◎今年は父・和巳さんの思いと共に 競恵美子さん「現吉」へ

 震災から18年目の朝を控えた16日、震災で息子の競基弘さん(当時=自然科学研究科博士前期課程)を亡くした母・恵美子さんが今年も、基弘さんが当時アルバイトをしていた居酒屋「現吉」(神戸市東灘区)を訪れた。「現吉」のテーブルには基弘さんの写真とともに、昨年7月に亡くなった父・和巳さんの写真も並べられ、恵美子さんは基弘さんの当時の学友などと思い出話に華を咲かせた。

 「(和巳さんが)亡くなったことで、例年よりたくさん取材を受けた」。和巳さんの死をきっかけに、改めて2人が生前に話していた思いを多くのメディアに語った恵美子さんは「震災当時のことに加え、神戸大の競基弘賞のことまで報道してもらえた。夫も喜んでいるに違いない」と微笑む。2005年に創設され、人命救助に関する優秀な研究開発に対して贈られている競基弘賞は、夫婦が常々気にかけ、和巳さんの遺言でその香典も寄付されている特別な賞。「私も賞の発展を強く願っている。もしかして、夫の魂がメディアを呼んだのかもしれない」。

 一方で、2、3年前まで考えもしなかった「不安」が恵美子さんの頭によぎる。阪神・淡路大震災もあと数年で20年の節目。「私はその後もまた神戸に来て、慰霊祭のためにあの長い六甲台キャンパスの階段をのぼれるのか」。震災風化の危惧のみならず、自らの体調への心配も増してきたという。

 「だからこそ、若い学生の方に震災のことを知ってほしい」。人の記憶が消えるという「第2の死」を迎えないためにも、基弘さん、そして和巳さんの思いを生きる限り伝えて続けたいと力強く話した。(記者=片山孝章)

【写真】談笑する競恵美子さん(1月16日・居酒屋「現吉」で 撮影=竹内勇人)




◎歌手森祐理さんが初の献歌 六甲台慰霊祭

 17日昼休み、六甲台キャンパスで六甲台慰霊祭が行われた。今年は福音歌手である森祐理さんが式典中に歌を披露した。森さんが神戸大で歌うのは初の試み。阪神・淡路大震災の発生当時に神戸大生だった39人(海洋政策科学部をのぞく)に対して黙とうが捧げられ、献花が行われた。

 今年の慰霊祭では福音歌手の森祐理さんが震災で亡くなった人たちに歌を捧げた。慰霊祭で歌を捧げるということは初めてのこと。森祐理さん自身も弟の森渉さん(当時=法・4年)を震災で亡くしている。祐理さんは渉さんが青春をおう歌した神戸大で歌えるということは大きな恵みだと話した。慰霊祭では阪神・淡路大震災からの復興を願って作られた曲「幸せ運ぶように」と唱歌「故郷」が歌われ、歌を聞いた遺族の中には涙を流す人もいた。

 息子の競基弘さん(当時=自然科学研究科博士前期課程・1年)を震災で亡くした母・恵美子さんは祐理さんの歌を聞いて「弟、渉さんへの思いがいっぱい詰まった森さんの歌声は私にもすごく響きました。天使のような歌声でした」と話した。また、歌い終えた祐理さんは「歌の上手さを追求するプロの歌手としてではなく、遺族の1人として他の遺族の方や亡くなった方との心の合唱をするつもりで歌いました」と話す。

 慰霊祭は阪神・淡路大震災が発生した1月17日付近の日程で毎年行われている。今年も震災の遺族や福田秀樹学長を始めとする大学関係者、学生たちが多数参加した。(記者=田中遼平)

【写真】献歌を捧げる森祐理さん(1月17日・六甲台キャンパスで 撮影=田中郁考)





◎改めて息子と向き合うために 加藤りつこさん

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 加藤りつこさんは昨年から「広島と福島を結ぶ会」の活動の一環として、東日本大震災の被災者との交流会を行っている。

 多忙を極める加藤さんにとって、東遊園地で迎える今年の1月17日、特に黙祷の時間は「息子と向き合い見つめ直す時間」だったと話す。また黙祷の直前には「(18年前の)この時間だったらまだ生きていた。逃げていたらまだ助かることができた」ということに想いを巡らせたという。

 交流会での縁もあり、今年はいわき市から東日本大震災の被災者が訪れた。「前までは他人事だったが、今では気持ちがわかるし、ぜひ来たい」という思いが被災者を動かしたという。 多くの出会いについて、「息子が亡くなったから出会うことができた」と話す加藤さん。3月11日に東北に赴くことはできないが、今後も被災者に寄り添い勇気づけるため、前を向いて活動を続けていく。(記者=香月隆彰)

【写真】黙とう前に空を見上げる加藤さん(1月17日・東遊園地で 撮影=香月隆彰)





◎震災に思いはせ「献杯」 1.17をのんびり過ごす会

 阪神・淡路大震災の発生直後に結成され、以来神戸大周辺のボランティア活動を担い続けている学生震災救援隊(以下、救援隊)。震災前夜の16日夕方から未明にかけ、毎年恒例の「1.17をのんびり過ごす会」を開催した。会場となったサポートステーション灘・つどいの家(神戸市灘区)には、救援隊メンバーやOB、ゆかりの地域住民ら50人以上が集まり、語らい合った。

