小林雅人さん
昭和48年12月15日生まれ
当時:甲南大・法学部2年
被災地:神戸市東灘区田中町3−6−11
出身高校:福崎高校
執筆:一郎さん(父)
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元気でいたら26才
阪神淡路大震災・・・・・・思いもかけない事態が発生し私たちの一人息子を奪い去って行きました、「このような言葉を口にするのも又耳にするのもたまりません。」しかし今回このような機会を頂きましたので筆にします。
天災とはいえ私たちは途方にくれ当日、息子に連絡が取れないまま被災地に行きました、神戸でのその状況は今も脳裏から離れません、電車や道路が寸断されやっとの思いで須磨公園近くまで着きましたが車道は停滞し走行出来る状況では有りませんでした、その場の車中で夜を明かし夜明けとともに徒歩で行くことになりました。途中サイレン音また目の当たりにした黒煙、赤々とした火災現場、倒壊した家屋やビルを横目に下宿先へと急ぎました歩くこと六時間余り、その時の状況は良く覚えていません。やっとの思いで下宿先にたどりつくも無断な様相でした…まさか倒壊した家屋の中に雅人がいるはずがない。朝から電話は不通また家を出る時も同じで、何度も何度も電話するが不通…友人と一緒にいるのか、怪我でもして病院に運ばれたのかまた救援活動に加わっているものとばかり思っていた矢先、大家さんから不幸な知らせを聞いたときの状況は今でも忘れることが出来ません。五年が経過しようとするする今、元気で居てくれたら十二月十五日で満二十六才、大学卒業後は地元で就職し親元とに居てくれるはずだったのに今この様な淋しい事態になろうとは私より亡くなった雅人の方が残念だろうと思います。
いま思えば高校進学時に本人は工業系を望んでいたのに、私たちは大学進学校をなぜ進めたのか我が身を攻めるばかりでした。幸い遠方の大学時代の沢山の友人が私たちを励まして下さいました、今は立派に成人され社会人として頑張っておられる様子なによりも嬉しく思います、どうか雅人のぶんまでも幸福になって頂きたく願っています。
雅人どうか安らかにお眠り下さい。…と言えるようになりました。
家族みんなで力を合わせ頑張って生きて行きますご安心下さい。
今回の追悼手記をお世話下さいました学生の皆様この機会を頂き感謝とお礼を申し上げます。
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