瀬野 保さん
昭和50年3月10日生まれ
当時:甲南大・理学部物理学科2年
バレーボール部
被災地:神戸市東灘区魚崎北町2ー1ー21
出身高校:高松市立高松第一高等学校
上写真:右端
執筆:節子さん(母)
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いつか ゆっくりお話ししましょう
成人式に出席後、試験だからと十六日夜、下宿へ帰った保。「明朝八時に起こして」と電話があったのが最後のことばになってしまいました。
連絡が取れず、心配で私たちが下宿先にたどり着いたのは十八日夜でした。倒壊した建物に呼びかけても返答はなく朝になるのを待つだけでした。十九日、明るくなるのを待ちかねて、がれきの撤去。二人での手作業でどれほども進まぬ中、お友達や夫の仕事仲間との応援をえて夕方、やっと変わりはてた保と対面することができました。
梁の下敷になって重かったでしょう。痛かったでしょう。三日間もひとりで寂しかったでしょう。ゴメンネ。
あの時のことはいつ迄たっても辛くて辛くて。
学連のお手伝いで毎日忙しくしていたけれど、バレーボールを通じて、充実した大学生活を送っていたのでしょうね。
保、今でも忙しくしていますか?
ワールドカップバレー開催中ですね。
きっと会場で、データ作り等の裏方の仕事に精を出しているのでしょうね。
十九歳で保の時間は止まってしまったけれど、お母さんは勝手に想像しています。いつかゆっくりと膝を交えてお話しましょうね。
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