「大学に入ったら、子どもを支援する活動をしようと思っていた」。震災で親を亡くした子どもたちのための家「レインボーハウス」で震災遺児たちと交流している鹿田光子さん(立命・3年)はそう話す。月に1度集会を開いての交流や、年越しカウントダウン、P−walkなどレインボーハウスを拠点として様々な活動を行っている。
1人でトイレに行けない子、夜電気をつけていなければ眠れない子、ずっと手を握っていてほしがる子…。鹿田さんはレインボーハウスで様々な震災遺児に出会い、その心の傷を知った。ボランティアの活動を始めたのは震災から4年後のこと。「今でも(活動を始めるまで)無関心でいたことが申し訳ないような気持ちがある」ほど、子どもたちの目に見えない心の傷は深かった。 鹿田さん自身は震災遺児ではないが、小6の時に父親を亡くしている。自分の置かれた境遇を理解してくれる人がいなかった中学生時代。「なんで自分だけ」というコンプレックスがコミュニケーションの妨げになり「悩んだときもあった」。高校生の時からあしなが育英会に参加、「他人の死別体験を聞いて、父親の死を次第に受け入れられるようになった」という。「体験を分かってくれようとする人や親身になってくれる人に感動」し、人に対してどこかあきらめていたものが復活した。それが大学で活動したいという意欲のきっかけにもなった。今年4月からは約40人の学生とともにレインボーハウスの学生寮に住み、多くの遺児たちとより多くの時間を共有している。人のあたたかさに触れ、「どんな体験も感情も、分かち合える場は必要」であることを、身を持って知っているのだ。 震災から8年。街の復興とともに震災の記憶は色褪せていく。それとともに、心の傷を表には出さなくなっている子どもたち。それを見て「(震災を)忘れたと言われるのはくやしい」。子どもたちの心の傷はなくなったわけではない。癒されているのか、忘れてきたのか。端から見ただけでは分からない。「どんな事であっても分かち合える存在でありたい」。そんな姿勢で、鹿田さんはこれからも子どもたちを見つめ続けていく。 |