大震災から20年 振り返る大惨禍
1月17日午前5時46分。騒がしかった会場が沈黙につつまれた。――黙とう。阪神・淡路大震災から20年が経過した。東遊園地(神戸市中央区)で行われた「阪神・淡路大震災1.17のつどい」。神戸市をはじめとして全国から集まった多数の来場者が、犠牲者に祈りをささげた。
「1.17のつどい」には全国各地から多くの人が集まり、学生の姿も目立った。青森県内の大学に通う柿木景子さんは東日本大震災のボランティアで知り合った学生と初めて参加した。「小さい子供がたくさん参加していることに感動した。数十年後、3月11日には自分たちの子供を追悼式に連れて行きたい」と話した。また福岡から来たという男子学生は「母が当時被災し祖父を亡くした。祖父と共に過ごす時間がほしかった。安らかに見守っていてほしい」と語った。
黙とう後、森祐理さんが「しあわせ運べるように」を独唱。森さんは神戸大生だった弟の渉さん(当時=法・4年)を亡くした。「20年目、特別な思いでのぞんだ。涙や痛み、弟の命が今日につながってきた。渉の死があったからこそ被災地で歌うことができた。弟の死があるからこそ今がある。苦しみは苦しみで終わらない。今まだ悲しみのなかにある人にも悲しみは無駄にならないと伝えたい」。
今年、神戸市営地下鉄は早朝に臨時列車を運行。そのため、竹灯篭点灯の午前5時までに東遊園地に到着できる人が大きく増加した。20年目という節目の年や土曜日ということもあり、震災から1年目のつどいよりも多くの人が集まったという。人の流れが滞ったり、転倒する人もおり、救急車が呼ばれる事態になるほどの人の多さだった。
数年前につどいの実行委員会を務めた白木利周さんは「(人が来てくれて)うれしいけど考えなくてはいけない」と話す。息子の健介さん(当時=経済・4年)を亡くした白木さん。「子どものためにできることは何か、20年間子どもを中心に考えて、悩みながらも行動してきた。でもまだ10%もできてないんじゃないか。そういうところがつどいなどの活動の原動力になっている」とこれまでを振り返った。
6434人の命を奪った大災害。森さんは話す。「経験していない世代も、震災を忘れないでほしい。日本には必要な記憶だから」。
【遺族のことば】
◎故・森渉さん(当時=法・4年)
【姉・祐理さん】
20年目、特別な思いでのぞんだ。渉の死があったからこそ被災地で歌うことができた。弟の死があるからこそ今がある。苦しみは苦しみで終わらない。今まだ悲しみのなかにある人にも悲しみは無駄にならないと伝えたい。これからも一生天に行くときまで、歌い続けることが使命だと思う。経験していない世代も、震災を忘れないでほしい。日本には必要な記憶だから。これからも語り継いでいきたい。
◎故・白木健介さん(当時=経済・3年)
【父・利周さん】
つどいには同じ思いを持った方が集まってきて、感謝の思いが込み上げてくる。遺族の方が「ありがとう」とおっしゃるけれど、私らは「来ていただいてありがとう」という気持ちが大きい。この20年間は息子のことを中心に考えてきた。息子は何がしたかったのか、何を考えていたのか。子どもから親への宿題のようなもの。悩んで迷いながら活動してきたけど、10%もできてないと思う。それが活動の原動力になっているかもしれない。
【参加した学生のコメント】
・鳥越大祐さん(龍谷大・2年)
「1月16日が誕生日で、親から震災のことを聞いてきた。20年の節目だし、知りたいと思ってここにきた」
・上村俊介さん(琉球大・2年)
「今まで(震災に)触れたことがなかった。小学校教師になりたくて、知るべきだなと思って来た」
・藤田有紀さん(兵庫県立大・1年)
「黙祷のときそれまで人がばたばたしてたのに静かになって電気も消えた。その時に集中したことが印象的」
・松浦森郎さん(神戸大・3年)
「つどいには初めて来た。ここには独自の雰囲気がある。例えば地下の瞑想空間。慰霊と復興のモニュメントの地下に行く体験ができた。また、今日だからと被災者の方が話してくれたことがある。当時はしんどかったことを話してくれて、肌で感じることが多かった」
・中畑公太朗さん(神戸学院大・3年)
「1歳のときに宝塚市の実家で被災した。神戸市内の親戚が一時的に避難してきたらしいが、当時の記憶は全くない。大学では工学部で防災を勉強している。技術だけでなく、色んな面から震災について知りたいと思い、昨年度からつどいに参加している」
・青森の大学に通う柿木景子さん(20)
「東北の震災ボランティアで知りあった、中国地方や九州、関東など全国各地の大学生たち十数名と一緒に初めてつどいに参加した。とくに、小さな子供たちがたくさん参加していることに感動した。数十年後、3月11日には自分の子供を追悼式に連れて行き、次世代に伝えていきたい」
・福岡の大学に通う男子学生(21)
「母が当時被災し、祖父を亡くした。慰霊祭には毎年参加している。祖父と共に過ごす時間が欲しかった。どうか、安らかに見守っていてほしい」
・灘区在住の阪南大の女子学生(20)
「震災を経験した神戸と同い年、神戸と一緒に生きてきた。神戸は元気な街だが、これからもっと元気になれる。パワーをしっかり受け継いでいきたい」
世代超え受け継ぐ記憶
HANDS「21年目の決意」
2015年1月17日で20年目となる「阪神・淡路大震災1.17希望の灯り」が東遊園地(神戸市中央区)で行われた。被災者や支援者、震災の記憶がない世代、また東日本大震災の被災者らが参加し、つどいに訪れた理由や「震災21年目への決意」を話し合った。
「記憶に災害が残っている人がいなくなった頃に災害は起こる。だから薄れてしまう記憶ではなく、記録に残すことが大事」。ワークショップに参加していた被災者は話す。両親と兄を震災で亡くした多田義崇さん(関西学院大・3年)は「将来地震が起こった時(知識のないままでは)大きなパニックになる」と語り継ぐことの重要さを語った。しかし続けて「震災を知らない子たちに何を伝えたらいいのか分からない」と自身の悩みも吐露する。
つどいに参加した学生の中には「自分の周りの同級生でさえ震災について知らない人が多い」と漏らす人も。藤本代表は次のように語りかける。「まずは触れること。一度、1.17のつどいへ足を運んでください。震災を知らなくても、高い意識を持っていなくても来てほしい。今後は、震災を知らない世代が震災を知るための場としても機能していきたい」。
神戸大学ニュースネット委員会