川尻義博さん
昭和46年8月4日
当時:甲南大・法4年・酒井ゼミ
軟式庭球同好会
被災地:芦屋市清水町2−9 竹田文化201号
出身高校:広島県立井口高等学校
執筆:詔子さん(母)
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息子の分まで 頑張って生きよう
一月十七日が近づくと、新聞紙上で震災の記事が目に付く様になりもう五年も過ぎたのかと思ったり、まだ5年しか経ってないのかと複雑な気持ちで一杯です。
息子義博は芦屋の下宿先のベッドで亡くなり、十九日の朝見つかりましたが、まだ信じられません。今でも、実家を離れ元気で仕事に頑張っているような気がします。今年で二十八歳になりますので、彼女を連れて帰り結婚し、幸せな家庭を作っていると思います。こんな事を考えると悔しくてたまりません。
息子は、三人兄弟の三男として生まれ、小、中、高校と野球に明け暮れ、大学でテニスを始めそこで、大勢の友人に恵まれ充実した四年間を過ごし、本当に幸せだったと信じています。二十三歳という短い人生で終わり残念でたまりませんが、楽しい大学生活が送れた事がせめてもの慰めです。
これからも私達は、息子の分まで頑張って生きていこうと思います。平成七年一月十七日は、一生忘れることのできない日となりました。芦屋市で、毎年行われる追悼式には出席し、下宿先に行ってみますが、まだ更地のままです。
一日も早い復興を、お願いします。
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