先生からのメッセージ

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【写真】半年たってもそのままの木造住宅。(1995年8月 神戸市灘区六甲道で)


  • 焦り、無力感に泣いたあの日(岐阜県 教員)
  • 本を再読して思うこと(東京都 高校教諭)

  • 擬似でもよい。体験を持つこと(東京都 中学教諭)
  • あと3時間発生が遅かったら、学校は…(神奈川県 高校教諭)
  • 生徒にも語り継がせたい!(東京都 中学教諭)
  • 危機管理 「使える学問」として教育現場に(芦屋市 高校教諭)
  • 研究せねばならない問題まだ多い(神戸市 大学教授)

  • 被災地発の研究を続ける(京都市 大学教授)
  • 知ることで想像力もつことできるんだ(東京都 高校教諭)
  • 本を閉じ、涙した(愛媛県 大学教官)
  • 総合的学習の教材になる(神奈川県 市立中学校教頭)
  • 神戸大の悲しみ伝わった(神奈川県 元大学教官)

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    焦り、無力感に泣いたあの日
    岐阜県 匿名(42歳 教員 男性)

    昨日「語り継ぎたい。命の尊さ」を読ませていただき、
    同感の意をお知らせしたくメールさせていただきました。

    あの日は岐阜でも震度4のゆれでした。
    兄が当時、神戸市須磨区にいたので、
    私が水や食料を持っていきました。
    神戸にたどり着くまでのあせりの気持ちと、
    神戸を後にするときの
    自分の無力感に泣くまでの記録を ホームページに掲載しておき、多くの人にも知ってもらい、
    いつでも思い出せるようにしておきました。
    http://www.ccn2.aitai.ne.jp/~tygd

    そのとき以来、私と家族は間違いなく、
    「隣人を助ける」気持ちを持たせてくれました。
    「語り継ぎたい。命の尊さ」には共感できます。
    <2003年5月10日/メールで>
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    本を再読して思うこと
    東京都稲城市 匿名希望(高校教諭 33歳)

    『大震災を語り継ぐ』とともに、
    もう1度『語り継ぎたい。命の尊さ』を読み直しました。

    『大震災を語り継ぐ』では
    「震災犠牲者の聞き語り」や、「震災遺児たちの寡黙」が
    心に残りました。
    後者のことについては、確か今年の1月17日に、
    教育TVでとてもよい番組(ドキュメンタリー)が
    あったことを思い出しました。
    今のこの同じ時間にも、震災によって
    人生を変えられてしまった人たちが
    何とか生きていることを、
    忘れてはならないと、再び強く感じました。

    住田さんの本を読み直すと、
    内容も章だても知っていたはずなのに、
    どうしてこんなに心に迫ってくるのだろうと思います。

    「悲しみの淵に立つ人と、私たちをつないでくれるのは何か。
    それは情報です。記録です。語り継ぐことなのです」
    という文章がありますが、
    ほんとうに、苦しい実感とメッセージをこめて語れば、
    通じるのだと思います。

    「あの日を思い出すたび鉛のような重苦しさを感じる」という
    お手紙のお言葉が頭にあったせいか、
    以前より住田さんの、報道に携わる者としての後悔の念も
    強く伝わって来ました。
    でも、そこから、このブックレットを始め、
    様々な場で、若い人たちに語り継いでゆこうという
    住田さんの姿勢を、本当にすごいなあと思い、
    また、勇気づけられます。

    私は女子校で教えていますが、
    最近、生徒たちの想像力が乏しくなったてきたような気がしています。
    が、それも私の語りかたが足りないのかもしれない、
    と反省させられます。
    小さなチェーンが大きな鎖になることを、
    私も信じていかなくては、
    という気持ちになりました。

    これからも住田さんのメッセージを心にとどめながら、
    あの日がくるたび、震災のことを話すようにしたいです。
    私自身も、志半ばにして亡くなった人たちを
    記憶にとどめてゆきたいと思います。

    <2002年4月5日/メールで>
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    擬似でもよい。体験を持つこと
    東京都 野崎眞一(公立中学校英語科教諭 44歳)

    私は、 ここ数年の学校現場を含む事件や、
    もっと大きくいえば国際社会での
    日本の危機管理意識の低さ(もちろん私自身も含めてですが)に
    危機感を抱いておりました。

