緊急連載 大学から震災の灯は消えたか 最終回

連載を終えて
「灯り」破損から一年 語り継ぎは今
 
 阪神淡路大震災のモニュメント「希望の灯り」が神戸の大学生に破損されてから、5月3日で一年がたつ。加盟するUNN関西学生報道連盟ではこのできごとをきっかけに、緊急連載「大学から震災の灯(ともしび)は消えたか」を2003年5月から12月まで掲載。さらに2004年1月には緊急特集も組み、震災の語り継ぎを検証してきた。
 震災から9年以上が過ぎた今、その現状と今後への展望はどう捉えられているのか。大学を中心に様々な分野の人々に話を聞き、取材した、4人の学生記者が連載を終えて感じたことを振り返る。
 また、「希望の灯り」を管理するNPO代表理事・白木利周さんにも心境を聞いた。(震災取材班=神戸大ニュースネット・岩崎昂志、関大タイムス・植中喬光、大外大新聞・吉永智哉、神戸大ニュースネット・福田公則、まとめ=神戸大ニュースネット・的場尚歩)【2004年5月2日 UNN】

▼学生記者から
・男子学生の心境聞けず
・薄かった反応
・語り継ぎで大切なこと
・大学生に語り継ぐために

▼HANDS代表理事 白木利周さん
・一方通行ではない「話す場」を

▼編集後記
・語り継ぐ「人」と「場」

◎男子学生の心境聞けず

 連載開始後、希望の灯りを破損させてしまった男子学生にNPOを通してメールを送った。

・自分がその男子学生の立場だったら、と考える。私は返事を書けただろうか。
 私自身も本当に真剣に震災に向き合えているかどうか、自信を持って言い切れない。ただ、例えば私にとっての取材のような、何かに出会う経験は貴重だ。今でなくとも、学生の気持ちを聞くことでいい出会いにできればと思う。(岩崎)

・彼にとってはガラスが直された時点で事件に区切りが付いたのだと思う。それ以上触れられたくないという気持ちだったのではないか。(植中)

・僕ら関西学生報道連盟がどういう団体なのか伝わらなかった、信用されなかったのだと思う。こちら側の立場を誤解なく理解されていれば、返事をもらえたのではなかろうか。(吉永)

・返事が来なかったことは、残念と思わない。深く掘り下げるべきは、なぜ神戸の大学生さえ震災に対し関心がないかだろう。(福田)



◎薄かった反応

 連載で掲載した記事25回分に対するメールなどの反応は、編集部にはほとんど寄せられなかった。震災や希望の灯りに対する関心は高まらなかったのか。取材した記者たちの思いは。

・読者に向けて震災の話題を放り投げることはできたが、巻き込むまでには至らなかったということかもしれない。
 希望的な見方で言えば、連載を見て読者が少しでも自分で考えることができれば成功とも思うが、やはりお互いに意見を交換したかった。(岩崎)

・希望の灯りがあまり知られていないことは、取材を通して感じた。地震のことをよく知っていても灯りのことは詳しく知らない人がいた。世間的に関心が薄かったというのは事実だと思う。
 また25回の連載で、テーマがばらけてしまった気がする。緊急連載では「希望の灯り」に関するところだけやって、他は違う形で検証しても良かったのではないかと思う。(植中)

・読者がもっと反応を示しやすいよう掲示板を設置するなど工夫すべきだったと思う。
 週間アクセスが100件前後だったが、これをどう捉えるか。100「も」、あるいは100「しか」。当連盟のアクセス件数が週間200を超えることをふまえると「も」とも捉えられるが、それでも決して多くはない。
 アクセス数が伸びなかった事実は、人々の震災に対する関心が薄れていることを象徴する。私たちの記事について積極的に考えて「意見」するというアクションを起こすほどには刺激されなかったのだろう。(吉永)

・ホームページだけでなく、連載を紙面でもっと大きく取り上げるべきだったと思う。(福田)



