磯部純子さん
当時:神戸大・教育学部初等教育4年
被災地:神戸市灘区備後町2ー3 岩田文化
執筆:洋子さん(母)

 

月日はありがたいけど、残酷


 当時は四年生で、これからどうするかいろいろ悩んでいる時期でした。
滋賀に住んでいるので、神戸の街が復興してゆく様子はみていませんが、年に一度、神戸の大学あたりに行くと、何もなかったかのように戻っています。目に見えるものは復興するけれど、多くの人は悲しい思いをしているんだということを思いますねえ。「なんでやろう」「なんでこんなんなったんかな」という気持ちは消えません。
 でも、普通どおりの生活を送るという形にはなっています。震災から時間が経って、家族もいるし、一日中泣いてばかりはいられない。いつも純子には語りかけています。
 ・・・娘に笑って、話しかけられるようになった。五年経って、家族、友人に励まされ、慰められ、なんとか乗り越えてこられました。いつも「楽しくやってるよ」って、娘に言えるように生活しています。やっとこの頃、そうやって言えるようになりました。でも、十七日が近づくとやはりつらいし、いろいろ思うことがあります。親として、子供に、先に逝かれるのが一番つらいです。悲しい気持ちはもちろん今でもありますけど、いつまでもそれに縛られっていうのも、ねえ・・・。風化は仕方ないことでしょう。覚えていてほしいとも思いません。人の気持ちも、時間が経てば、落ち着いてくるものなんでしょう。
・・・月日はありがたいけど、残酷でもありますね。でも、これが、生活しているということなんだと思います。


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