上野志乃さん
昭和49年5月19日
当時:発達科学部2年
マンドリン部
被災地:灘区琵琶町3−7−6 ニュー六甲ビラ101
出身高校:兵庫県立龍野高校
執筆:政志さん(父)

 

遠く旅たち、無念の一語


 今なら、どこかで染織の技を磨いているはずです。突然で夢にも会えないのです。
 きっと、どこかに避難していると信じていた一月十八日早朝、瓦礫を除けて発見した無言の娘、その時の光景が焼きついています。
 「一歩一歩を大切に生きていきたい」という二十歳の誓いの言葉を残し、歩み出さないまま遠い世界に旅立ち、無念の一語に尽きます。
 三年経ち、五年がやってきても、この思いは変わりません。我家は、田舎の一軒家。春には、タンポポいっぱいの畦道を大好きな猫(プウ)と散歩する姿、夏、母の故郷、屋久島の海で子ども達と波で戯れる姿、秋には月一回ペースで帰省しては、ここが我家だぁと縁下で、のんびり寝そべっている姿、冬、列車に遅れるぅと朝寝坊が、父に「送って」と遠慮がちに催促に来ていた姿、一コマ一コマが浮かんできます。
 志乃を亡くした最大の出来事も、「平凡こそ幸せ」の思いに、また親しい人からの言葉かけに傷ついた体験は痛烈で、言葉の重みやその大切さを実感したこと、話を聴いてもらい心の癒しになったことで、他人の話をじっくり聴く姿勢の大切さ等、多くを学びました。
 毎月一回、十七日前後の神戸への慰霊、六甲道のアパートと神大の慰霊碑に季節の香りを届け、お参りしています。
 季節感のわかる花木を碑の周りに植えたい。娘たちに代わる成長の証しを見届け、訪れる励みや喜びにしたいと、いつも思うのです!(実現するにはどうすれば・・・)
  


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