【震災特集2014 阪神・淡路大震災から19年】

 1995年1月17日に発生した阪神・淡路大震災から今年で19年目を迎える。神戸大と神戸商船大(現海洋政策科学部)では学生や教職員ら50人が亡くなった。震災後に生まれた世代が大学に入学し始めた現在、学生の間で震災の記憶は薄れてきている。忘れてはいけないと考える学生は多いが、震災は過去のものという声もある。支援活動を行う学生、遺族も風化を実感している。

 しかし、阪神・淡路大震災の被災地は復興をめぐる多様な問題に今なお直面している。阪神・淡路大震災の教訓を東日本大震災の復興や予測されている数々の大型地震に生かすためにも、整備された神戸からは見えにくい「いま」に迫る。  
 
【井沼睦・鈴木太郎・田中謙太郎】
【写真】六甲台キャンパスで行われた昨年の慰霊祭の様子。一般学生にはほとんど知られていなかった。

薄れゆく記憶 残る復興問題


◎神大生アンケート 大学との関わり知られず

 アンケートは神戸大生を対象にインターネットと紙媒体を通じて行い、177人から回答を得た。

 「神戸大入学後に震災への意識が変わったか」という問いに対し、「特に変わらない」「あまり変わらない」としたのはそれぞれ45%、16%と合計で6割に達した。神戸大と阪神・淡路大震災の関わりについても認識の低さが顕著に表れた。50人の犠牲者が出たことを知っていたのは18%、六甲台と深江の両キャンパスで毎年開催される慰霊祭については10%前後の認知にとどまる一方、全ての項目を「知らない」とする回答も全体の3分の1に上った。 




 阪神・淡路大震災の経験者は全体の6割にあたる108人。うち6人は身内に死者が出たり避難所生活を送るなど大きな被害を受けていた。しかし経験者の86%は当時のことを「全く記憶していない」「あまり記憶していない」とした。震災を意識する機会自体は全体の65%が「時々ある」「よくある」と答え、その機会の多くはメディアを通じてのものだった。東日本大震災の支援経験から阪神・淡路のことを意識し始めたという意見もあった。



震災関連アンケート全データ






◎それぞれの声 19年目「いま」何を思う

震災と向き合う学生 「進む風化を実感」


 阪神・淡路大震災から19年。被災地神戸で生まれ育った学生、震災支援を続ける学生は着実に進む風化に危機感を感じている。

 田代将伍さん(発達・2年)は、甚大な被害を受けた神戸市長田区で生まれ育った。発災当時1歳で記憶は無いが、家族や学校の先生から繰り返し被災体験を聞いている。小中高では熱心な震災教育を受けたが、神戸大では震災関連の授業があまりないように思うという。「SNSでも1月17日になると神戸の友人たちは震災についてたくさんつぶやいている。でも他の地域で育った友人は違う」。他県の人から見た1・17は、自分にとっての広島・長崎原爆のような教科書上の出来事だと感じる。「僕ら神戸っ子も被災経験が無い人が増えている。1・17を知らない世代が次の世代に教訓を語り継ぐことはかなり難しいと思う」。

 学生ボランティア団体「灘地域活動センター(N・A・C)」は、被災者らが暮らす復興住宅で15年間支援を続けている。近年は自治体や企業から活動助成金を得るのに苦労するようになった。メンバーの大坪恭子さん(農・3年)は「時間がたてば意識は薄れる。自分も支援で関わる人たちを通して初めて1・17を身近に考えるようになった」と話す。自身は東日本大震災の被災地でも支援活動を行うが、仮設住宅や復興住宅での人々の孤立が大きな問題になっているのは神戸のときと全く同じだ。「結局、教訓って生かされてないんじゃないか」。

【写真】復興住宅で続くお茶会活動(2013年12月7日・県営岩屋北町住宅で 撮影=田中謙太郎)

被災者と遺族 「それでも語り継ぐ」


 阪神・淡路大震災で生死をさまよった被災者、そして我が子を亡くした遺族。1・17の当事者たちは、風化を日々痛感しながら生きている。19年の月日が経過した「いま」に何を思うのか。

 1992年に工学部を卒業した碓井和貴さんは、地震発生直後自宅アパートで生き埋めになっているところを近隣の人に助けられ、九死に一生を得た。避難所となった神戸大でボランティア活動に奔走し、現在も阪神・淡路についての語り部活動を行っている。「災害の記憶が風化するのは当たり前」と碓井さん。震災から5年以上たってから、世間からの疎外を痛感したという。それでも「東日本大震災の後は語り部の話に耳を傾ける人が増えた」と、新たな災害から阪神・淡路を見直そうとする動きも感じている。

 「被災者の中でも分断がある」と話すのは、神戸大生だった娘の志乃さん(当時=発達・2年)を震災で亡くした上野政志さん。娘の供養のため被災現場に作ったほこらは、数年前何者かによって撤去されてしまった。「震災のことを煩わしいと感じている人もいる。私は悲惨な記憶を語り継いでいきたいのに」。震災のことを語るのは、教訓を後世に伝え、同じ悲劇を繰り返さないようにするためだ。「100人中2人でもいい。私の話を教訓として生かしてくれたら」。阪神・淡路についての講演会で壇上に立つたび、そう願っている。

◎復興問題は現在進行形 兵庫県震災復興研究センター 出口 俊一さん



 阪神・淡路大震災直後に発足した民間研究機関「兵庫県震災復興研究センター」事務局長の出口俊一さんは復興過程の問題を研究している。「防災のための教育や法整備は行われているが、復興問題への対策は不十分」と指摘する。

 仮設住宅や復興住宅での孤独死は2013年1月までに1011人にのぼった。被災者向けの借上公営住宅は2016年から順次返却を迫られる。高齢者や低所得者など「震災弱者」のその後や、大規模な再開発計画が失敗した長田区の問題など、震災から19年たった神戸にはまださまざまな課題が残されている。


 震災研究センターは阪神・淡路大震災の復興費用16兆3千億円の用途の実態を明らかにした。兵庫県と神戸市による「創造的復興戦略」の結果、復興費用は神戸空港や高速道路など被災者に直接関係のない大型事業にもつぎこまれていた。この調査をもとに、東日本でも同様の問題が起こっていることがNHKにより報道された。「復興の定義があいまいなため、防災や創造的開発という名目で復興費用が濫用される。阪神・淡路の教訓が生かされていない」。同じ過ちを繰り返さないために被災者の生活再建を確かなものにする「災害復興制度」を確立させることを出口さんは目標にしている。

 若い世代が阪神・淡路大震災に興味を持ちづらいことは当然だと出口さんは言う。「風化することを前提にそこからの回復を考えたい。教育機関が防災・復興教育を小学校から大学までの教育課程に位置づけるべき。災害の問題は広い分野にわたるのでどの学部でも教えられる」。

【写真】センターの事務所は長田商店街の住民から借りた小さな平屋だ