傅 建鴻(フ ケンコウ)さん
当時:神戸大・工学部・機械工学研究生
出身国:中国
出身大学:河北広播電視大
被災地:神戸市灘区神ノ木通3−4−2 東神荘2号
母 志斌(モウ シビン)さん
当時:神戸大・工学部・自然科学研究生
出身国:中国
出身高校:ハルピン工学院
被災地:神戸市灘区徳井町4−3−7 斉木荘
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決して 風化させてはならない
談話=森脇俊道教授(工学部機械工学科知能機械)
傅君は前年の四月から工学部の研究生として留学してきた。院試に合格し、希望を持っていた矢先の震災だった。
傅君は消防署の近くに住んでいた。まさかこんなことになるとは・・・。
傅君と連絡がとれなくなり、私は灘区内の避難所を転々と探し回った。しかし、傅君はどこにもいなかった。一番初めに行った区役所に戻ってみると、会議室で、毛布にくるまれて横たわっていた。
母志斌君は王子公園の近くに住んでいた。死亡が確認されたが、私はご家族と連絡がとれなかった。
火葬場がどこもいっぱいで、母君の遺体は岡山まで運ばれることになった。遺族が乗っていたバスの中で、「母志斌君のご家族の方、いらっしゃいますか」と叫ぶと、一人の女性が泣きながら、「私は姉です」と立ち上がった。
二人とも、やる気があり、大変真面目な学生だった。本当に、惜しいことをした。
震災のことは、今はしょっちゅう話題になることはないが、決して風化させてはならない。
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