西本恭子さん
昭和50年11月11日
当時:川崎医療福祉大・医療福祉学科1年
バスケットボール部
被災地:神戸市灘区中郷町3-1-18
出身高校:山口県立熊毛南高校
談話:祥枝さん(母)

 

前の晩「早く帰りなさい」


 連休で、神戸に遊びに行ってたところで亡くなりました。叔母のところだったんですけどね、「早く帰りなさいよ」って、前の晩も言ってたんです。帰る切符も買ってね。・・・わざわざ亡くなりに行ったみたいですよね。全壊で、もうだめでした。  十九歳になったばかりで、一人暮らしを始めて間もない頃でした。おじいちゃん、おばあちゃんが家にいるので、医療関係に進みたいということみたいでしたよ。  十七日は朝十時半頃、向こうの主人から電話があって。圧死で亡くなったと言うことだったんですけど。それからどうやって神戸まで行こうか家で悩んでね。結局車で、娘のいる六甲病院まで行きました。二十三時間かかりましたよ。着いたのは翌日の昼でした。それから娘を連れて帰りました。
 いつの間にか五年なんですよね。でも、毎日忘れられないし、頭から離れないんです。いろいろ細々と家であったことを話しかけたり、思い出したり・・・あきらめないと仕方のないことだとは思うんですけどねえ。
 同級生も気にしてくれて、誕生日にはみんな来てくれてたんです。以前はよく、入れ替わり立ち代わり来てくれてたんですけど、卒業してからはガラガラですねえ。みんな就職してバラバラですし。でも、連絡は今でもくれて、励みになってます。「同級生だからイヤだ」ということは全然ないです。娘と仲よくしてくれた同級生だけど、今では両親の方が仲よくさせてもらって・・・嬉しいし、力強いですねえ。自分たちだけでは落ち込むだけなんだけど、みんなのおかげで毎日過ごすことができているんでしょうね。この気持ちが、娘に対する何よりの供養だと思ってます。


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