 「献杯」。代表の和木友絵さん(文・3年)のあいさつにより、「のんびり過ごす会」は始まった。「献杯」とは、震災で亡くなった方々に杯を捧げるという意味だ。会場では救援隊創設時のビデオが流され、OBらは「これ知ってるおばさんやわ」「うちの親父もこうやって助けられたんだよ」と当時を思い出す声があちこちで上がった。

 当時を懐かしみながらも、参加者は18年という月日の長さをひしひしと感じているようだ。毎年この会に参加しているという神戸大OBの碓井和貴さん(44)は、阪神・淡路大震災当時は自宅の下敷きになり、神戸大生に助けられた。「僕らが言う『地震』ってのは、今までは95年の地震だった」と話す。「今では生き埋めになった話をしても、『それってどの地震ですか』と言われる。時間が経ったんだな、と感じる」。

 記憶のない学生も、真剣に震災に向き合おうとしている。代表の和木さんは姫路市出身。阪神・淡路大震災では、はがれた家の壁を直した記憶しかないという。「同じ兵庫県だけれど、テレビの中の出来事だった」。救援隊に入り、被災した人たちとお茶会で直接話し始めると、「今でも残っているもの」という実感が湧いてきた。去年はいろんな人の話を聴いて、「吸収したい」。今年はその人たちのために「何かできないか」。「そういった方々が1.17をどう思っているか真剣に考えたい」と5時46分の黙祷を前に話した。(記者=鈴木太郎)

【写真】鍋を囲んで震災に対する思いを語る参加者たち(1月16日・ サポートステーション灘・つどいの家で 撮影=田中謙太郎)





◎娘は心の中で生き続ける 上野志乃さんの父、 政志さん

 早朝の薄闇の中、上野政志さんは娘の志乃さん (当時=発達・2年)が亡くなった灘区琵琶町の下宿跡で静かに黙とうを捧げた。下宿跡の道路脇で は、上野さんによって設営された、志乃さんと同 じ下宿先で亡くなった方を弔う3つの地蔵が載った台が、ほのかなろうそくの灯りに照らされていた 。

 震災から18年の歳月が経ち、震災の名残は神戸の街並みから徐々に消えつつある。かつて志乃さんの下宿があった場所も、今ではすっかり新築住宅地となってしまった。震災後、上野さんは「娘を忘れない」という思いでほこらを建立。下宿跡が更地になったあとも、震災の惨禍を伝えるものとして残していた。だが、ほこらに代わるものとして2 年前に設置された、志乃さんの名前が彫られた慰霊碑が一昨年の夏に突如消失。景観の変化と共に変わっていく世間の目に冷たさを感じることもあった。「(ほこらや慰霊碑に対して)心ない反応をする人もいる」と上野さんは嘆く。

 ただ一方で、震災を知ろう、伝えようとしている人がいることも確かだ。上野さんの黙とうには 、1月9日に学内で行われた上野さんの講演会に参加した神戸大生の姿も見られた。

 宝塚市出身で1歳の時に震災を経験した菱田鷹杜さん(経済・1年)は、講演会に参加したことがきっかけで、震災の日をここで迎えることを決めた という。「文章や映像では伝わらない、生の声の重さを感じ、つらい気持ちになった」という菱田さん。「災害はいつどこでも起こりうること。阪神淡路大震災で起きたことを活かさないのはもったいない」と語気を強めた。

 「娘がいなくなってから18年が経った今でも、 娘のことを知ってくれている人が少しでもいることはありがたい」と上野さんは微笑む。志乃さんは、上野さんそして志乃さんを知る人の心の中で、いつまでも生き続けている。(記者=松永さとみ)

【写真】3体の地蔵を前に上野さんは静かに祈りを捧げた(1月17日・灘区琵琶町にて 撮影=田中謙太郎)





◎海洋政策科学部慰霊祭 神戸商船大学の犠牲者追悼

 海洋政策科学部キャンパスでは、神戸商船大の犠牲者への追悼式が行われた。学生や教職員ら約40人が、追悼の意を込めて慰霊碑へ向かった。

 午後0時30分、港に停泊していた深江丸の汽笛に合わせ、参列者一同が1分間の黙祷が行われた。その後、参列者の一人一人が慰霊碑に花を供えていった。

 今回の式典に参加した中野晶文さん(海事・3年)は、海洋政策科学部学生自治会の代表。今後は「自分自身が体験したわけではないが、親などから聞いて色々と関心が湧くようになった。これからもこの教訓を生かして、震災に関する情報を伝えていきたい」と語った。(記者=李憲)

【写真】哀悼の意を表す神戸大生(1月17日・海洋政策科学部キャンパスで 撮影=板東未弥)




