緊急連載 大学から震災の灯は消えたか 第8回
「生きること」感じた 被災地での取材 UNNの震災報道<上> |
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UNNに加盟している神戸大学ニュースネット委員会の記者・里田明美さん(当時=神戸大・院1年)は、1月17日の朝も、下宿先の神戸市灘区高羽町のアパートで、眠りについていた。そこに突然、下から突き上げるような激しい揺れ。「何が起こったのか分からなかった」という。夜が明けるのを待ち、大学の状況を知るために所属する研究室に向かった。 研究室につくと、パソコンなど、あらゆるものが床に落ちていた。廊下に並んでいた棚もすべて横倒し。研究室の窓から街を見下ろすと、あちらこちらから煙があがっている。 しかし、聞こえてくるはずの消防車のサイレンは、聞こえない。静かだった。静けさに恐怖を感じた。 数日後から、一般の報道関係者に交じって学内の取材活動を始めた。 取材に向かった神戸大の体育館は、避難してきた被災者でいっぱいだった。ダンボールで区切られているだけの体育館に、毛布をまいて雑魚寝する状況。中には、家族を失った人もいた。 「不安や悲しみでいっぱいだったはずの被災者が、こころよく取材に応じてくれた。『食べないか』と言われ、炊き出しの豚汁をごちそうになったこともある。人の温かさを感じた」と当時の取材活動を振り返る。 取材活動を続けていたある日、取材先の教務課から一枚の書類を渡された。その書類を目でおうと、同じ自然科学系のサークルに所属する仲間の名があった。リストは、亡くなった学生の一覧だった。「ショックだった」。 ○ ○
里田記者が震災を取材して強く感じたのは、「生きること」だ。「取材を通し、震災で亡くなった多くの仲間を知り、人生はいつ終わりをむかえてもおかしくないと肌で感じた。だから毎日を大切に生きなければ」という。 1年後の1996年1月17日、里田記者の編集する神戸大の学内紙「神戸大学NEWS NET」は、亡くなった学生、教職員、大学生協スタッフら44人への追悼手記を、震災特集の紙面に掲載した。 「もうええから逃げてくれ」と、迫ってくる火を前に、友人にそう言葉を残して亡くなった人。課題の卒業制作を完成させるために、下宿で徹夜していて友人とともに最期をむかえた人。会計士の資格を取りながら、その仕事に触れることもできず、道なかばで逝った人。 一人ひとりの死を悲しむ家族。「一人ひとりの死があまりに重い」と感じた。 「同じキャンパスで過ごした仲間が、志し半ばで命を落とした。それぞれの人生があり、頑張って生きていたことを記録したかった」と里田記者はいう。追悼手記を作ろうと思いついたのは、自然の流れだった。 現在、里田さんは、地元の広島にある中国新聞生活文化グループで働いている。「震災を報道したという経験によって、人について考えるようになった」という。人について考えること。震災報道で学んだことが、形を変え、今の仕事に結びついている。毎年1月17日になると、里田さんは神戸に戻ってくる。「あの日は神戸にいないと落ちつかないんです」と話す。 ○ ○
空前の大災害の被災地から始まった、学生による情報発信。現在も続いているUNN関西学生報道連盟の震災報道はここから始まった。次回はUNNのその後の活動を振り返る。【震災取材班 福田公則】 この連載へのご意見、ご感想はinfo@unn-news.comまでお願いします。 |
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