「阪神大震災について後輩に伝えたいことはありますか?」という質問に、震災を体験した四年生の半数は「ある」と答えたのに対し、一〜三年生で「ある」と答えたのは四人に一人しかいなかった。大学生として震災を体験した四年生と、そうでない一〜三年生の間に、震災を語り継ぐ医師があるかどうかの意識に大きなギャップがあることがわかった。
『神戸大学ニュースネット』と『関学新月トリビューン』『神戸女学院大K.C.Press』の三大学の新聞が共同で、三大学の約三百五十人に、震災に関する意識調査を行った。神戸大、関学、神女院大の三大学の、一〜三年生ニ百十人と、四年生百四十二人の合計三百五十二人に、1997年12月下旬に聞き取り調査した。
(「四年生」のなかには、一部院生も入る。重複回答者もいるため、合計が100%を超える項目がある。)
Q1.震災についてあなたの後輩に伝えたいことはありますか? |
大学生として震災を体験した四年生で「ある」と答えたのは五一%、「ない」は四六%だった。これに対して、一〜三年生で「ある」と答えたのは二四%、「ない」は七六%だった。震災を体験した四年生でも、伝えたいことが「ある」人と、「ない」人との数に差がないこともわかった。被災体験に温度差があるのではないか。
一〜三年生の中でも被災地の高校生だった学年を見てみると、「ある」と答えたのは五三%、「ない」は四七%。と、震災体験世代の四年生とほぼ同じ数字が出た。四年生が卒業すると、学内には大学生として震災体験をした学年がいなくなるだけに、今後、震災体験を風化させないためのカギは、被災地出身の後輩達が、被災地外の出身学生にいかに震災体験を伝えていくかに託されることになる。
●1、2、3年生(当時高校生) | |
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被災地在住 | はい | 53% |
| いいえ | 47% |
その他の地域在住 | はい | 10% |
| いいえ | 91% |
合 計 | はい | 24% |
| いいえ | 76% |
|
●4年生以上(当時大学生)
|
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| はい | 51% |
| いいえ | 46% |
|
●全学年合計
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| はい | 36% |
| いいえ | 65% |
震災を体験した四年生で82%、一〜三年生は56%が「はい」と答えている。一〜三年生でも被災地の高校生だった学生は四年生より高い86%が「はい」と答えている。被災地であの激震を感じたり、水汲みを体験したりした人は、忘れられない体験となっている。
●1、2、3年生(当時高校生) | |
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被災地在住 | はい | 86% |
| いいえ | 14% |
その他の地域在住 | はい | 40% |
| いいえ | 61% |
合 計 | はい | 56% |
| いいえ | 45% |
|
●4年生以上(当時大学生)
|
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| はい | 82% |
| いいえ | 22% |
|
●全学年合計
|
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| はい | 66% |
| いいえ | 36% |
震災を体験した四回生でも55%しか「はい」と答えていない。一〜三年生でも被災地の学生は、四年生とほぼ同じ51%が「はい」と答えている。同じ被災地に住んでいても、調査研究に携わったり、ボランティアに関わったりして、積極的に震災に関わった人と、そうでない人の差が出ていると思われる。
●1、2、3年生(当時高校生) | |
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被災地在住 | はい | 51% |
| いいえ | 28% |
その他の地域在住 | はい | 31% |
| いいえ | 76% |
合 計 | はい | 38% |
| いいえ | 60% |
|
●4年生以上(当時大学生)
|
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| はい | 55% |
| いいえ | 46% |
|
●全学年合計
|
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| はい | 45% |
| いいえ | 54% |
