「震災と報道」をテーマにした総合学習

  神戸大学発達科学部
 「震災と防災」カリキュラム研究会


 神戸大学発達科学部の土井研究室と附属住吉小学校のチームが、このほど「震災と報道」をテーマに総合学習の公開授業を行った。神戸大OBでNHKアナウンサーの住田功一さんが教壇に立ち、五年生の児童たちは、「どうして被災した人たちを助けずにカメラをまわしたのか」といった疑問に自らの経験をもとに応えた。【2000年11月4日 神戸大NEWS NET=UNN】

 公開授業は神戸市東灘区の附属住吉小学校で十一月四日に行われた。主催は発達科学部の「震災と防災」カリキュラム研究会。土井捷三教授研究室のメンバーと、附属小学校の教諭がチームを組んで、昨年度から阪神大震災を教育にどう生かすかをテーマに取り組んできた。

報道は命の大切さをどう伝えたか

Photo  子供たちのための図書や地質写真のデータペースづくりに続いて、今回は「報道は命の大切さをどう伝えたか〜命の大切さから防災を意識しよう〜」をテーマに公開授業を行った。
 この日までに五年生の児童たちは、羽瀬克彦教諭の指導で、阪神大震災をメディアはどう伝えたかについて、ホームページや新聞縮刷版、ビデオなどで「調べ学習」を重ねてきた。そして、神戸大OBでNHKアナウンサーの住田功一さん(経営・一九八三年卒)を招いて、「どうして被災した人たちを助けずにカメラをまわしたのか」、「人の気持ちをくまずに、伝える場面もあったのでは」とさまざまな疑問や意見をぶつけた。

「どうしてカメラまわしたの」「報道の使命も大切」

 これに対して、住田アナは「個人的な意見」と前置きして、「これまでに、いろいろな放送局のマナーの悪い取材もあったかもしれない」としたうえで、「救急や消防の人たちと同じように、学校の先生や区役所の人、電車の運転手さんも、目の前で助けを求めている人に手をさしのべながらも、自分たちの仕事をやりぬく必要があった」、「報道に携わる人たちもその仕事をほうり出したらどうなっていたでしょうか」と 語りかけた。
 子供たちからも、「苦しい、辛いということは伝えるべきだ」、「メディアで伝わったからこそ義援金も寄せられた」という意見が出て、理解を深めていった。

次第に震災と向き合えるようになった子供たち

Photo  授業の後のシンポジウムで、土井捷三教授は「(生々しい)震災をストレートに子供たちに伝えることより、何か媒介になるものはないかと考え、報道と震災をテーマに選んだ」と説明。
 被災地の神戸では、震災の記憶が児童の心に与えた影響がいまだに残っている。参加した兵庫県教育委員会の防災教育担当者は、「PTSDをかかえた子供と、被災地以外の子供が混在するなかでどう防災教育をしていくかがテーマ」と悩みを打ち明けた。
 これに対して附属小の大和一哉教諭らは「昨年度は、肉親を亡くした子供が、授業中に泣き出すこともあった」というが、学習を進めるにつれて、「次第に震災と向き合えるようになった」という。

どう発信するか震災防災教育の情報

 神戸市の防災教育センターには「震災の語りべを紹介してほしい」という問い合せが、これまでに全国から二万件を超えているという。被災地・神戸から震災防災教育の情報をどのように伝えていくかは、大きなテーマだといえる。


子供たちの「まとめ」から
 5年生の子供たちは、授業のあと、新聞や雑誌形式で「まとめ」を書いた。見出しやリードをたてて、住田アナの話を聞いたり、質議応答したりする前と後とで、考えがどう変わったかを書いた。そのなかの、いくつかを紹介すると……。


●報道は命の大切さをどう伝えたか (5年は組 女子)

<報道のイメージ>
 最初、住田さんに会うまでの報道のイメージとしてこんなイメージをもっています。
 ・報道する前に助けない
 ・簡単に悲しい思いをしている人にインタビューする、人の気持ちを考えない
 こんな人達だと思いました。
 私の意見では、報道する前にボランてィアなど救助にまわって1週間ぐらいして余裕
 ができたら報道という仕事に行ったらいいと思います。

<住田さんのお話から>
 前まではどうして助けないのかなどのぎもんが出ていたけれど、
 報道するのも救助の一つだとだということが分かりました。
 なぜかというと、報道を通して全国各地の人に阪神淡路大震災の状況を知ってもらい、
 「これは大変だ。助けに行かなきゃ!」
 と、思って全国各地の人からの助けがくればいい、
 それが少しでも役に立てば、救助も報道でできると思います。

<報道は何を伝えたいのか>
 私は同じクラスの友達に、報道の人が書いた
 インターネットのコピーを見せてもらいました。
 そこには報道の人達は何を考えながら報道したのかなど、
 報道人の人の気持ちや報道人は何を受け手に伝えたいのかがかいていました。
 くわしい内容では、インタビューなどの調査の目的は、
 ひとりひとりの死からこの地震がどういうものであったかを記録し、
 その記録が社会の財産となり、結果として、
 何らかの形で防災の役に立てばいいという事を伝えたい、
 これを思いながら報道しているようです。
 私達はこれらのことを調べたのだから
 報道に対する気持ちなどが変わってくると思う。

