あの日から21年 語り継ぐ震災

神戸大で慰霊式

参列者のコメント

2016年1月16日配信 記者=池之上春花・坂本知奈美・鈴木太郎・瀧本善斗・竹内勇人・竹内涼・田中謙太郎

◇故・櫻井英二さん=当時(法・4年)=

【姉・都築和子さん】

 ここ何年かは両親が来れないので、自分だけ神戸大まで来ている。20年目は世間的にも区切りだったので、メディアや周囲の人もよく震災のことを取り上げていたが、今年はあまり関心が持たれていないと思う。私自身も、あまり震災の話をしない。

 2人の娘が弟が亡くなった年齢を追い越したことで、月日が流れたのを感じるが、自分の気持ちは未だに整理できない。事件や事故に巻き込まれて亡くなる人、自らの手で命を絶つ人が後を絶たないが、そういうニュースを見るたび心が苦しくなる。残された身内の悲しさは痛いほどよく分かる。どんな人も、産んでもらった命を粗末に扱わず、大切にしながら生きてほしい。

◇故・橋本健吾さん=当時(医・1年)=

【母・智子さん、妹・裕子さん】

 六甲台キャンパスのこの場所に来たのは、慰霊碑の除幕式の時以来2回目。21年目の今でも、1995年当時から時が経ったような気にならない。

◇故・森渉さん=当時(法・4年)=

【母・尚江さん】

 昨年は行けなかったが、今年は当時の下宿先の大家さんと一緒に来た。高齢化のため、回を重ねるたびに参列する遺族は減っていくのは仕方ないが、大学関係者をはじめ、毎年多くの方々が献花してくださるのは本当にありがたい。昨年の1月3日には、神戸大時代の友人ら100人近くが息子のために集まってくれて、そちらも本当にありがたかった。

 この時期、六甲台の時計台を見るたびに「ここで息子が学んでいたんだなあ」と思い出す。五百旗頭真先生(名誉教授)に憧れて神戸大に入学し、ゼミでは先生にとても可愛がってもらったと聞いた。震災の前日までは実家にいたが、卒論のために17日に東灘区の下宿へと戻ってしまった。これも運命だが、やはり今でも息子の命は惜しい。震災から21年が経ったが、自分の中では今でも1.17を迎える気持ちは変わらない。

【当時住んでいた下宿の大家・末吉種子さん】

 毎年大学の献花式に来ている。21年間はあっという間だった。90歳になってしまい、いつまで参加できるか分からないが、来られる限りは来たい。

【末吉種子さんの娘・高瀬浩子さん】

 大学の献花式は5、6回目。渉さんのつないでくれたご縁で、今でも母と尚江さんとここにいる。今年もこうやってここに来れたことをうれしく思う。

◇故・竸基弘さん=当時(自然科学研究科・博士前期課程)=

【母・恵美子さん】

 神戸大は息子が実りある青春を過ごし、命を失った特別な場所。やはり毎年震災のあった日はここで迎えたい。今日は息子もここにいるような気がする。

 震災後、息子の生前の話をいろんな人から教えてもらって支えられた。あの子の人生の分までちゃんと生きていかなければと思う。

◇その他の参列者

【3年の男子学生】

 他県出身で知り合いに被災した人もおらず馴染みは少ないが、いい催しだと思う。これからも続けてほしい。

【職員】

 大阪は被害が少なく、別世界。ことしでもう21年だが(記憶を)継承していかないと。今度起こるのはもっとひどいかもしれない。予測できないけど準備をするべき。神戸大はリスクが高い。

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