緊急連載 大学から震災の灯は消えたか 第17回
「震災」考えるきっかけを 大学教育での語り継ぎ |
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UNN関西学生報道連盟が実施した震災に関するアンケートの中で「大学の中で「震災」に触れることがある」と答えた学生は、100人中22人にとどまった。日々の大学生活の中で震災を意識することはやはり少なくなっている。そんな中、大学の講義の中で震災を取り上げられる例があるのだろうか。関関同立、神戸大、甲南大、神女院大を取材した。 ○ ○
「この中には被災者の方もいるでしょう。映像を見たくないという人がいたら、教室から出ていってもらってもかまいません」。関大で行われた日本史概説の講義。史料保存の話の中で震災資料がとりあげられた。震災資料のビデオを流す際、講義を担当する佐々木和子講師はこう述べた。映像は震災当時のニュース。上空から燃えさかる街、破壊した阪神高速、アナウンサーの実況などがおさめられていた。 佐々木講師は「震災から8年あまりが経過した今もなお、当時の街の様子を客観的に見れない人がいるから、配慮は当然」と理由を話す。しかし、それでもなお映像を授業に取り入れた理由について「被災者同士で震災を語ることはお互いの背景がわかるので簡単なこと。難しいのは、当時の被災地の状況を目の当たりにしていない人たちに震災をどう伝えるか、ということだ」と。 受講している学生の中には、真剣な姿勢で授業に取り組んでいない者も確かにいた。しかし、震災という、関西圏に住む学生にとって密接な話題である事は確か。そうではなくても、当時、嫌というほど流れたニュース映像を目の前にして、真剣に見入っている様子も見受けられた。滋賀県出身のある学生は、「佐々木講師の『見なくてもいい』という発言が印象的で、今なお深い傷を負っている人がいるのだということを実感した」という。 震災当時、芦屋で被災し、1998年3月頃から史料ボランティアとして史料保存の活動をしている佐々木講師。授業中は自らの体験を語らなかったという。「震災を語るということは私にとっては自分自身を語ること。少人数の学生を集めて行うゼミとは違い、500人もの学生を目の前にして自分を語るということは、自分の話が一方通行になり難しいから」と話す。 しかし、「阪神・淡路大震災を境に、歴史学は現在起こった出来事をいかに未来につなげるかも問われるようになった。将来歴史に携わることが多い学生たちに、歴史に対する時間軸を現在から過去だけではなく、現在から未来へと広げるきっかけにしてほしかった」と続けた。 ○ ○
「娘がこの世にいたことを伝えたい」。 昨年12月9日、震災で39人の学生を亡くした神戸大の教壇で遺族が語りかける授業が行われた。講師は兵庫県内の公立小学校で教頭を務める上野政志さん(55)。上野さんは震災で、当時神戸大発達科学部2年の長女・志乃さんを亡くした。 以前に志乃さんも受講していた、同学部の浅野慎一助教授(46)の社会学講義の中で行われた。浅野助教授が震災後、志乃さんの遺稿となった講義感想文を上野さんに送ったことから交流が始まった。テーマの「家族」に沿って、親よりも先に子どもが先立つ「逆縁」を中心に、志乃さんの生前の思い出や被災状況も交えて「命の大切さ」を伝えようとした。 志乃さんは95年1月16日の夕方、姫新線三日月駅まで両親に送られて神戸の下宿に戻って来た。「『じゃぁ、またね』と言って別れたのが最後でした」(上野政志さんの寄せた追悼手記)。18日早朝には、崩れた下宿跡で志乃さんの遺体が見つかる。考えもしなかった娘の死に、上野さんは目の前が真っ白になる思いがしたという。 「衝撃を受けた、という学生がかなりいた」と浅野助教授。講義後、受講した約300人の学生がさまざまな感想文を書いた。「いつもの授業とは違う反応だった」。 教壇に立った上野さんは、真剣に目を向けてくる学生たちの表情が印象に残っている。感想文のなかには、自身の経験をもとに考えをつづったものも多かった。「自分と結びつけて、私の話を受け入れてくれたんだと思う。話してよかった」。受け止めてくれた学生たちを見て、上野さんはそう感じている。 ○ ○
震災を被災地で体験していない大学生、85%(震災に関するアンケートより)。彼らに震災の体験を直接伝える場は大学にはあるのだろうか。現状はやはり多いとはいえない。 次週からは、大学に入る以前の小中高校の教育の現場を訪ねてみる。 【震災取材班 吉永智哉】
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