緊急連載 大学から震災の灯は消えたか 第23回

教訓、次に生かす
震災語る研究者たち<上>
 
 大阪府高槻市の緑のなかに建つ関大総合情報学部。メディア関係の授業が多いこの学部の授業で、阪神淡路大震災に触れられることがある。
 同学部でマルチメディア教育を教える黒上晴夫教授(44)。授業では、インターネット普及の契機にもなった阪神淡路大震災にも触れている。災害時に、パンクしやすい電話などに代わるタフな情報伝達手段として、ネットの活用方法を考えるのも自身の研究教育の一環だ。
 自身は神戸の生まれ。ただ、震災体験の語り継ぎについては、「当時の気持ちをそのまま伝えていくのは難しい」と考える。「生の体験から来る臨場感は、時間の流れとともに薄れていく」。
 例えば、被災地で震災を体験していない人でも、当時は報道などを通して真剣に震災を受け止めた。しかし、震災を体験していない世代も増えるなかで、被災世代も含めて「臨場感」のような感覚は薄れていく。「イラク戦争なども一緒。同じ時間を共有してる情報は共感できる」。実際に大学での授業を受ける学生を見ていても、感じることだ。

 ならば、震災をどう語り継ぐか。黒上教授は「(震災の)事実を素材に、カリキュラム化するのがいいと思う」と説く。臨場感をそのまま感じることは無理だが、震災被害などの事実を知り、実習や討論などの教育を通して震災を考えることで、体験を日常化する。そのために、メディアが残し続ける記録が利用できるという。

 震災時は香川県にいた黒上教授。被災地の一歩外から震災を見ていたことで、記憶の風化をより一層肌で感じている。薄れていく当時の体験を語り継ぐためには、「次に生かす」ことが必要だ。
 「自分の考えていることで満足いくかどうかは分からない。でも、なにもやらないよりまし」。

○               ○

 「阪神・淡路大震災から学んだ三カ条。
  *地震が来てからでは遅すぎる。
  *安全は自分で掴み取るものだ。
  *生命以上に大切なものはない。」
 神戸大発達科学部で安全教育を研究している南哲(さとし)教授(62)は、青色の名刺の裏にこれらの言葉を刻んでいる。いつも手元にある、自身への警句でもある。
 阪神淡路大震災を体験したのは、大学の附属住吉小・中学校の校長を兼任していた時だった。1月17日は、小学校の始業式。午前5時46分は、宝塚市の自宅で、ベッドに横になりながら朝刊を読んでいた。
 そこに、突然の大きな揺れ。ベッドから放り出された。自宅には大きな被害はなかったものの、地震の影響で2月13日まで小学校は再開されなかった。校舎の損傷が激しかった中学校は使えなくなり、神戸大のキャンパスで学校を再開。生徒・保護者の犠牲者が少なかったことに胸をなでおろしたが、学校の再開や避難者の受け入れなどの対応に追われた。

 
【写真】当時の避難所の様子(写真は当時の神戸大国際文化学部のもの 撮影=UNN関西学生報道連盟)
 校長時代には、震災のほかにも大きな事件を体験した。社会的にも注目された、大教大附属池田小学校の不審者侵入事件。安全教育を教えている以上、常に不測の事態に備える心構えは持っていたとはいえ、驚きを感じずにはいられなかった。
 「万が一なんてことは一生起こらないかもしれない。でも、明日起こるかもしれない」。この思いを強くした。

 震災後の1月30日、住吉中学校で被災後はじめての全校集会を持った時、南教授は生徒たちにひとつの宿題を課していた。生徒たちが震災で体験したことや、学んだことをまとめて校長あてに提出する。この「震災体験レポート」に、生徒たちのさまざまな声が集まった。
 「家からは、神戸の街が一面に見えるが、そこは火の海といった感じで、煙りがすごかった。綺麗な神戸を失ったのが、凄く辛い」
 「あちこちから、『誰か助けてお願い』という悲痛な声が聞こえて来ました。凄く、びっくりして、まさに戦争中の景色に見えました」
 昨日まであった日常を一瞬で奪っていった震災。その悲惨さは、生徒たちの記憶にも色濃く残った。
 しかし、彼らが目を向けたのは、悲惨さばかりではない。
 「本当にたくさんの方々が私たちを助けてくれて、とても心強い。やっぱり人間を救えるのは人間しかいないと思う」
 「避難所にいる人たちが1日でも早く、避難所から出て、自分の家が持てるようになることを願っています。その次に、もう一度、あの神戸「港町神戸」が戻ることを願っています」
 大災害を通して、未来を見ようとする生徒たち。「震災を乗り切った子どもたちには、プラスのことも残るのでは」と南教授。人のやさしさや、再生に向かう強さを語る生徒たちにの姿が印象に残っている。

 もう一つ、南教授が感動したことがある。被災から10か月後、附属住吉小学校で一枚の音楽CDが作られた。
 「組曲『震災を乗り越えて』」。南教授が「レクイエム(鎮魂歌)」と呼ぶこの曲は、当時の小学校4〜6年生が言葉を出し合って歌詞を作った。児童たちが震災から学び取ったことを、歌詞に込めている。
 「心の傷をいやし 元気づけ 勇気づける
  そんな力が 魔法のような力が
  音楽にはある。」(CDより)
 震災で失われ、そして、語り継がれる生命がある。
 「人の生命は、はかなく脆く、だけど、たくましくてね」と南教授。
 大学で行っている講義でも、スライドを見せて震災の出来事と教訓を教えている。スライドの一枚目には「死ぬな ケガすな 病気すな」の文字。名刺の裏にも記した「生命」の大切さ、守り方を伝えるのが、安全教育だと考えている。

○               ○

 阪神・淡路大震災から、もうすぐ9年を迎える。講義の中で、学生同士の会話の中で、大学における震災の面影は薄れつつある。そんななか、震災に関わり続ける研究者がいる。震災そのもののに向き合い続ける人、その教訓に目を向けて今後に生かそうとする人。一人ひとりのスタイルや目的は違うが、「1・17」を原点に、語り継ごうとする気持ちは変わらない。

【震災取材班 岩崎昂志、福田公則】

 この連載へのご意見、ご感想はinfo@unn-news.comまでお願いします。



Copyright (C) 1996-2003 University News Network Kansai. All Rights Reserved.