<また地震にあったら>
 阪神淡路大震災発生から約5年。
 同じようなことが阪神淡路地域に起こったら、私達の行動のとり方は
 変化するのだろうか、私は考えてみました。
 当事者、いわゆるその震災のおきた地域の人達は
 阪神淡路大震災の時よりすばやい行動がとれると思います。
 当事者以外の人、いわゆる受け手の人達は、
 「あ、まただ、助けなきゃ。」
 と思って、救援物資がはやく来ると思います。
 当事者も受け手もはやく行動ができるといいと思います。
 日本全国の人とのきずな・協力がふかまっていけると思います。



●報道の人は、どういう気持ちで伝えていたのか (5年は組 男子)

<自分の調べたことから感じたこと>
 ぼくのたてたかだいは「報道の人は、どういう気持ちで伝えていたのか」です。
 ぼくは、住田さんの話を聞いて、住田さんや報道の人は
 そうとうなやんだと思いました。
 だからいくらしんさいがおきてたすけをもとめていても、
 みんなにこんなじょうたいですとしらせていて、
 みんながたすけにきているから、
 ぼくは、そのはんだんはただしかったと思います。

<住田さんに出会って>
 ぼくは、住田さんに出会ったからしんさいのことや、
 その時のじょうきょうなどを知れたんだと思います。
 ぼくは、住田さんがしんさいの日に、よくああいうふうに自分でてきぱきと、
 うごけたなあと思いました。とても住田さんは、すごい人だなあと思いました。

<報道はなぜあるのか>
 ぼくは、報道人は、すごいなあと思うときと
 いやだなあと思うことがあります。
 すごいなあと思う時は、人がこまっているときにすぐに対応ができるからです。
 いやだなあと思う時は、人がかなしんでいるときに
 報道の人がごういんにおしかけてきて、きこうとするからです。
 ぼくは、だからぼくは、
 報道があっていいときと、ないときがあったほうがいいと思います。

<防災の資料は、こんごどうするか>
 ぼくは、しんさいにあっていないけど、あるだけの資料で、
 あっていない人におしえてあげたいと思います。



●命を守る (5年は組 女子)

<自分の最初の気持ち>
 私は「報道人」というのが大嫌いでした。
 つらい人達にインタビューしたり、テレビを写したりするのが不思議でした。
 それに、見ている方もつらく、心が痛みました。
 『もし、自分だったらいやだと思わなかったのか?めいわくだと思わないのか?』
 ということが疑問でした。

<住田さんと出会って>
 初めて、住田さんの話を聞いて、放送局も大変だったんだなと思いました。
 でも、さらにつらい人を写すのが不思議に思うようになったのです。
 みんなにこの事を伝えないといけない、そんな事はわかっているのですが、
 今だに心の底のもやもやが、残っています。

<報道って何?>
 これは私の疑問の一つです。(でした。)
 何のために?何を伝えたいの?
 『神戸は今こんな事が起きています!!助けて下さい!!』ということや、
 『みなさん、命の大切さを知りましょう、準備をしておきましょう。』
 ということなんだ、とわかりました。
 つまり報道は「今の状態、どうすればいいのか、これから」ということを
 伝えることだと思います。

<今後の自分、情報をどのようにあつかうのか>
 まず、情報を知ったところで私達は何をすることができるでしょうか?
 心配、同情はかんたんですが、行動はとてもむずかしいと思います。
 せめてぼ金や、もしものそなえでもしておけばいいと思います。
 それがテレビの向こうの人達への小さな返事だと思います。



●報道と命の大切さ! (5年は組 女子)

<最初の気持ち>
 私はかんちがいや思いこみをしていたのかもしれません。
 このころの私は、阪神淡路大震災で新聞などにのっていたのは、
 「このぜつぼう!たちなおれるのか!」とか、
 「こわれはてた町」など、どれも傷つくようなことがかかれていました。
 私は、「なぜあのとき、報道人は私たちをたすけなかったのか。」
 「なんでこんな時に写真をとれたのか。」と、ずーっと思っていました。

<住田さんと出会って、感じた事、思った事>
 私は住田さんの話を聞いて、私達のために報道してくれた。
 私達の苦しみ、かなしみだけでなく、学んだ事や今の私達も報道してくれた。
 じつはわかってくれてたんだな。私達を応えんしてくれてるんだなって思えて、
 しだいに心がらくになりました。
 今まで6年間、思っていた事が今日ですっきりしました。

<報道って何?>
 報道人が伝えたいのはきっと“命の大切さ”だと思います。
 こんなに苦しんでいるんだよ、とかをみんなにつたえてくれたり、
 あるいはみんなの知りたいことをつたえたりしてくれました。
 でも、あのとき報道人が報道せずに、ボランティアしなかったのか、
 やはり考えてから報道のほうにうつったと思いますが、
 もしあのときにたすけていれば、たすかっていたかもしれないのに?。
 でも、これでよかったのかなあ。

<今後の自分>
 まだ、自分がわかってないこともあると思います。
 もし自分が報道人だったら、もし自分がこんなたちばにたたされたらどうするか。
 これもかんがえようと思います。
 報道人が伝えきれなかったことも私達でつたえようと思いました。







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