    本日の住田アナ(あえてこう呼ばせてください)のお話を聞いて、
    擬似でもよい体験を持つ人とそうでない人では、
    いざ!という時の行動に大きく差が出るのではないか
    と考えていました。

    私はモータースポーツを趣味にしております。
    たとえば車やバイクで命を落とす人も毎年1万人近くになります。
    車など機械の安全性は
    僕らが生まれたより大きく発達しておりますが、
    それを使う日本人(あえて強調します)が
    その様々な機能や装備を使いこなせない、
    たとえばブレーキペダルを
    一瞬にして蹴飛ばすように踏みつけて作動します。

    その使い方も知らずに、
    もちろん使わずにすむことが大切ですが、
    次の車に買い替えをする人が
    ほとんどではないでしょうか?

    私は、今日のお話を聞いて、
    体験することの大切さを
    さらに学ばせていただきました。
    <2002年7月25日/講演を聴いて>
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    あと3時間発生が遅かったら、学校は…
    神奈川県 川手 徹(高校地歴科・公民科教諭)

    朝日の横浜版の記事と日経の山根一眞さんの記事を読んで、
    『語り継ぎたい。命の尊さ』のことを知り、
    早速購入し読みました。

    私は、神奈川県立高校の地歴科・公民科の教員です。

    1月17日の朝日新聞で、
    住田さんが西湘高校の生徒と活動なさっていることを知りました。
    おととし(小田原市の)西湘高校に出張したときに、
    校地の片隅に「防災倉庫」と書かれた
    コンテナが置かれていたのが目に留まりました。
    こうしたものは私の勤務校にはありません。
    西湘高校は東海地震の警戒域に含まれるので、
    同じ県立高校でも対応が違ってくるんだな、と感じました。

    阪神大震災は、不幸中の幸いですが
    学校に生徒や職員がいない時間帯に発生しました。
    あと3時間地震の発生が遅かったらと思うとゾッとします。
    生徒や職員が学校にいない時間に地震が発生しても
    あれだけの混乱が起きたわけですから、
    生徒が学校にいたらその数倍の混乱が起きたことでしょう。

    大地震発生時に生徒が学校にいるのかいないのか、
    いたらどうするのか。
    職員は家にいて被災したら、
    ケガなどしていない場合直ちに出勤すべきなのかどうか。
    わからないことがたくさんあります。
    同僚にこうしたことを話しても、
    「地震が起きてみなければ実際どうなるかわからないので、
    事前にあれこれ考えても始まらない」といった話が返ってきて、
    一般人の防災に対する意識はこんなものかと悲しくなります。

    近い将来起こるであろう南関東での大地震の際に
    少しでも被害を少なくしたいと思いますが、道のりは険しいですね。
    神戸の教訓が十分伝わっていないと感じます。
    そういう意味ではこのブックレットは大いに役立つと思います。

    私は小学校5年生まで大阪の豊中に住んでいました。
    一番近くに住んでいた親戚が、父の叔母で、
    東灘区深江南町に家がありました。
    父の叔母はすでに25年ほど前にそこを引き払い、
    現在は東京に住んでいます。
    深江といえばあの阪神高速が倒壊した現場のすぐそばです。
    歩いて2分ほどでしょうか。

    自分が子ども時代に通った場所が、
    あの大災害の現場になったというのはショックでした。

    被災していない人々の無知・無関心・無頓着が
    被災した人々を苦しめているんでしょうね。
    沖縄の基地問題、薬害エイズ事件、えひめ丸事故など、
    大々的に報道されても、それを聞いた人々が
    実際行動を起こさなければ、
    困っている人々を助けることができないことを
    多くの人々は認識すべきでしょう。
    (署名をしたり、義援金を出したり、救援物資を出すだけでは
    困っている人への本当の助けにはなりません)

    こういう問題に際してどういう行動が求められるのかを、
    私たちも生徒に対してきちんと教えたいと思います。
    <2001年3月3日/メールで>
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    生徒にも語り継がせたい!
    東京都 石村繁樹(中学社会科教諭)

    私の学校では、今年の3年の修学旅行に神戸を取り入れました。
    学年主任から「神戸 に行ってみてはどうか?」と提案を受けて、
    多少の戸惑いはありましたが結果的には行ってよかったと思います。

