一読者として、また同じマスコミ人として、感銘を受けましたので、
さっそくメールを送らせていただきます。
1995年1月17日のできごとを忘れてはいけない…
ということを改めて思い出させていただきました。
ちょうど、あの日、私は松山市(愛媛県)の実家で過ごしており、
寝床でかなりの揺れを感じました。
東京ですら、あんな大きな地震を体験したことはありません。
でも、まさかあんな大惨事になろうとは思いもつきませんでした。
朝になり、テレビのニュースで、神戸の街が映し出され、
次々と死傷者の数が報道されるのを見ても、なかなか信じられませんでした。
その段階ではまだ、どこか遠い世界のこと…という気持ちで、
ただただ茫然とニュースをながめていたように思います。
数日たち、ボランティアの人たちがいろいろな形で支援をしているニュースも耳にし、
私も何かできれば…という気持ちになりました。
寝袋をしょって、食料や衣類を抱えて、神戸にとんでいった友人もいました。
私は、「避難所の人たちは、下着が足りなくて困っている」という情報をキャッチしたので、
わずかながら暖かい下着を送らせていただきました。
それが、そのときの自分にできる最大のことでした。
数日後に知ったことですが、亡くなった方の中には、
当時私が勤めていた会社に、4月に入社予定だった
神戸大学の学生さんもいたそうです。39人の中の1人の方なんですね。
「人の痛みをわかちあう」……本当に大切なことですね。
いまなお、心の傷がいやされない被災者の方々は大勢いらっしゃることでしょう。
少しでも、心を寄せることができれば。と願っています。
それには、住田さんがおっしゃるように、
「語り継ぐ」ことが大切なんですね。
体験していない私たちも、私たちなりに、
できることをしていきたいです。<1999年7月9日/メール>
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