工藤 純さん
昭和46年7月27日生まれ
当時:神戸大大学院法学研究科博士前期課程公法専攻・犬童ゼミ
吹奏楽部
被災地:神戸市東灘区田中町4−4−22
出身高校:愛媛県立三島高等学校
執筆:工藤延子さん(母)
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「ごめんなさい」 としか言えない
「いつも見ているから知ってるよ」とあなたは言うかもしれませんが、あの日から千七百八十二日目の十二月四日、お母さんは神大ブラスの定演を聴くために神戸に行って来ました。あの日から二十七回目の神戸でした。
あなたの名前のある二つの慰霊碑を訪ねました。
大学の慰霊碑は静けさに包まれ、院生討論室では中国と台湾からの留学生の方たちが、熱心にあなたのことを話して下さいました。
中之町公園の慰霊碑はこれまでとかわらずそこにありましたが、いつか「お花でもお線香でも遠慮なくお供え下さい。私たちがお世話をしますから」と言って下さった方のいらした仮設住宅はすでになく、北側には見上げるほどの高層マンションが完成し、土曜日の午後の公園はたくさんの子供たちの喚声に包まれていました。
神戸文化ホールへの車窓に震災の後遺症を見出すことはできず、神戸はまたいちだんとおしゃれな街になったように見えました。けれども、目に見えない何か大切なものが、あの日までとは違ってしまっているのですよね。それが何なのか、あなたは気づいているのでしょうか。失われたあなたたちの命そのもの、私たちが流したたくさんの涙、それらが活かさる日は来るのでしょうか。あなたに教えて欲しいことばかりです。このまま、ただ慰霊碑に名前が残ることだけになることを恐れています。
私に何が出来るのか問い続けた日々でしたが、何も出来ないまま、一月十七日から始まる新しい年が訪れようとしています。 「ごめんなさい」としか言えないお母さんをどうぞ許して下さい。
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