緊急連載 大学から震災の灯は消えたか 第4回

「震災体験の整理ついていない…」
語り継ぎへのジレンマ
 
小中学生が交流を広げるスキーキャンプ(提供=ブレーンヒューマニティー)
 「震災の体験を後に伝えていこうと思っていない」と能島裕介さん(27)はきっぱり言う。
 能島さんは、NPO「ブレーンヒューマニティー」の理事長。小中学生とのキャンプ、不登校の児童の家への家庭教師派遣、高校生との海外ワークキャンプと活動は多岐にわたる。しかし、「活動の原点は震災にあるんです」。静かな口調で語る。

 4年前までは関学学習指導会という団体名で、関学生を中心にした家庭教師の派遣業をしていた。
 能島さん自身は、関学1年のとき神戸市兵庫区の湊川で被災した。周辺の被害は甚大だった。関学の学生も15人が地震の犠牲になった。
 震災の混乱で、大学は休講が続いていた。被災から1か月ほどして、被災した子どもたちに無料で家庭教師ボランティアを派遣することを思いたった。避難所で、受験勉強をしている子供たちに気付いたからだ。

 「子どもたちに多様な選択肢を提供し、生きる力をのばすのが教育なんです」。だから、「震災の体験を通して『何が生まれたのか』ということを、伝えていかなければいけない」、そう思っている。
 単なる震災の思い出を話すのでは意味が無い。なぜなら「またどこかで大きな地震が起こったときに、神戸での体験を生かせないから」。
 では、どんなことを伝えていますか、と聞いたら、「震災で学んだことの整理がまだできていないので…。今の段階ではうまく伝えられていない」という答えが返ってきた。

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 能島さんの後輩にあたる田中章雅さん(関学・院1年)は、主にブレーンヒューマニティーでキャンプの企画をやっている。震災の時、尼崎市から関学中等部に通っていた。2年生のとき。自宅に被害はほとんどなかったが、神戸から通う友人の中には、被災した子もいた。
 昨冬、スキーキャンプに出かけた。スタッフ同士が仲良ければ、自然と子どもたち同士も仲良くなる。「大人が言わなくても、子どもたちは自分で吸収していく」と、そう感じている。だから意識してものごとを伝えようとすることはなく、伝える苦労はないという。
 そんな子どもたちに対して、震災はどのように伝えられるのだろうか。
 「聞かれなければ積極的に話すことはない」と田中さん。少し間をおいて「でも、伝えていく必要はあるんじゃないかな」と付け加えた。
【震災取材班 植中喬光】





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