◎語り継ぎで大切なこと

・多くの命が失われた震災という話題は重い。被災者も、そうでない人も、傷口に触れないように遠慮したり、避けがちになっている。語り継ぎにはどちらもが自然に話せる環境が必要だ。
 取材をした人たちは、震災の話題を持ち出すと真剣に考えて答えてくれた。報道を見た時、授業で習った時、震災ゆかりの地を訪れた時。些細な機会に言葉を交わすことが始まりになる。(岩崎)

・大切なのは語り継いでいく側の姿勢。本当に震災のことを伝えていくんだという強い気持ちがないと、永くは続かないと感じた。
 次に、体験を伝える場が必要だということ。ひとりで伝えたいと思っていても、聞いてくれる人がいなければ、どうしようもない。(植中)

・震災の経験に触れる「場」を作ることが大切。普段の生活の中で「自然」と話に触れ、それを頭の片隅に記憶し、そしてまたそれをふとした時に誰かに伝える。その自然な連鎖こそが、「語り継ぎ」。
 実際には自分もそのような「場」をつくれていないが、無理矢理つくるものでもない。しかし、例えば修学旅行など教育の場で震災に関することを「植え付け」られると少なくとも記憶の片隅には残る。被災していない世代へ語り継ぐには、ある程度強制力のある場での、自然な語り継ぎが有効ではないか。(吉永)

・とにかく継続することだと思う。犠牲者ひとりひとりの生きざまを忠実に記録し続けることが大切。(福田)



◎大学生に語り継ぐために

・徐々に震災を直接知らない世代の学生が増えてくる。意識の低下も見られるなか、自然発生的な震災への関心は生まれにくいだろう。教育の重要さは増してくるが、講議だけでなく、外に出て体験する経験が有効だと思う。ボランティアなどは強制するものではないが、大学でも体験的な学習を導入するといいかもしれない。(岩崎)

・大学生だからと言って他の世代と違うことをする必要はない。ただ、地震があったと覚えている一番下の方の年齢になると思うので、その世代が知っていかなければ下の世代に続いていかないとは感じる。(植中)

・最も大切なのは「場」だ。メディアを活用させ、人々の目や耳に訴える「場」を沢山作るしかないと思う。「今」の大学生たちは、被災した記憶を明確に呼び起こせる最後の世代。
 彼らの実体験から来る「記憶」と学習などによる可視的な「記録」をリンクさせ、厚みのある記憶をつくり出せば、語り継ぎに活かせると思う。(吉永)

・大学生が身近に触れることを切り口に、話題を展開すること。(福田)



◎一方通行ではない「話す場」を
 HANDS代表理事・白木利周さん


 NPO「阪神淡路大震災1・17希望の灯り(HANDS)」理事長白木利周さん(61)は、本連載の初回にも登場した。希望の灯りの一番身近にいた人に、破損から一年たった今の気持ちを聞いた。

 ――事件後、灯りを壊した学生の名前を公表すべきだという意見がありました。

 「彼は故意でやったのではなく、酔った勢いでガラスケースの上に乗っただけなのです。自分が壊したものが希望の灯りだということ、そもそも希望の灯りとは何なのかさえ知らなかった。
 でも彼は、謝罪するためにインターネットでHANDSを見つけ出し、市を通して連絡をくれたんです。そこまでしてくれた人を責めるよりむしろ、「希望の灯り」の存在を皆に知ってもらうことが先決だと気付きました。
 それ以降、慰霊碑の位置を示すマップや標識作りに精を出し、とにかく私たちの活動を知ってもらおうと積極的に活動し始めたのです」

 謝罪の電話があったのは5月7日。その2日後、白木さんは実際本人に会った。男子学生に直接話をしたかったし、聞きたかった。

 「弁償の申し出があったんですが断りました。その代わり、周囲の人々に震災や希望の灯りのことを広めて欲しいとお願いしたんです。ちなみに修理費用は6,7万円だったのですが、全て寄付金で賄われました」