    はじめ、NHKの震災5年後特集のビデオ(TV)を見て学習しました。
    確か今年の1月に放映されたものだったと思います。
    いろいろな被災者の方の話があって、複雑な心境で見ました。
    特に、幼い我が子を亡くした母親が、
    今も窓から見える我が家の爪痕を眺めながら語る場面は、息が詰まる思いでした。
    単に震災が怖いのではないのですね。
    特に残された遺族のその後の人生があまりにも重いのだと言うことがわかりました。
    まさに「命の尊さ」です。
    身近な方のあまりにも簡単すぎる「命」の終わり。
    残された我が身のあまりにも重い「命」。
    あまりのリアリティに、生徒たちもただ固唾をのむばかりでした。

    現地では、フェニックスプラザで退職された元校長先生からお話を伺いました。
    震災時の避難所(学校)での様子だとか、特に中学生がどんな様子だったとか、
    その場にいた人にしかわからないことを語り継いでいただきました。
    その場での先生方や生徒たちの働きは、
    文字通り「ボランティア」だったのだと感じました。

    本校でも、総合的な学習の準備を進めています。
    現段階では、「試行」ということなので内容的にはまだまだですが、
    私の学年ではテーマを「語り継ぎたい。命の尊さ」にしました。
    修学旅行のまとめとして、この副読本を読みました。
    1時間、私が朗読したのですが、何度も声をつまらせてしまうほど、
    言葉では言い表せない感情が湧いてきます。
    表紙の高校生の写真も衝撃的です。

    本校の生徒たちは、ほんのわずかでも自分たちの体験を語り継ぐ為に、
    ホームページで調べたり、身近は地域での防災体制を調査したりしています。
    生徒は3年生なので、これからどれだけ深まるかはわかりませんが、
    3月には発表会を行って、他学年の生徒にも語り継ぐ予定です。


    神戸での出来事とその後の神戸の人々を知った者には、
    自然と人に伝えたくなる使命感が湧いてきます。
    本当に風化させてはいけないのだと感じます

    神戸の人々を哀れむのではありません。
    私は逆に神戸の人々から勇気を与えられた気がします。
    どんな悲しみでも挫折でも、神戸の人々の体験には比べものになりません。
    自分の人生を根底から問い直させられます。

    本校でも現1年生が2年後の修学旅行で神戸を訪れることに決まりました。
    職業柄、広島のことも関心があります。
    ずいぶん前の、NHKの番組だったと記憶しているのですが、
    ドキュメンタリーの中での老女のセリフが忘れられません。
    次のような言葉でした。
    「広島を歩くときは静かにあるいてつかあさい・・・」

    <2000年11月29日/メールで>
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    危機管理 「使える学問」として教育現場に
    芦屋市 谷林正紹(高校教諭 37)

    あの阪神大震災から5年が経ち、
    人々の頭からすっかり忘れ去られてしまったような今日この頃だが、
    実際に体験した人の心には一生残っていくものだろう。
    この本を読んで、記述と自分の体験が重なり合って、
    次から次へと鮮明な映像や感覚がよみがえってきた。
    忘れようと思っても忘れられない強烈な印象である。

    しかし、やはりそれは私が経験した範囲のものでしかない。
    地震直後からの様々な情報により、
    各地で悲惨な状況になっていることは知っていたが、
    他人事として見ていたかもしれない。

    私の場合、食料の買い出しや水汲みの行列など、
    その後かなり大変な生活を強いられたが、
    自分の身内や知人に死傷者が出なかったこともあり、
    「たいした被害がなくてよかった」
    というところで終っていたことに気づかされた。
    恐らくそういう人も多いだろうと思うが、
    実際には心に深い傷を負った人がたくさんいるのである。

    人それぞれに阪神大震災に対する思いが違うのは事実である。
    しかし、あの時、地震に遭遇した人には心の中に、
    言葉には出来ない何か共通の思いというものがある筈である。
    人と人の心のつながり、
    協力がいかに大事かも身をもって知ったはずである。
    そういったことを多くの人に伝えなければいけないという
    著者の思いは同感である。

    また、著者がくり返し書いている
    「あの時もっと何か出来なかったか。もっと良い方法はなかったか。」
    という言葉は耳に痛い。
    実際あの時、自分としては結構いろいろ動き回って
    大変だったという思いを持っているが、
    周囲の人にもっと何か出来たのではないかといわれると、その様にも思えてくる。

