稲井健太郎さん
昭和47年10月1日生まれ
当時:神戸大・医学部4年
医学部合気道部
被災地:神戸市灘区高徳町1
 立花荘の1階
執筆:道子さん(母)

 

遺品の整理もままならず


 当時、医学部にそれまでなかった合気道部を作って、初代の部長として頑張っていました。もう一人の友人と、部員を集める前から教授に「つくらせてほしい」と頼んだりして、大変だったようです。よく、その話を聞いていました。部員集めも大変だったようだけど、今でも盛んに活動しているみたいですね。毎年、お知らせのはがきをいただいて嬉しく思っています。

 友人から「姿が見えない」という知らせを受けました。それから慌てて夕方になってから行って、行くのも大変だったんですけど、その日のうちにはわからなかったんです。十九日になって、主人が下宿の子供を見つけて、二階の床を開けたんですけど、そうしたら子供がベッドに横たわっていたんです。見つかってからも、学校の理科室のコンクリートの上で、毛布一枚の上に寝かせなければならなかったのはかわいそうでした。でも、主人が見つけてやれたというのが唯一の救いです。・・・仕方のないことだけど、父親の手で、出してやれたのは子供にとってよかった。

 気分を紛らわそうと、ボランティアに行き始めました。児童問題に取り組んだり、手話を勉強したり・・・。それが最近忙しくてね。息子のために行っていた八十八ヶ所のお参りや、遺品の整理がままならないんです。最近では子供のことをゆっくり考える時間がなくなってしまいました。子供は「お父さん、お母さんが元気で頑張ってるのがいい」って思ってるのかもしれないですけどね。

 震災から五年経って、「忘れたい」という思いから、「もっと考えてやりたい」と思うようになりました。「忘れたい」と思って始めたボランティアですが、最近忙しくなって、あせりとか、申し訳ないという思いというか・・・。毎日、仏壇に向かってその日にあったこととか、「今日はこの約束守れなかった」とか、いろいろ話しかけているんですけど、最近、ゆっくり時間がとれないんですよ。なんか申し訳ないなと思ってね。そろそろゆっくり向き合って話したいなと、思っているんです。


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