加藤貴光さん
昭和48年12月20日生まれ
当時:神戸大・法学部2年・木村ゼミ
ISA国際学生協会
被災地:西宮市安井町5ー20Nマンション207
談話:加藤律子さん(母)
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戻ってこない現実を認識
五年経っても、まったく気持ちは変わりません。当時は時間が過ぎれば楽になれると思ったのですが、二年、三年と経つにつれ、戻ってこないという現実を認識してしまいました。今では、何をやっても空しいのです。
友人が以前、「加藤は平和のために国連で働きたいと言っていたから・・・」とアパートのがれきをユーゴスラビアに持っていって、桜の木と共に埋めてくれました。今、その桜の木も結構大きくなっているらしいんですけど。そういうきっかけがあって、98年4月に、ユーゴの子供を招いて交流会を開催したんです。「あの子と一緒にやるんだ」っていう、その時は、生きる希望が見えました。バーベキューやパンフルートの演奏など、多くの人の協力を得られ、感動的な交流会になって大成功でした。しかし終わってみると「これをやったからといって何になるんだ」「あの子は結局ここにはいない」ということを思い、虚しい気分に襲われました。
いろんなことをやりたいという子でした。だから今、この地球に生きていられないことがかわいそうでしょうがないんです。私は「あの子の代わりに・・・」と思っていろんなことをするんですけど、結局、私はあの子になれないんですよね。
私もいろんなことを頑張って前向きに生きたいけれども、終わったらまた虚しさが襲ってくる、という怖さが一方であるんです。毎日、何をしたらいいのかわからない、地団駄を踏んで身もだえしている。日々そういう葛藤の繰り返しです。
一九九九年十二月二十日で二十六歳になったんです。二十一歳から二十六歳の間っていうのは自分のビジョンを形成する時期で、きっと貴光も生きていれば変わっていただろうなと思うんです。友人を見ても、就職したり進学したり・・・。でも、あの子はいつまでたっても二十一歳のまま。そこでストップしているんです。何よりそれが、虚しいし、寂しいし、無念だし。・・・あの子を返してくれるなら私は切り刻まれても構わない。一年目とは違うこの苦しみを、どう表現したらいいのかわからないです。
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