    しかしながら、今となっては当時に戻るわけにはいかないので、
    今後の課題として重要なのは、
    この記憶を風化させないことだと思う。
    そして、本書にあるとおり、その現場に居合わせた人だからこそ、
    伝えられることを確実に伝え続けなくてはいけない。
    そのためには、自分の経験だけで物を言うのではなく、
    全体像を正しく理解しておく必要があるだろう。

    その点、本書は阪神大震災のいろんな面が
    コンパクトにまとめられていて、わかりやすかった。

    また、中に収められている手記を読むと涙が出そうになる。
    どの手記にもさりげない言葉の中に、
    その人に対する思いがあふれていて感動的である。
    こういう文章を若いうちに読ませることは大事だと思う。

    そして平和になれすぎた日本人にとって、
    危機管理意識を持つことの重要性も強調されていたが、
    机上の学問ではなく、実際に「使える学問」として、
    教育現場でもとり上げるべき問題だと思う。

    「命の大切さ」をどう教えるかということ、また、
    「ボランティアの重要性」なども最近クローズアップされてきているが、
    阪神大震災はそれらをすべて含んだ
    貴重な体験教材であるということを改めて実感した。
    震災直後には生々しすぎて使えないと思っていたが、
    だんだん忘れ去られていくような状況の中で、
    今こそしっかりと取り上げるべきだと思った。

    そういう意味で、この本は良いテキストだと思う。
    個人的には報道現場の様子もうかがえて興味深かった。
    <2000年3月28日/手紙で>
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    研究せねばならない問題まだ多い
    神戸市 高橋 眞一 (神戸大学経済学部教授)

       ・「命を救うネットワークづくり」(35ページ)資料提供

    読み終わって、
    あのときに脳裡に刻みつけられた状況が
    またはっきりと浮かび上がります。

    著者ご自身の経験をふまえて書かれているので、説得力があり、
    私にとっては学生の犠牲がとくに心に残ります。
    助かったのはほんとうにちょっとした偶然であり、
    また、重い偶然であるということをつくづく感じます。

    神戸にいる私たちも、震災経験を伝え続ける必要があります。
    研究せねばならない問題はまだまだ多く、
    これからも研究を続けていこうと思っていますし、
    心の奥のなにかがそうすることをすすめます。

    できれば、地味ですが、
    震災研究についてもっと多くの研究者を加えて、
    本を出してみようかと思っています。
    <1999年3月5日/手紙で>
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    被災地発の研究を続ける
    京都市 岩崎 信彦(神戸大学文学部教授/社会学)

     ・神戸大学震災研究会世話人
     ・被災地の住宅復興の研究などを続けている
     ・第4章「助かった命 失われた命」(34ページ 参考図書欄)

    震災関係の本の中でも
    いろいろな意味で屈指のものだと思います。
    また、広島と重ねたことや
    51ページ〜52ページの、
    それぞれの辛い体験をそれぞれに認めあえることが大切、
    という叙述はとても有意義に思いました。
    <1999年3月14日/手紙で>
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    知ることで想像力もつことできるんだ
    東京都稲城市 匿名希望 (高校教諭)

    ちょうど修学旅行の引率で(女子高の教師をして数年になります)
    長崎から帰ったばかりなので、なおさら心にしみました。
    東京で忙しく暮らしていると、
    毎年1月17日以外は神戸のことを心に浮かべることもなく、反省させられます。
    この本を読んで、神戸の震災を過去のこと、
    今更のことにしては絶対にいけないと感じました。

    神戸大学の追悼手記には涙が出ました。
    命を落とした人ももちろんのこと、
    助けようとして助けられなかったお友達も、
    今もどんなに心痛めているかと思います。
    住田さんが、
    「大切なのは、人が亡くなった現場を記録に残し、伝えていくことだ」と、
    お書きになっていましたが、本当にそうだと思いました。

    修学旅行の最終日、
    長崎の原爆資料館で生徒達と「平和講演」というものを聞きました。
    被爆者の方が、
    自分の親友の遺体を自分の手で焼いた話などを語ってくださいました。
    生徒達の感想文を見ると非常にショックを受けたようですが、
    原爆が過去のものではないと実感した、
    生きていて本当にありがたいと思った、
    などと、心から感じたようでした。

    実際に被害に遭った人の気持は分からなくても、
    お話や記録を知ることで、少しでも想像力をもつことはできるんだと
    私も実感しました。

    そのほかにも、いざというときどうすればよいか、
    など、想像もつかないので、とてもためになりました。
    生徒達にも教えようと思います。
    〈1999年5月22日/メールで〉