震災を体験した四年生、一〜三年生の被災地の高校生だった学生は、いずれも六人に一人は「ボランティアに携わった」と答えている。一方で、震災を体験した四年生のうちでも、「試験がなくなったので遊んだ」が6%、「実家に帰った」が36%おり、震災後の行動に差があったことがわかる。
●1、2、3年生(当時高校生) | |
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被災地在住 | 報道から目が離せない | 61% |
| 知人の安否確認 | 46% |
| 実家に帰る | 1 |
| 被災地に向かう | 6% |
| 救援活動をする | 10% |
| ボランティアをする | 17% |
| 試験がなくなり遊ぶ | 4% |
その他の地域在住 | 報道から目が離せない | 41% |
| 知人の安否確認 | 22% |
| 実家に帰る | − |
| 被災地に向かう | 1% |
| 救援活動をする | 1% |
| ボランティアをする | 3% |
| 試験がなくなり遊ぶ | 1% |
合 計 | 報道から目が離せない | 48% |
| 知人の安否確認 | 30% |
| 実家に帰る | 1% |
| 被災地に向かう | 2% |
| 救援活動をする | 4% |
| ボランティアをする | 8% |
| 試験がなくなり遊ぶ | 2% |
|
●4年生以上(当時大学生)
|
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| 報道から目が離せない | 61% |
| 知人の安否確認 | 57% |
| 実家に帰る | 36% |
| 被災地に向かう | 11% |
| 救援活動をする | 5% |
| ボランティアをする | 16% |
| 試験がなくなり遊ぶ | 6% |
|
●全学年合計
|
---|
| 報道から目が離せない | 53% |
| 知人の安否確認 | 41% |
| 実家に帰る | 15% |
| 被災地に向かう | 6% |
| 救援活動をする | 4% |
| ボランティアをする | 11% |
| 試験がなくなり遊ぶ | 4% |
震災を体験した四年生は63%、一〜三年生は37%が「ふと思い出す」と答えている。一〜三年生でも被災地の高校生だった学生は、61%が「ふと思い出す」と答えており、四年生と同傾向を示している。一〜三年生の被災地以外の出身学生は、「そういえば思いだす」が最も多く67%だった。「忘れていた」は四年生に6%おり。一〜三年生の被災地以外の出身学生では13%だった。「震災を体験した」が80%の高率なのに比べると、「ふと思い出す」が60%台だというのは、少し記憶が薄れてきているのかもしれない。
●1、2、3年生(当時高校生) | |
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被災地在住 | ふと思い出す | 61% |
| そういえば思いだす | 29% |
| 忘れていた | 6% |
| 思い出したくない | 4% |
その他の地域在住 | ふと思い出す | 25% |
| そういえば思いだす | 67% |
| 忘れていた | 13% |
| 思い出したくない | 1% |
合 計 | ふと思い出す | 37% |
| そういえば思いだす | 54% |
| 忘れていた | 11% |
| 思い出したくない | 2% |
|
●4年生以上(当時大学生)
|
---|
| ふと思い出す | 63% |
| そういえば思いだす | 36% |
| 忘れていた | 6% |
| 思い出したくない | 1% |
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●全学年合計
|
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| ふと思い出す | 47% |
| そういえば思いだす | 47% |
| 忘れていた | 9% |
| 思い出したくない | 1% |
Q6.震災について家族や友人と話すことはありますか? |
自分の記憶を人に伝えることがあるか、という質問。その体験を理解してくれる相手がまわりにいるかどうかに左右される部分がある。「よく話す」は、震災を体験した四年生、一〜三年生ともに1%。「時々話す」は、四年生、一〜三年生のうち被災地在住だった学生ともに70%台で、ほぼ同じ傾向にある。「話さない」が一〜三年生の被災地以外の出身学生で62%と高い割合なのが目を引く。
●1、2、3年生(当時高校生) | |
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被災地在住 | よく話す | 1% |
| 時々話す | 71% |
| 話さない | 26% |
その他の地域在住 | よく話す | 1% |
