二宮健太郎さん
昭和48年6月9日生まれ
当 時:神戸大・法学部2年
テニスサークル「ビッグアップル」
被災地:神戸市灘区友田町4−1−19 村上文化住宅
出身高校:千葉県私立市川学園市川高校
下写真:左
執筆:二宮博昭さん(父)
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果たせなかった人生を 生きてやろう
一九九五年の震災から早や五年が経とうとしている。神戸大学法学部の二年生だった息子は、独立心の強い、明るくやさしい人間だった。大学生活の前半は思い切りエンジョイしたかったらしく、テニスやバイクに入れ込んでいたように思う。私が出張のついでに灘区友田町の下宿を訪問すると、必ず食べ物を用意してくれていて、二人でビールを飲んだ。テニスサークル「ビッグアップル」の会長として、仲間全員とうまくやっていくことへの苦労話を多く聞かせてくれた。
突然何もかもが異常であり、その異常の中で、息子健太郎の死を突きつけられ、受け入れざるを得なかったあの日、正常な感覚を失い、ただ茫然として、硬直した息子のそばに居続けたあの日、正常に戻れば解放されるでもない痛みに長い間襲われ続けた。
人の命のはかなさと尊さを心の底に思いながら、私は健太郎と約束をした。健太郎が果たせなかった人生を、少しでも多く、残された我々が生きてやろう。一緒に生きよう。そして彼と共に生きるこの人生を、より充実したものにしよう。そこに我々の人生のエネルギーを見出し、今は人生への強い執着を感じながら、約束の履行を続けている。
みずからの腹を痛めて産んだ健太郎を一瞬にして失った妻は、母親として私と違った感覚で死を受け入れたに違いないが、今は心を落ち着けて彼の死を語るようになった。
神戸大学が本部前の庭に慰霊碑を建て、四十一名の名前が刻まれたことで、私たちは心の中の大きな拠り所を得たと思う。あてもなく神戸の町を歩き、息子の下宿跡を訪ねても、当時の面影は日々薄れてゆく中で、慰霊碑はしっかりと私たちの訪問を受けとめてくれる。
また、神戸大学都市安全研究センターの「震災犠牲者聞き語り調査会」が大きな努力をはらって調査記録を作り続けていることに、頭が下り且つ感謝する今日此頃である。
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