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■■編集後記■■

 一九九五年一月十七日、私は岐阜県の中学二年生でした。

 「普投より多少大きな地震」という程度の揺れを感じただけで、阪神大震災は当時の私にとって、テレビや新聞での出来事に過ぎませんでした。私は九九年に神戸大に入学しました。大学一年の夏に帰省した際、地元の友人に聞かれました。「神戸って、もう復興しているの?」私はその質問にうまく答えることができませんでした。
 答えられるほど阪禅大震災について考えたことがなかったからです。普段の大学生活では、震災に触れる機会はほとんどありませんでした。

 そんな私が稗戸大学ニュースネット委員会一関西学生報道連盟に入部し、震災報道に関わることになりました。活動を通じて、阪神大震災のことを少しずつ知るようになりました。
 大学が避難所となっていたこと。神戸大の学生・教職員の方四十四人がお亡くなりになったこと。六甲台の学舎の前には慰霊碑があるということ。ご遺族や被災者の方の傷みは、まだ深く残っていること…。

 昨年の一月十七日のことです。キャンパス内を足早に歩く私に、友人がどこへ行くのか尋ねてきました。慰霊碑の所だ、と言うと「それはどこにあるのか」と聞かれました。

 慰霊碑があることを知らない学生もいる。この時から、今現在大学に在学している学生が阪神大震災についてどのように思っているのか、疑問に思い始めました。私自身がそうであったように、学生のほとんどは無関心なのだろうか。それとも、そうではないのか。
 こうした疑問から、阪神大震災に対する学生の意識、その現状を知りたいと思い、今回の震災特集を企画しました。関西学生報道連盟では三年前にも同じようなアンケート調査を行っており、その結果と今回の結果を比較してみました。

 震災当時に在学していた学生のほとんどはすでに卒業しています。当時は関西以外の土地に住んでいて、震災を間接的にしか経験していない学生が多くいます。
 アンケートの自由記述欄には「他人事としか思えない」、「実感が沸かない」という意見もありました。その一方で「震災を風化させてはいけない」、「このような活動を通して被災者の心を伝えてほしい」という記述もありました。

 時が経つにつれて忘れていくのは、どうしようもないことかもしれません。しかし「風化させてはいけない」という被災者の方の声がある限り、「完全に」忘れてしまってはいけないと思います。まずは「知る」こと。現状を知り、意識すること。今回の震災特集がそのきっかけとなれば、良いと思います。

 最後になりましたが、阪神・淡路大震災で亡くなった六千四百三十二人の方のご冥福をお祈りします。

2001年1月17日

関西学生報道連盟震災取材班デスク
神戸大学ニュースネット委員会 編集長
大串真紀