神徳史朗さん
昭和47年10月13日生まれ
当時:神戸大・工学部土木学科3年
自由劇場
被災地:神戸市東灘区甲南町4ー1ー12 玉谷荘甲南
出身高校:長崎県立長崎南高校
写真:後列、左から3人目
執筆:逸郎さん(父)
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たまには会いに来て
中学卒業と同時に、大学進学という、高い目標を持って、親元を離れ、下宿生活をしながら、精いっぱいの努力をして、あこがれの神戸大学に合格する事ができ、家族一同大喜びしたのが、昨日のことのように思い出されます。
息子の将来に大きな期待をしたものでした。
その夢が、一瞬に消え去ったのです。このまま立ち直ることができないのではないかと思う程の衝撃でした。そんな私達を救ってくれたのが、災害後、知り合った、神戸での友人、知人の、息子を思う暖かい心と、はげましの言葉でした。尼崎の叔父の家での通夜には五十名近くの人が集まり、初盆の時には、はるばる、西の果ての五島列島まで、二十八名の友人が、墓参りに来てくれました。さらに、昨年夏には、七名の方が改めて訪ねてくれました。その他折にふれて、電話や手紙をくれ、私達をはげましてくれます。その内の何人かの人は、結婚もし子供を授かった人もいます。
皆さん社会人として立派に成長し、ずい分とたくましくなり、息子の姿と重ね合わせてうれしく思っています。
又、震災の直前まで、家庭教師をしていた小山さんの母子には、神戸から遠く離れているため情報が入らず、折にふれて連絡を頂き、大いに助かったものです。その後もお付き合いをいただき、一昨年の夏には、墓参りにも来ていただきました。
さらに、同じ神戸大学の被災学生、工藤純さんのお母さんには、三年余の間、自費発行の『THE 17TH』を送っていただき、被災の状況は違っても、親の悲しみは同じだということを、実感し、皆さんに負けないようにと、元気づけられました。
せっかく、息子が会わせてくれた方々です。これから末長く、お付き合いをお願いしたいと思っています。
あれから五年になろうとしていますが、これから先も決して、忘れる事はありません。朝夕墓前に線香をたむけ、たまには会いに来てくれる様に、頼んでいるが、忙しいのかなかなか夢に出てきません。
親より先に逝った不孝で、会わせる顔がないのではと、得心しています。
神徳逸郎
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