| 時々話す | 39% |
| 話さない | 62% |
合 計 | よく話す | 1% |
| 時々話す | 50% |
| 話さない | 50% |
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●4年生以上(当時大学生)
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| よく話す | 2% |
| 時々話す | 73% |
| 話さない | 32% |
|
●全学年合計
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| よく話す | 1% |
| 時々話す | 59% |
| 話さない | 43% |
「復旧したと思う」が、全てで七割を超えた。震災を体験した四年生で80%で最も多い。一〜三年生でも被災地在住、被災地以外出身者ともに70%前後と、いずれも大差なかった。しかし、「目に付くところがきれいになって、ほとんど元通り」など、あくまで「表面上」の復旧を理由にあげているのが目に付く。一方、「復旧していないと思う」という根拠には、「路地裏など手付かず」「被災者に対するケアが不十分」「町並みが変わってしまって復旧とは言えない」などという記述があった。
●1、2、3年生(当時高校生) | |
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被災地在住 | はい | 72% |
| いいえ | 21% |
その他の地域在住 | はい | 70% |
| いいえ | 30% |
合 計 | はい | 71% |
| いいえ | 27% |
|
●4年生以上(当時大学生)
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| はい | 80% |
| いいえ | 14% |
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●全学年合計
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| はい | 75% |
| いいえ | 22% |
●1、2、3年生(当時高校生)で「はい」と答えた人の理由記述
- 表明的には本来の都市機能が戻っているから
- 見た目にはもうわからない
- 神戸に来た時には仮設だけで、その他被害のあったところが見当たらなかったから
- 電車で通学していても、そんなに気にならなくなったから
- 震災後よりも活気がある
●1、2、3年生(当時高校生)で「いいえ」と答えた人の理由記述
- 交通インフラなど形で見えるものは結構復旧したが、生活の面ではまだまだ復旧していない
- 仮設住宅にはまだまだ多くの人が住んでいるから
- 産業部門では復旧していると思うが、まだ人々の生活状態が改善していないところもあるので、まだ復旧していないと思う
- テレビで被災地を見て、大学に入ってこっちに来て見ると全然景色が予想と違うと思ったから
- 外見的に大分復旧したが、弱い立場の人がまだ多く悩んだり、苦しんだりしている
- 復興したのは中心街だけだから
●1、2、3年生(当時高校生)で「わからない」と答えた人の理由記述
- ルミナリエやそごう、大丸を見ると復旧したとは思うが、仮設住宅の前を毎日通っていると、復旧したとは思えない
●4年生以上(当時大学生)で「はい」と答えた人の理由記述
- 目に付くところがきれいになって、ほとんど元通り
- 表面上みんな日常生活を送っている
- 人が住める環境が整いつつある
- インフラ面の回復。しかし、仮設などを見るとまだまだと思う
- ルミナリエとかきれい
- 交通の便がよくなった
●4年生以上(当時大学生)で「いいえ」と答えた人の理由記述
- 表面的には復旧してるけど被災者に対するケアが不十分
- 路地裏など手付かず
- 産業面がまだまだ
- 人の心の中
- 仮設で暮らす人たちが多い
- 昔の町並みが変わってしまって復旧とは言えない
Q8.震災のことは世間から忘れられていると思いますか? |
震災の風化を危惧しているのは四年生と一〜三年生の被災地の高校生だった学生で、「震災は忘れられていると思う」という回答が六割以上と多い。逆に「震災は忘れられていないと思う」という認識は、一〜三年生の被災地以外の出身者で48%と最も多く、一〜三年生の被災地在住者が29%で最も低かった。
●1、2、3年生(当時高校生) | |
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被災地在住 | はい | 69% |
| いいえ | 29% |
その他の地域在住 | はい | 53% |
| いいえ | 48% |
合 計 | はい | 59% |
