緊急連載 大学から震災の灯は消えたか 第18回
「死」から「生」みつめる 被災地超え広がる震災学習 |
||
語り部の長岡照子さん(77)の体験談に、生徒たちは真剣な表情で耳を傾けていた。 記録映画を見たり、遺留品を閲覧したりした。仮設住宅に表札の代用として使われたカマボコの板が配られると、興味深そうに手にとって見つめた。 生徒の北川愛さん(14)は「もし映画に出てきた人と同じように、地震の火災で肉親を亡くしたとしたら、想像できないほど悲しいと思います」と感想を述べた。 引率の教師、唐川純哉さん(42)は「何もないところから、見事に復興した神戸。人間のがんばりを子供たちに伝えたい」という。 広島は、世界で初めて原子爆弾が投下された被爆地。城西中学の生徒たちは小学生のころから原爆資料館に見学に行き、戦争について学ぶ。唐川さんは「神戸は被災地としての思いを語り継いでいる。広島も被爆地としての思いを伝えている。広島と神戸、両者には共通したものがあると思います」と話した。 いま、修学旅行で神戸を訪ねる小中高生が増えている。 昨年4月オープンした「人と未来防災センター」(河田惠昭センター長)。01年度は兵庫県外から小中高校生約7万人が同センターを訪れ、今年度は前年の倍のペースだ。 ○ ○
神戸から遠く離れた神奈川県で、神戸の体験を学んでいる生徒達がいる。 「先生、この本読んでみませんか」。神奈川県小田原市の県立西湘高校の職員室。ある生徒がそういって、一冊のブックレットを、国語の立花ますみ教諭(39)に手渡した。4年前の冬だ。 本は被災直後の神戸を歩いたルポ。肉親を失った家族や関係者の手記もおさめられている。 気軽に手にとった本に、「ぐっと引きずり込まれた」。立花さんは、さっそく本の一部を現代文の授業のテキストとして使った。 本の中の1人の大学生の手記が、生徒たちの心を打った。 震災直後、駆け付けた友人の下宿先。倒壊したアパートの中から必死に救出しようとしたが、火の手が迫ってくる。 「なんでよりによって一番死なせてはいけない人がこんなところで死ななければならないのか」。あと少しというところで、親友を助けられなかった。 朗読が始まると、教室は静寂に包まれた。男子学生は顔をこわばらせ、女子学生の中にはすすり泣くものもいた。すすり泣く声は、しばらくおさまらなかった。 感想文を書かせたところ、全員が提出したことに、先生は驚いた。ふだんは書くことが苦手な子まで書いていた。 「僕は少し吐き気がしました。気持ち悪いとかそういうのじゃなくて、むせび泣きのような感じでした」。 「今まで私は一人一人の悲しみなどに目を向けず、神戸が復興しただのなんだのと、表の社会面での神戸の損害しか理解していなかったんだと思うと、恥ずかしい気持ちと、後悔の思いが込み上げてきた。今まで、死というものがあまりにも遠かったのかも知れない」。 この本がきっかけになって、西湘高校では、その年、防災取材班を8人の有志で結成。文化祭の発表で、防災マニュアルを見直そうと訴えた。 防災取材班は、年ごとに結成され、今年で4代目。その内容は、毎年ホームページ上で公開している。 ○ ○
一通の分厚い封書が、神戸市役所24階の「KOBE観光ガイドボランティア」のオフィスに届いた。中には、40人の手紙が入っていた。 「ガイドさんが話してくれた地震のこと、忘れません。将来自分に子供ができたら、私も命の大切さを伝えたいです」。 手紙に感想を書いたのは水野希美さん(15)。岐阜県の中学生だ。 観光ボランティアは、現在50人を越える。神戸に訪れる生徒とともに神戸の町を歩き、震災について語ってきた。今までに1062人にのぼるガイドを担当してきた。 その一人、森山芳子さん(68)は、茶髪にピアスといった若者達が、地震の時、赤ん坊やお年寄りのために食料の配給を求めてボランティアとして走りまわっていたことを今でも鮮明に覚えている。 「生徒さんにはその助け合う心を、神戸にきたおみやげに持って帰ってほしい」という。 ○ ○
一瞬にして、6000人以上もの命を奪った震災。被災地神戸の枠を超え全国の子どもがその教訓を受けとめている。子どもたちは震災学習をとおし、人の死、そして悲しみに触れるている。 人の死を真剣に考えるからこそ、今を生きることの大切さを知る。震災学習はそこから、始まるのかもしれない。 【震災取材班 福田公則、上田晴子、小島美紀】
この連載へのご意見、ご感想はinfo@unn-news.comまでお願いします。 |
||
Copyright (C) 1996-2003 University News Network Kansai. All Rights Reserved.
|