 ――連載開始後、HANDSを通じてUNN関西学生報道連盟から男子学生に連絡しましたが返事はありませんでした。

 「二度目の連絡に応えなかったことより、 事故直後、正直に名乗り出てくれたあの学生の勇気だけで私は十分です。返事をしないことにも彼なりの葛藤があったのでしょう。あの事件をきっかけに、彼が震災を知ろうとしてくれたことに意義があるのです」

 ――事件をきっかけに始まったこの連載企画ですが、一般読者、特に学生からの反応がなかったことについてどう思われますか。

 「時代は変わって、今、神戸市内に震災を体験しなかった学生はたくさんいます。いくら文章を読んでも、実体験なしに重みを感じるのはやはり難しいでしょう。彼らの関心をひくためには、一方通行ではなく、お互いが参加して”話し合う場”が必要です。また、モニュメントなどを訪れて視覚的に震災を捉えることもとても大切だと思います」

 ――後世代の若者たちに望むことは?

 「震災を語る人間の話に耳を傾け、遺族を含む被災者たちが震災後に得たもの、思いやり・温かさ・仲間との絆、これから助け合うことの大切さを共に感じながら生きる喜びを再確認して欲しいです。また、ボランティア活動にも参加して自分が誰かの支えになっていると体感し、自信もつけてほしい。建築分野の学生には、耐震性を勉強する際、被災者から生の体験談を聞いてもらいたいですね」

 ――今後、震災を語り継いでいくために必要なのはなんでしょうか。

 「やはり、“場”の提供ですね。話を聞く場、意見を言う場、ボランティアをする場、震災にまつわるものを目にする場…、あらゆる場で、まずはきっかけをつかんでほしいのです。
 そこで何を学ぶかも、自分に何ができるか見極めるのも、全ては本人次第。一つ一つのきっかけから得るものは個人の「気付く度合い」によって違いますが、まずは参加しなければ始まりません。そのような場を設け、その存在を世に知らせていくことが、生かされている私たちの責任です」
(聞き手:的場尚歩)




■編集後記■
語り継ぐ「人」と「場」



 よく晴れた4月末の休日、雑踏につつまれる神戸・三宮のセンター街。繁華街に整然と並べられたタイルの上を、人々が止まることなく流れていく。
 通りのまん中で、友人と待ち合わせをしている若者たちがいた。目印はタバコの吸い殻入れの付いた、金色で少し変わった形のモニュメント。多くの人が気に掛けることなく通り過ぎるこのモニュメントには、阪神淡路大震災を経験した「KOBE」の祈りが刻まれている。
 「明日へ」――。震災からの復興を目指す神戸が発してきた祈りの声だ。危機にさらされた街は、人々の力で徐々に姿を変えてきた。

 9年が経った。
 ストリートを流れる人波、通り過ぎていく景色。何気ない街並みが持つ意味に、誰が気づいているだろうか。あの祈り声さえ、雑踏に埋もれてしまったのだろうか。

 一年前、「希望の灯り」が壊れるという象徴的な出来事をきっかけに、震災の記憶・体験の語り継ぎの現状を探ってきた。不十分な点は多く、記事にできなかった事柄もたくさんある。
 ただ、その中で出会った人々やモノたちは、時に雄弁に、時に静かに震災を語ってくれた。もちろん、皆の思いが同じという訳ではないが、それぞれが震災を記憶し、触れ、考えながら思いを伝えようとしていた。

 時が過ぎ、街並みは変わった。たしかに、日常的に震災を意識することは少なくなったかもしれない。
 しかし、語り継ぐべき「人」は存在している。そして、震災を残す「場」もまた、無くなってはいない。センター街のモニュメントや、大学に建つ慰霊碑、街角の更地でさえも震災を伝えている。
 教育などもひとつの「場」だ。命の大切さや防災意識として、被災地の外への広がりも見せている。

 「人」と「場」。2つが出会った時に、語り継ぎが始まる。
 神戸に残る震災はたしかに見えにくくなっているが、「人」や「場」は無くならない。人と人のつながりと少しの“気づき”さえあれば、語り継ぎは生まれていくはずだ。【震災取材班 岩崎昂志】


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