| いいえ | 41% |
|
●4年生以上(当時大学生)
|
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| はい | 63% |
| いいえ | 42% |
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●全学年合計
|
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| はい | 61% |
| いいえ | 42% |
Q9.あの日のことを思い出すと、どんな気持ちになりますか? |
●4年生以上(当時大学生)のみに質問
- 友達、知り合い、自分自身の命が無事だったこともあり、震災の悲惨さなどは頭から離れ、揺れの強さの恐怖だけが残っている
- 戦争を体験したことがないのでよくはわからないが、震災直後の光景はmさに空襲を受けた直後のものだったと思う
- ずいぶん前のことのように思う
- 再び起こらないことを願う
- 地震のあった日よりも、その後の方(親戚の訃報、家の修復の費用、引越し)がつらかった。あの日さえなければと何度も思った
- 不安になる
- よく生きてたなと思う
- 落ち着かない。いつ地震が起こるか予想不可能であるため
- やるせない気持ち
- いまだに、不自由な暮らしをしている人がいます。丸3年が経とうとしているのにひどいことだと思います
- すごい体験だったと思う。亡くなった先輩のことを考えると悲しくなる
- 自分のふがいなさを感じる
- 怖いし、いつどこで起こるかわからない地震に備えなければいけないと思う。防災袋を作った
- 目を開けたらタンスが降ってきたので、あの恐怖は忘れられません
- 夜、寝る前などふと思い出すと怖くなる
- 1ルームマンションで1人暮らしをしていたので「1人だったんだなー」と感じると同時に不安で孤独な気持ちになります
- もう3年も経ったのかという不思議な気持ちになる
Q10.震災直後のことで忘れられない出来事は何ですか? |
●4年生以上(当時大学生)のみに質問
- 落下した六甲道の前でカップルが写真を取っていたこと
- 神戸の夜景が消えた
- 阪急六甲駅前のファミリーマートが襲われていたこと
- 火災現場で何も出来なかった
- 翌日に電車で大阪に近づくにつれ、普通に人々が生活していたこと
- 六甲に下宿していた友達が実家に帰るついでに寄ってくれて、レトルト食品を置いていってくれた
- 親戚が野菜などをもってくれた
- 前日まで遊んでいた先輩が死んでしまったこと
- 家族がいつも以上に団結していたこと
- 部屋に閉じ込められて、出られなかったこと。なぜか過食症に近い状態になってしまった
- ボランティア時に救援物資を配布して回ったりしたが、ほとんどの人があらゆるものをとにかく必要以上にふんだくるように持って行く中、ある老夫婦が、カイロひとつだけで(遠慮していたわけではなく)とても感謝してくれた。この夫婦の家も半壊したとのことでこちら側の方が心配したが、「もっと困っている人たちに物資をあげてください」と言われた。この夫婦に会えて私もいろいろと考えさせられた
- 頭から血を流しながら歩いている人や、道路に毛布にくるまって座っている人といった非日常的光景
- 家は半壊だったのですが、震災直後に知り合いの人の家へ行く途中、三宮の町中を走った時あまりのひどさに言葉がなく、この街はもう終わったと思ったこと
- つぶれたアパートの前で、先輩の足が冷たくなっているのが発見され、その後、ご両親がかけつけられて、泣きながら「ありがとう」と一人一人の手を握ってまわれたこと
- 電車が不通になり、神戸の友達の家に水などの食料品をスーツケースに入れて持っていったのですが、その時ガタガタの道の上を歩いたことと、大勢の人がマスクをしながら、悲しそうに歩いていたこと
- 子供か家族かが家の下敷きになってヒステリックになっている女の人を見たこと
- 連絡の取れない友達の安否が確認できなかったため、テレビで死亡者の名前を見るのがとても恐かった
- 12時間かけて広島に帰ったこと
- 何がなんだかわからないで、ベッドの中で揺れていた地震の瞬間とその直後の音、水のない不便さ、ボランティアの学生の協力など。水、ガスが出たこと
- 1人になるのが恐かった
- 「助けてくれ」という叫び声
- 寮生のみんなと一晩同窓会館で過ごしたこと
- 部屋からやっとのことで出た時に、吐き気がして、気分が悪くなり、誰でもいいから人に会いたいと思ったことです
※この震災アンケートは、神戸大、関学、神女院大の三大学の、一〜三年生二百十人と、四年生百四十二人の合計三百五十二人に、一九九七年十二月下旬に聞き取り調査したもので、関西学生報道連盟加盟の協力で結果をまとめました。
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