。震災が原因で亡くなった人たちの名前を記したプレートが壁一面に並べられた半地下の空間。白木さんの息子・健介さんの名前も刻まれている。「ここは僕にとって大事な場所なんです」。白木さんは大学生に健介さんのことを打ち明けた。 それから8日後の17日、新緑に太陽がさんさんと照りつけるなか、「希望の灯り」に新しいガラスがはめ込まれた。そこで読み上げられた大学生の謝罪文には「震災で私と同じ歳の息子さんを亡くされたご遺族とはじめてお会いしました。これまで私が想像していた以上の苦しみを味わっていることを知りました」と書かれている。 大学生から白木さんへの返事。「彼にも伝わったんだと思う」と白木さんは笑顔だった。 「希望の灯り」ができてから3年半。被災地のシンボルとして広く知られていると思っていた白木さんにとって、今回の事故は「スイッチだった」という。地元の人たちにも認知されていなかったことへの反省と見直し。「『希望の灯り』の存在をいかに市民に浸透させていくか」が今後の白木さんたちHANDSの課題だ。 例えば、これまでの希望の灯りには「阪神淡路大震災」の文字が入っていなかった。道路標識や街頭の地図などの見直しを含め、現在は市や県の行政も巻き込んで話し合いを進めている。 「事故は残念だったけど、壊した大学生を責めるのではなく、これを良い出会いにしたい」と白木さん。「子どもが(大学生と)会わしてくれたのかな。もっとPRしてね、と言ってるのかも」。今回の事故から新しい活動の方針を見つけだし、今も「希望の灯り」と震災の記憶を絶やさない道を模索中だ。 ○ ○ |
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