白木健介さん
昭和48年3月30日
当時:神戸大・経済学部II 3年 大津ゼミ所属予定
硬式テニス部
被災地:神戸市東灘区御影町郡家大蔵16
出身高校:兵庫県立神戸高等学校
執筆:白木朋子さん(母)
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今でも謝りつづける毎日
あの日から、五年の歳月が、流れていきました。この五年という年月は、待てど暮らせど帰ってこない息子の死を、現実として受け止めるには、充分過ぎる程の期間でした。涙で溢れた道を、多くの人に支えてもらって、ここ迄歩いてこれました。
地獄の苦しみは、軽減したものの、いつ帰ってきてもいい様に、好物を用意して、待っていた時期は、虚しさで埋め尽くされ、息子の為に、何もしてあげられなくなったという、もどかしさと、絶望感は、日毎に、募っていくばかりです。五年経った今でも、あの朝の光景は、まるで昨日の事の様に、脳裏で繰り広がり、あの日は幻であって、何卒、夢であって欲しいと、願ったことも、今では何の慰めにもなりません。あの朝、何がなんだか解らない、突然の大きな揺れに、朝食を作っていた私は、坐りこんだまま、ふっ飛んでしまいました。主人共々、真暗やみの中で、放心状態でいた時、奥の部屋から、「大丈夫?−」という娘の声がして、「ああ娘は無事だ」。途端に、正気に戻って、「兄ちゃんは?兄ちゃんはどこに居るの?」大騒ぎになりました。既に、その時、息子は絶命していて、起こしてあげる約束の六時を、とっくに過ぎていました。
「約束したのに、起こすことが出来なくてごめんネ。かけがえのない生命を守ってあげられなくて、本当にごめんなさい」。五年経った今でも、ずっと謝り続けている毎日です。
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