遺族の思い

震災23年の献花

記者=下島奈菜恵・瀧本善斗・竹内涼

 阪神・淡路大震災から23年。17日の午後0時半から、六甲台第1、深江両キャンパスの震災犠牲者慰霊碑前で、神戸大関係の犠牲者を追悼する献花式が行われた。亡くなった神戸大生の遺族や、大学の教職員が参列した。

【写真】阪神・淡路大震災の犠牲者慰霊献花式で、遺族を前に花を手向ける武田廣学長(17日 撮影=瀧本善斗)

 震災で当時の神戸大では学生39人、教職員2人、名誉教授1人、生協職員2人が亡くなった。神戸商船大(現海洋政策科学部)でも学生5人、研究員1人が亡くなっている。
 武田廣学長は「震災が風化していく中で、式典を続けていくことは大事。同じく被災した東北大などとも連携して、防災の研究に取り組んでいきたい。(震災への)気持ちを新たにした式典だった」と話した。

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追悼立ち会う人に感謝 犠牲学生の父

記者=瀧本善斗

 阪神・淡路大震災で亡くなった発達科学部2年生、上野志乃さんの父、政志さん(70)は、今年の1.17の朝も志乃さんが1人暮らしした灘区琵琶町のアパート跡で迎えた。震災忌としては久しぶりの雨だったが「寒さが幾分ましなので大丈夫」と話しながら、追悼の場に駆け付けた人への感謝を口にした。

【写真】献花式で祈りをささげる上野政志さん(17日 撮影=下島奈菜恵)

 志乃さんは倒壊したアパートの下敷きになって亡くなった。政志さんは毎年1月17日、未明に佐用町の自宅を出発しアパート跡を訪れる。地震発生時刻の午前5時46分に合わせて、木地蔵などを置き、志乃さんが好きだった花デンファレを供えて手を合わせる。

 跡には既に 住宅が建っており「震災当時から残っているのはこのフェンスだけ」とつぶやく。それでも震災後に縁ができた人たちは毎年現場を訪ね続けてきた。昨年からは志乃さんの高校と画塾の後輩、本下瑞穂さん(38)も加わった。

 おととし、昨年と命日の朝は、志乃さんとの思い出を静かに語ることが多かった政志さん。今年は、5年前から続けているタイでの日本語教育ボランティアの経験なども話題に上げ、笑顔も見られた。「吹っ切れたというわけではないけれども、こうして朝早くから毎年毎年来ていただける姿勢がありがたい」。寄り添う人たちの存在が、雨の冷たさを和らげた。

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神戸大慰霊式の参列者の話

記者=下島奈菜恵・瀧本善斗・竹内涼

【写真】神戸大震災慰霊献花式に参列した遺族、関係者ら(17日 撮影=竹内涼)

【亡くなった神戸大生の遺族(順不同)】

▽竸基弘さん=当時(旧自然科学研究科・博士前期)=の母、竸恵美子さん

 神戸大は息子が大好きだった場所。ほかの遺族とも1年ぶりに会えて、『1年たつのが早いね。来年も来れるように頑張ろう』と話し合った。いろいろな事情で来れなかった遺族もいる中、こうして献花できたことがありがたい。(献花式のタイミングで雨が止んだのも)息子が見守ってくれていたからかな

▽藤原信宏さん=当時(経営・4年)=の母、藤原美佐子さん

 毎年息子の下宿跡、神戸大慰霊碑、東遊園地を訪れている。慰霊碑に手を合わせて『元気にしているから見守ってね』とメッセージを送った。年をとるにつれ、1年たつのが早く感じる。真面目な子だった。生きていたら今頃、夢だった公認会計士になっていたんじゃないか

▽戸梶道夫さん=当時(経営・2年)=の父、幸夫さん

 やはり正月になるとブルーになる。(高校の野球部時代)試合で、後にプロになった選手からホームランを打たれたのが誇り。(献花式について、他の遺族も)皆さん同じ状況だから何を言っても大丈夫だという安心感がある」

▽母、栄子さん

 毎年、年末から1・17が来るなあと思うとさみしい。バドミントンの素振りを怠らない、しっかりした子だった。今自分はテニスをやっているが、あの子にならって自分もちゃんと練習をしている。それでも藤原さんや竸さんたちと(献花式で)会えることがうれしい。元気なうちは毎年頑張って来たい。

▽上野志乃さん=当時(発達・2年)=父、政志さん

 (献花式の参列は)1周年か2周年の式以来で、2度目ではないか。以前は学生も参列していたが、雰囲気は変わったような気がする。それでもさまざまな追悼行事が消えていく中で、毎年続けてもらうこと自体が震災を忘れないことにつながる。(久々に参列して)私らにすれば(教職員の)誰も知らない人だが、私らと同じ思いでやってもらっているという連帯感がある。参列する方々にはありがたく思う。

▽坂本竜一さん=当時(工・3年)=の父、秀夫さん

 (1月17日付近は)うまく表現できないが、憂鬱(ゆううつ)で1年で1番嫌な時期。何年たっても一緒。献花式には毎年来ていて、来年も来る予定。

▽今英人さん=当時(旧自然科学研究科・博士前期)=の母

 娘と孫と一緒に献花式に来た。昔は必死で毎年来ていた。年月がたって年を取ったし、最近は行かない年もあったが、今年は来ようと思った。

▽森渉さん=当時(法・4年)=の母、尚江さん

 息子のことは今だから思い出すわけじゃない。いつも息子と一緒にいる。こうやって長い間追悼してもらうのはありがたいこと。他の遺族の方との交わりもでき、この交わりは息子が残してくれたものだと思う。

▽森渉さん=当時(法・4年)=の下宿先の大家、末吉種子さん

 森さんのお母さんと一緒に献花式に来た。だんだん周りも年をとって、いつまで来ることができるかは分からないが毎年来ている。下宿先はもう手放したが、下宿で生まれた関係がずっと続いているので大切にしたい。

▽磯部純子さん=当時(教育・4年)=の母、洋子さん

 今日は遠方から来た。震災から月日もたったし、もう震災はしょうがないことだったと思う。震災を語り継いでもらうのはありがたいこと。

▽白木健介さん=当時(経済・3年)=の父、利周(としひろ)さん

 1月17日は絶対忘れない。この日が来ると、一瞬のうちに当時に戻ってしまう。献花式にはなかなか来る余裕がなく、1分だけしか顔を出せなかったときもあったが、今は余裕ができてじっくり参加している。他の遺族の方と顔を合わせるのも楽しみの一つ。皆さんとお話ししながら、子どものために何かできることがないか模索している。

【他の参列者】

▽震災で亡くなった応援団長・高見秀樹さん=当時(経済・3年)=の一つ下の後輩、国司和丸さん

 毎年1月17日には神戸を訪れる。自分の親しい人を奪っていった災害が今でも忘れられない。(この日は)自分の原点にもなっている。複雑だ。

阪神・淡路大震災特集2018

(c)2018 神戸大学ニュースネット委員会