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    本を閉じ、涙した
    愛媛県松山市 津田 光一(大学教官)

     関西方面に旅行する時には必ずと言ってよいほど神戸からの船を利用していましたので、家族づれで三宮をぶらぶらした思い出があり、「8章心の傷を乗り越えて●街を失った悲しみ」(p.70)に出てくる住田さんのお母さんがしばらくは三宮へ行きたがらなかったという気持ちが(思い入れの深さは違いますが)分かります。あの、おしゃれな街がむざんな姿になってしまったわけですから。

     「6章語り継ぐこと●どうしたら人の痛みを分かちあえるか」で住田さんが広島についてどのように番組を作り上げて行こうかと苦労された部分や「8章心の傷を乗り越えて●私にとっての1月17日」で住田さんが自責の念に襲われる部分が、p.24の工学部3年坂本君の「もうええから逃げてくれ」という言葉と重なって、自分自身が直接タッチした問題でもないのに苦しくなって思わず本を閉じてしまいました。  しかし、表紙を閉じてしばし「亡くなった友人の冥福を祈る」カラー写真を見ていますと涙が出てきて、人の死というものの「重さ」が感じられて……。

     「はじめに」は黒磯で起こった中学生による殺傷事件のことから始まっています。住田さんのこの本は、阪神大震災についての本なのですが、読んでいくと、自然にこのような殺傷事件が二度と起こらないようにする為にはなにが必要なのかを教えてくれています。教育者として教えられる所が一杯ありました。

     現在マンションに住んでいますが、防火責任者の方には是非毎年読んで行ってもらいたいと回覧に出すことにしました。ちなみに当方は昨年度の防火責任者だったので、消防署で講習を受けたのですが、「ある事業所では、決められた責任者を選定していない上に防火訓練をしていなかったから懲役何年になった」などという話を2日も聞かされました。その中で、肝心の地震についての注意事項はなにもないに等しいものでした(起振車には乗せられましたが)。

     各章の最後に上げてある参考図書・資料には、貴重な文献や webのサイト情報がたくさん載せられているので、自分の許す範囲で本は購入し、webのサイトの方は Book Markしておいて、特に大切だと判断したらリンクの許可をもらって、当方の研究室の HPからもリンクを張っておきたいと考えています。とにかく、伝えてゆくことが大切なのですから。<1999年7月7日/メール>

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    総合的学習の教材になる
    匿名希望 (神奈川県 市立中学校教頭)

     この本は、平成14年度の教育課程改訂の目玉「総合的な学習」の教材になると思う。総合学習というのは、社会との関わりを体験重視で学んでいくものである。本校では、職場見学・職場体験をとおして学んでいる。
     大筋のテーマは、環境・福祉・情報・国際交流となっている。この本は、それらのどのテーマにもなりうる。きっかけ作りとしては、最良のものだと思う。さらに、章末の参考資料一覧で情報の共有が図れるシステムになっているところが良い。パソコンを使っての検索は、生徒のもっとも興味のあるところだと思う。  内容面では、他者の心の痛みを自分も知ること、遠隔地でおきた事件事故に想像力をふくらませること、また地域作り・人づくりに力点が置かれ書かれている点が良い。
     ただし、これらをうまく使いこなせる先生をまず育てなくてはいけない。こんなに良い材料をきちんと調理できる先生が今は少ないのが残念だ。
     この本を基にして、討論会が開けると、総合学習の最大の収穫になると思う。<1999年2月20日/談>

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    神戸大の悲しみ伝わった
    神奈川県 石井 茂 (元大学教官)

     すみずみまで読みました。慈愛に満ちた文章ですね。在京メディアでは伝わらなかった人々の記録をこのように伝えた意義はとても大きいと思います。神戸大学の学生の話は今まで知りませんでした。親御さんの心いかばかりかと思います。私も大学で教鞭をとっておりましたので、ゼミ生を失う悲しみはよくわかります。また、神戸大学の教授たちの、震災に対する責任感の強さには感心しました。  写真や図をたくさん使って、著者の文章をより引き立てていますね。  たくさんの人々に生徒にこれを広めたいですね。できれば、どこかの外郭団体がスポンサーになって、学校へ安価で提供するようなルートが確保できればよいのに。  著者の職業柄もあると思いますが、よくこれだけの事実を取材して、書き留めてくださった。心を打つ一冊です。<1999年2月10日/談>

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