◎参列した遺族のコメント



・森渉さん(当時=法・4年)の姉、祐理さん
 どれだけ時間がたっても(家族を亡くす)痛みは消えない。時間は過ぎ、人はどんどん先へ先へと行ってしまうが、過去の震災は忘れてはならないのです。いい意味で立ち止まり、振り返りながら、過去に学んでいってほしい。
必ず渉とは天国で再会します。その時に「姉ちゃん、ようやったな」と言われるように私は歌い続けます。弟(渉さん)が青春をおう歌した神戸大で歌えるということに感謝です。

・森渉さん(当時=法・4年)の父、茂隆さん 母、尚江さん
 京都から泊まりがけで来たよ。体調がよくなかったんだけど、この日だからこそ来た。娘の歌は欠かさず聴いている。

・森渉さん(当時=法・4年)の住んでいた下宿の大家、末吉種子さん
(渉さんは)今ごろ生きてたら、読売でいい仕事していたのだろうと想像するだけで涙がとまらない。


・競基弘さん(当時=自然科学研究科博士前期課程・1年)の母、恵美子さん
 来るたびに「また来れるかなあ」ということを考えます。 森さんの歌は、数年前に夫(和巳さん)と名古屋の公演でお聞きしたこともあったが、今日は弟、渉さんへの思いもいっぱい詰まった歌声で私たちにもすごく響きました。天使のような歌声でした。

・加藤貴光さん(当時=法・2年)の母、りつこさん
 以前に広島でのコンサートや今日の東遊園地で、森さんの歌を聞いたことはあった。ただ、大学で聴くのはまた違った。ここ(神戸大)に思い入れがあるから。森さん自身も大学生だった弟さんを亡くされているから、歌声に響きがあった。途中で雪が降ってきたが、あの子(息子)たちの思いがつまっているのかな。

●記憶をつなぐ、風化させないためには  メディアにおもてだってずっと広く伝えていって欲しい。亡くなった人が伝える命の尊さを大事にして欲しい。ニュースネットさんでも伝えていって欲しい。

●伝えたいこと  (生きている人たちは)人とつながっていって生きて欲しい。私は息子を亡くした孤独があったが、温かい人との出会いで人とつながってきた。 今はつながりの薄れか、悲しい事件や自ら命を絶ってしまう人もいる。人はつながっていかなければ。「しあわせ運べるように」の歌のメッセージのように、亡くなった人からの思いを伝えていって欲しい。

・戸梶道夫さん(当時=経営・2年)の父、幸夫さん 母、栄子さん
 慰霊祭には毎年来ている。 18年の年月は早かった。あっという間。 亡くなったときのままの感じ。 まだ地震の心配もある。 慰霊祭がいつまで続くか分からないけど、若い人たちに引き継いでいってもらえたらいい。




・坂本竜一さん(当時=工・3年)の父、秀夫さん
 (生きていたら)もういい年になっているだろう。今日は6時前に墓参りしてから来た。もう18年、あっという間。だんだんピッチが早くなっているように感じる。 そういうところから語り継がれれば。

・今英人さん(当時=自然科学研究科博士前期課程・1年)の父、英男さん
 (森さんの歌を聞いて)森さんのことは知っていたが、弟さんを亡くしていることまでは知らなかった。 森さんが歌っている途中で雪が降ってきて、どこか神がかっているように感じた。

・鈴木伸弘さん(当時=工・3年)の母、綾子さん
 あっという間にこの慰霊祭が訪れたように思える。毎日震災のことから頭が離れたことはないです。

・中村公治さん(当時=経営・3年)の母、房江さん
 他の遺族の方が元気で良かった。森さんの歌は、以前他の方からとてもいいと聞いているので、今日はどんなものなのかと楽しみにしていた。 普段は愛知に住んでいることもあり、誰にも震災の話を出すようなことはない。毎日の生活で話題に上るようなことはないし、他人も「あー、そういや震災だったね」となってしまう。今日だけは当時のことをみんなで思い出せる日です。



・藤原信宏さん(当時=経済・4年)の母、美佐子さん
 三重県津市から今日の11時に、息子の住んでいた下宿にやってきた。 森さんのことを聞いたことはあったが、歌については聞いたことがなかった。毎年ここへきては涙を流すのだが、森さんの歌で一層そうなった。

・藤原信宏さん(当時=経済・4年)の父、宏美さん
 95年の慰霊碑の設置から毎年ここへきています。 息子と最後に話したのは年末年始の頃。当時は会計士の内部研修や卒論などでとても忙しそうにしていたことを覚えている。遺品からはほぼ完成した論文や、会計士の研修マニュアルなどが出てきたので、「寝入りばなをやられたのかなあ」と思っていた。

・加藤貴光さん(当時=法・2年)の友人、山口健一郎さん
 今回で3回目くらいか。加藤さんは国連職員目指していた。本当はもっと生きたかっただろうに。 僕たちは日常生活を送る上で、まさか明日死ぬことになるとは思わない。加藤さんもそのひとりだったのだろう。

・震災の年に生まれた高校生、土肥直貴さん
 小学生の頃から、白木さんにはお世話になっていた。小4の頃から「しあわせ運べるように」のフルート演奏をしてきた。


【写真】参列者ら(1月17日・六甲台キャンパスの慰霊碑前で 撮影=竹内勇人)