三枝(さえぐさ)秀彰さん
昭和49年5月9日生まれ
当 時:甲南大・文学部社会学科
被災地:神戸市東灘区森南町1ー13ー7 第5岩草荘8号
出身高校:香川県立小豆島高校
執筆:秀樹さん(父)
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「なぜ、どうして」 結論は出ず
平成七年一月十七日午前五時四十六分に発生した大地震は、当時甲南大学二年生だった秀彰の若い生命を瞬時に奪ってしまった。この日は私や家族にとって、生涯忘れられない、また、忘れてはならない日となった。あれから早いもので、まる五年が過ぎ去った。しかし、今も心のわだかまりはとけることはない。なぜ、どうして死に至らなければいけなかったのか?何回、何百回、何万回問いただしてもその結論は今だに出てこない。
親が言うのもおこがましいが、秀彰は人から後ろ指をさされることもなく、友人からも親われその行動はまじめ一筋であった。大学受験のため勉学にも精を出し、念願の甲南大学に合格した時は小躍りし、喜んでいた姿は今も脳裏に焼きついている。入学後、都会の水にも慣れ、水を得た魚のように学生生活をエンジョイしていた矢先のこの悲劇、親としての言葉が見つからない。志半ばにして逝った秀彰を、私達周囲の者はただあきらめるしかないのだろうか。もう秀彰はこの世に存在しないと自分で言いきかせ、納得しようと努力していながらも、心中はまだ学生のままの姿で島へ「ただいま。」と言って元気に帰ってくるような、そんな錯覚さえ今だに覚える。
神戸の町も復興に向けて前進している。前進は犠牲者にとって供養でもある。微力ながら協力していきたい。さしあたっては、甲南大学校内に、亡くなった教職員、学生の氏名銘記の碑を建立すべく、その実現に向けて前進する所存である。
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