「被災者じゃない」
若菜健太さん(神戸大・3年)
神戸大3年の若菜健太さんは中学1年生の時、神戸市西区で被災し、震度6の揺れを体験した。しかし、被害は自宅が一部損壊した程度で、「学校が休校になってちょっと得したな、なんて思ってた」と緊張感は薄かった。
しかし、「今になって、(当時)もっとできることを探しておけば良かった」と若菜さん。そう思うようになったのは、震災について「ニュースで伝えられる以上の恐さを知った」高校時代から。地元神戸の高校時代、周りには震災で知り合いを亡くした同級生もいた。友人というリアルな存在が示す震災のツメ跡と、「自分は被災者じゃないという意識」を思い知らされたという。
ただ、震災から8年が経った町並みに、「復興はもう終わったんじゃないか」と思うのも事実。記憶の風化を危ぶむ風潮には、「何でもかんでも残すのは違うのでは」と若菜さん。「何を忘れちゃいけないのか、もう一度震災を問い直さないと」と、自問を始めた。
「被災の実感持てず」
佐川育恵さん(関学・2年)
「今でも軽く揺れるときとかはびくっとする」と話すのは関学2年の佐川育恵さん。さいわい自宅には被害がなかったが、知り合いを支援するために三宮を訪れた際、その惨状にショックを受けたという。
中学、高校と震災が話題にのぼった時は自然と話の輪に加わったが、自分から切り出すことはなかった。「話をするのが嫌なわけではなかったが、(被災したという)実感がなかった」。佐川さんにとって、震災は新聞やテレビで知ったものというイメージがある。自分自身が体験してないから、「大きな被害者の気持ちはわからないと思う」と佐川さん。「自分の思いや体験を語るなら彼らの方が重みがある。(実際の体験談の方が)人にはやっぱり響くから」。
しかし、震災の風化については、「みんなが忘れていくのは寂しいけど、忘れることで安心できる人もいる」と話す佐川さん。「表向きは風化もある意味いいのでは」とも考える。「過去よりも今どうするか」。これからの災害に対応できるよう、自宅にも非常食を置くなど、防災を実践するようになった。
「忘れ得ぬ記憶、鮮明に」
濱崎仁詩さん(神戸大・1年)
神戸市垂水区で被災したという濱崎仁詩さん(神戸大・1年)は「当時は自分が祭りのだんじりで揺られる夢を見て、一日中布団から出られなかったこともある」と振り返る。
周囲に被害は少なく、やはり「自分は体験者」という意識をもつが、「(地震の)記憶は鮮明に残っていて忘れない」と濱崎さん。「ただ、思い出す機会は少なくなっている。これが風化なんだろう」と感じている。
「震災でもらったもの」
藤井佑子さん(関学・2年)
「震災でもらったものもある。忘れてしまったら意味がないと思う。純粋に」と語るのは関学2年の藤井佑子さん。被災時、自宅や知り合いに直接の被害はなかったが、起こった出来事にただ驚いていただけで、ボランティアが運んでくる物資に助けられるばかりだった。
「自分一人じゃ何も出来ない」と痛感しただけに、「被災者たちがどれだけ大変だったかは分かる」と藤井さん。震災体験者として「自分の思いよりも、被災中の事実を伝えていきたい。そこから何か考えてもらえれば」と、伝えることの意義を話す。
「体験者として伝えること」
桐野泰一さん(関学・4年)
宝塚市在住の桐野泰一さん(関学・4年)は、「モノ関係は話せたけど、ヒト関係は話せなかった」と言う。自宅や家具などの具体的なモノの被害について周囲と話すことはあったが、地震で身内を亡くした友人たちには、自分からは敢えて震災の話を控えてきた。
震災後、「昔は夜になると泣き出すこともあった」という桐野さんでも、「自分は被災者ではない」と感じている。「引け目とかじゃないけど、重い体験をした人の話にリアリティを感じられない」と桐野さん。ただ、被災者ではなくとも周囲に伝えることはあると考える。「マイナスのことではなくて、当時だからこそ感じられた、人の温かさとかを話していければ」。震災体験者として、被災者とは違う形の答えを模索している。