緊急連載 大学から震災の灯は消えたか 第12回
語り継がれない社会 広島の折り鶴焼失事件 |
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「許される事件ではない」。学生らとともに像の前に立った関学文学部の田淵結教授はそう思った。 その事件が起こったのは、5日前の8月1日。観光に訪れていた関学4年の男子学生が、「原爆の子の像」に供えられた折り鶴約14万羽に火を付けて捕まった。警察の調べでは、男子学生は就職活動などが上手くいかないことで気が立っていたと話しているという。 年齢では1世代以上離れているいまの学生たち。田淵教授は「(自分たちの考え方では)学生の考えがつかめない」と話す。 一方で、学生の間では折り鶴を折って広島に届けようと呼び掛ける動きも起こった。現在も学生などによって、学外から寄せられた折り鶴の糸通し作業などが続いている。今月28日には約25万羽を届ける予定だ。 ○ ○
人々の思いが込められたモニュメントが壊される――。似たような事件が今年5月にもあった。 阪神淡路大震災の被災地・神戸にある「1・17希望の灯り」破損事件。関わったのはやはり大学生だった。故意ではなく、酒に酔った勢いでの事故だったという。 広島と神戸。2つの地で起こった出来事は、共通するものなのだろうか。 「出来事として近いようで、2つの事件は共通のものではない」。神戸で「希望の灯り」を管理するNPO代表を務める堀内正美さんはそう分析する。 「灯り」の破損は、モニュメントの持つ意味が地域社会に十分に認知されていなかったという、新しい問題を提起した。しかし、広島の折り鶴は、平和への祈りという形で、モニュメントが発信しているメッセージは鮮明だ。 突発的な感情とはいえ、学生があえて火をつけた事実に、「あまりに悲しすぎる」と堀内さん。「人が思いを込めて折った小さな折り鶴。そんな弱いものに対して、(ストレスの)はけ口を求めるような若者がいることが、今の社会の問題を示している」。 また、震災を主要なテーマに、モニュメントについて歴史的・社会文化的意味を探る調査研究を行ってきた神戸大文学部の岩崎信彦教授は、個人レベルを超えた社会全体の段階における問題を指摘する。 「共通の規範や伝統が失われつつある今の世代では、個人の基準で判断することが強いられている。一方で、個人の判断たるや、簡単にできるものではない」と岩崎教授。「親や教師などを含む社会全体が、人が生きる上で大事なことを伝えきれてないのではないか」と話す。 この点では、堀内さんも同じ意見だ。「自分も含め、今の親は、自分の子供時代では得られなかったテレビなどのモノを与えるという方法で、子供に関わってきたと思う。子供たちにとっては、人から生きる知恵を語り継がれるという形でのコミュニケーションが少なくなっている」。今回の2つの事件をつなぐ共通項を見い出すなら、この点だと感じている。 ○ ○
「モニュメントは、一人ひとりが抱えるには重すぎる『死』を、人々がともに慰霊することで、未来に向かっての希望に変えていこうとする存在と言える」と岩崎教授。希望とは、人間らしく助け合いながら生きる市民社会だ。震災などを通して息づいたボランティア活動を、この希望を実現する力として期待している。 広島の事件に戻ると、全国から多数の非難・落胆の声が寄せられる一方で、モニュメントを復活させようと折り鶴を折る動きが連鎖的に広がった。 事件を通して、新しい希望実現のきっかけを作りだせるか。 「若者たちが(鶴を)『たくさん折れた、良かった』で終わらせないで、その後どう考えるのか。そこにすごく興味がある」。 堀内さんはしばらくの間、若者たちの動きを見守る構えだ。【震災取材班 岩崎昂志】 この連載へのご意見、ご感想はinfo@unn-news.comまでお願いします。 |
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