中学生からのメッセージ
【写真】JR六甲道駅コンコースは、高架が落ちて押しつぶされたものの、亡くなった人はいなかった。(1995年1月 神戸市灘区永手町で)
「被災者の痛み わかりますか?」と問われたら(島根県 中学3年生)
伝えることは、残された者の役目(岩手県 中学3年生)
運が悪かったなんて そんな簡単なことではない(岩手県中学3年生)
ズキっときた。じーんときた。(岩手県 中学3年生)
国の対策、良くなると信じる(岩手県 中学3年生)
震災のこわさがよくわかりました(岩手県 中学3年生)
中学生は頼れる、頼られる存在なんだ(岩手県 中学3年生)
事前学習ではわからなかったこと(岩手県 中学3年生)
心に傷を負った人達のこと伝えたい(岩手県 中学3年生)
その場その場で「心のきりかえ」を(岩手県 中学3年生)
人の死の現場を知った(小田原市 中学生・13歳)
いつもと違う朝(小田原市 中学生・15歳)
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「被災者の痛み わかりますか?」と問われたら
島根県 堀江満里奈(出雲市立浜山中学校3年)
修学旅行で神戸を訪れ、
阪神淡路大震災で被災した人たちを取材してから、
「語り継ぐ」ということが私の仕事みたいになりました。
しかし、3年生になって
住田功一著『語り継ぎたい。命の尊さ』を読んで、
私は動揺しました。
「思いやる心はみんな持っているけど、
心の傷は同じ深さではない。
受け取る側にも温度差がある」という一節に目が止まり、
私には踏み入ることのできない部分があるのだと感じました。
私は被災していません。
阪神淡路大震災のことをたくさん勉強して、
たくさん知ってきたつもりです。
もっと知りたいとも思ったし、
語り継いでいきたいとも思いました。
しかし、
「あなたに震災で受けた心の傷の痛さがわかりますか?」と問われたら、
つらいなと思いました。
知ることのできない部分があると思うと、
今までやってきた活動が本当にこれでいいのかと思いました。
被災者の方が伝えたいと思っていることを
私がその通りに受け止め、
伝えられているのか不安に感じたからです。
でも、語り続けようと思いました。
母親を亡くした高校生の話を自分に置き換えて、
その悲しみを想像することができたことを思い出したからです。
そして、被災した方がつらい思いを乗り越えて
語り継いでいくその思いを
自分で引き受けたいと思ったからです。
<2009年1月13日/メールで>
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伝えることは、残された者の役目
岩手県 佐藤綾香(中学3年)
震災で亡くなられた 6430人の6430通りの人生が、急に絶たれた、
その6430人の人達に関わっていた人達の
人生も変わったんだろうなあと思った時、
自分の手で命を絶ちたくない、
絶対に絶たないと決めました。
生きたくても、生きれなかった人達を思うと、
今、普通に生きることができる自分は
幸せだなあとも考えました。
私は、今まで亡くなった人には
祈ることしかできないと思っていましたが、
伝えることは、もっと大切な、
残された人の役目だということを感じました。
<2002年4月25日/読後、修学旅行でトークセッションをして>
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”運が悪かった”なんて、
そんな簡単なことではない
岩手県 高橋明子(中学3年)
あの日、あの時、私が震災にあっていたら…。
住田さんと同じ立場にいたのなら…。
私はどうしていたのか。
私自身、よく分かりません。
助けたいという気持ちがあっても、
その勇気、行動力があるのか、
分かりません。
震災の被害を受けた人、
亡くなった人たちの気持ちを私達は大切にし、
これからも震災のことを、
いろんな人に伝えるべきだと思いました。
”運が悪かった”や”残念でした”など、
そんな、簡単なことではないと思いました。
”死”ということ。
亡くなった人の悲しみ。
亡くなった人の身内や知り合いの方の悲しみ。
いろんな人のいろんな気持ちがあると思います。
そして、その悲しみを私達が
完全に分かり合うことも無理だと思います。
でも、少しでも分かり合い、
そのことを、みんなにも伝えたいです。
<2002年4月25日/読後、修学旅行でトークセッションをして>
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ズキっときた。じーんときた。
岩手県 今井なつみ(中学3年)
特に印象に残っているのは
取材に行った所で生き埋めになった老人のお話です。
聞いた時にズキっとくるものがありました。
あと、最後の質問の答えに感動しました。
「中学生(うちら)にできることはたくさんある」
と言われたとき、すごくじーんときました。
<2002年4月25日/読後、修学旅行でトークセッションをして>
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国の対策、良くなると信じる
岩手県 足利俊一(中学3年)
誰かの質問で
「同じような地震が起きた時、
阪神大震災の反省をいかした行動をとれるとおもいますか」
というものがあり、
住田さんはそれに対して
「ボランティアの数が増えるだろう」と言われましたが、
僕はその考えに対して
もう1つつけ加えてもいい様な気がします。
それは国の対策の取り方が良くなるという点です。
阪神大震災では、
対策の遅れが尾をひき、
多くの犠牲者が出ました。
しかし、遅れはしたものの、
助けた人の数も多かったと思うからです。
ですからきっと同じような災害が起こったとき、
国は頑張ってくれると思います。
僕が小学校のころテレビで見た
あの光景は忘れられません。
だからこそ、僕達若い者がいろいろ勉強して、
どんな場合でも住田さんがいったような
スイッチの切りかえを素早くできるようになりたいです。
<2002年4月25日/読後、修学旅行でトークセッションをして>
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震災のこわさがよくわかりました
