桝冨浩二さん
昭和45年5月20日生まれ
当時:神戸大大学院自然科学研究科博士前期課程1年
混声合唱団アポロン
被災地:神戸市灘区篠原南町1ー6ー12
出身高校:山口県立宇部高校
執筆:夫佐子さん(母)

 

心の悲しみ
解ってもらえますか


 あれから早五年、一日たりとも忘れる事の出来ない悪夢の日々です。が余り悲しんでも生きてはいけません。心の傷はいつの日癒える日が来るのでしょうか。思い出せば十九日早朝六甲トンネルをぬけ眼前に立ち登る黒煙悪臭何と生き地獄と化した神戸の街並、美しかった桜並木はどこえ・・・我が子をさがしてアパートへ”ガレキ”の中に足先だけがかすかに・・・ろう人形の様に青白く”残酷太い梁を胸に受け”後日プレート上で一メートル直下だと伺った。傷ついた何百体もの遺体が次々と運ばれて、検死を待って、涙する人とてない此の平和な日本のいや、平和だった人々がどう想像する事が出来るでしょうか。”安置所の寒さ”が私には一つの心のささえでもありました。遺体が我が子が無事家に連れて帰る事ができる様にと、他の方の悲しみさえも忘れて、一心に祈りました。天災、人災比較は出来ませんが、マンション、ビル、阪神高速・・・・・・木造家屋何の変わった所がありましょうか、何が木造、日本家屋が悪いのですか?マンションなら、鉄筋鉄骨なら生きられたのでしょうか?私はどうしてこの様に皆多くの方が思われるのか、旧家でも新築でも、未曾有の被害の時耐えることでしょうか。被害を眼で見て体験して?同じ年頃の方を見るにつけ、生きていてほしいと、朝夕遺影に向かって手を合わす此の心の悲しみおわかりいただけますか。  


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