藤本恵美さん
昭和47年6月18日生まれ
当 時:甲南大・理学部生物学科4年
被災地:神戸市東灘区本山中町2ー4ー7
出身高校:兵庫県立小野高等学校
執筆:しげるさん(母)
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あの時 連れて帰っていれば…
たまたま妹の大学入試センター試験を神戸大学で受けるために、十五日は恵美の下宿に泊まりました。十六日は妹を神戸大学へ見送って、いっしょに実家へ帰るものと思っていました。卒論のキノコの研究の都合があったのか、あの忌まわしい十七日の朝は最も犠牲者の多かった東灘区の下宿で睡っていたのです。無理矢理にでもあの時連れて帰っていればよかったのにとの思いは五年たった今も変わりません。
今回この手記を書くにあたってあらためて、田中先生、友達の皆様からいただいた研究室だより等を読みなおし大勢の方から愛され親しんでいただいていた様子に涙を流しております。手料理や家で咲いた花を研究室へ持っていく等研究室のお母さんと呼ばれたり、生物が好きで実験に夢中になりキノコの研究に心をひきつけられていたようです。生涯の職業にと思っていたようで親もたのしみにしていたのですが、命は無くなっても何か記録に残るものがあったらと思いお返事をするつもりでしたが、十月八日に恵美を慈しみ育ててくださったおばあちゃんが九十一歳でなくなりました。(煩雑さにまぎれて遅くなってしまい、申し訳ございません。)
今は父母妹の三人暮らしで、さびしい年の瀬を過ごしております。あの一月十七日がなかったら、恵美がいたら今頃はと思いますが、後を見てもしかたがないことです。前向きに、また大勢の家族になることを願って筆をおきます。
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