岩手県 小野寺美恵(中学3年)
阪神大震災ノートを
書いていくにあたっての苦労、つらさなど…
いきうめになった人を助けること、
助けられなかったこととか、
ノートで感じられなかったことなど、
たくさんのことを
私達にわかるように話して下くださって、
震災のこわさがよくわかりました。
<2002年4月25日/読後、修学旅行でトークセッションをして>
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中学生は頼れる、頼られる存在なんだ
岩手県 藤原美帆(中学3年)
いくつかの質問の中に、
「私達にできることはありますか?」というのがあったのですが、
その質問に対して著者の住田さんや編集者の井上さんは、
「中学生ならば水をくんだり、荷物を運んであげたり、
いろんな事ができるし、こういう場では
お年寄りや子供にしてあげられる事がたくさんあ」
とおっしゃっていたので、
それを聞いて中学生は頼れる、
頼られる存在にあるという事がわかりました。
「阪神大震災」で学んだ事を
何か起こった時に役立てられるようにしたいです。
今回のトークセッションによって
自分自身を見つめ直す、いい機会になりました。
<2002年4月25日/読後、修学旅行でトークセッションをして>
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事前学習ではわからなかったこと
岩手県 久保美幸(中学3年)
トークセッションでは
阪神大震災ノートなどでの
事前学習ではわからなかったことなど
学ぶことができました。
地震で生き埋めになった人、
家族を失った人、家を失った人など
たくさん見て、とてもツラかったと思います。
そのツライことを話すのは、
とても大変だったと思います。
地震の怖さを改めて知ることができました。
一生忘れることができない学習旅行で、
お話が聞けて良かったです。
<2002年4月25日/読後、修学旅行でトークセッションをして>
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心に傷を負った人達のこと伝えたい
岩手県 芦 友恵(中学3年)
あの地震の中、
うちらと同い年くらいの中学生達が、
ボランティアをしたというのを聞いて、
すごく強い人達なんだなあと思いました。
親をなくしたり、食べ物がなかったり、
きっとくるしかったと思うけど、
その中でも、他の人のことを考えてやれるなんて、
すごいと思いました。
あの地震でなくなった人達、
一人一人のことや、
あの地震にあって、心に傷を負った人達のことは、
今、こうやって生きている私達が
後に伝えていかなければいけないと思いました。
<2002年4月25日/読後、修学旅行でトークセッションをして>
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その場その場で「心のきりかえ」を
岩手県 小山由香(中学3年)
本やビデオで阪神大震災の事は勉強をしていましたが、
やはり震災に直面した
著者の住田さんご自身からの話は
震災のとてつもなく恐しい時の事や、
その後の人の尊さが伝わってきました。
トークセッションで住田さんが話していた中で
今でも覚えているのが
「心のきりかえ」という言葉です。
いつまでも終わった事をぐじぐじいっているよりは
今おこっている事が一番だと思ったからです。
だから、これからはその場の状況を把握し、
何かと心のきりかえを早くしていきたいと思いました。
<2002年4月25日/読後、修学旅行でトークセッションをして>
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人の死の現場を知った
小田原市 梅田和明 (中学生・13歳)
阪神大震災でたくさんの人が亡くなったということは知っていたけど、
悲しい死に方をしたというのは、この本で初めて知った。
西尾荘で生き埋めになった友人を助けることができずに、
目の前で焼死させてしまった大学生の話しは、
これが小説だったり、ドラマだったりするのではなく、
普通の大学生の身の上に起きたことだから、
やるせない思いがした。
もし、僕が助けられなかった人だったら、
どんな気持ちになっただろうか。
目の前で信じられないような光景が迫ってきたら、
とっさに僕は何ができるだろうか。
多分僕自身は無力だと思う。
人が命を失うといことはとても悲しいことだ。
僕は、2年前祖父の死を体験した。
祖父は盲腸で入院していたが、
まさか死んでしまうとは思ってもみなかった。
電話をとった兄から聞いた時は、
嘘だろうと思って何度も聞き返したが、
返事は変わらなかった。
突然過ぎて頭の中が真っ白になった。
いろいろな思い出がよみがえってきて、
本当に居なくなってしまったんだと思ったときは悲しかった。
一人の死が、何人の心を悲しませるのだろうか。
阪神大震災では6,400人の人が死んだという。
それそれの死を周りの人がどう受けとめ、
どんなに心に傷を追ったことだろう。
決して軽く扱ってはいけないものだと思った。
僕はこの本を読んで、
死というものをとても重く捉えることができるようになった。
それは僕の中に、人が危機に瀕している時の現状が、
情報としてたくさん入ったせいだと思う。
つまり、人の死の現場を知ったためだと思う。
たくさんの僕達の年代の人に読んでもらいたいと思う。
<1999年6月10日/手紙>
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いつもと違う朝
小田原市 渡辺卓磨(中学生・15歳)
あの年の1月17日、いつもの朝を迎えた僕。
しかし、阪神で大震災に遭った人々には
「いつもの朝」は来なかった。
ニュースでその事を知った僕は、
(滋賀県の)いとこは大丈夫なのか気になった。
幸いにもいとこは無事だったが、
中には自分の友達や親とは
もう会えなくなってしまった人が大勢いた。
この本を読んで僕はまたあらためて
その悲しみを実感した。
<1999年6月29日/手紙で>
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