西部直行さん
昭和46年5月2日生まれ
当時:関学大・法学部4年
軽音バックスバニー、全関映
被災地:西宮市上ヶ原4番町 奥田荘
出身高校:広島県立広高等学校
執筆:静子さん(母)
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出てくる言葉「ごめんね」
夜が明けるのが遅くなると、若くして親に黙って、親より先に逝ってしまった息子、直行のことが、一段としのばれてならなくなります。お手紙をいただいて、その中に関学十五名の命と書かれているのを見、改めて、どうして我が子が選ばれたのか、その十五名の中に入っているのだろうと悔やまれてなりません。未だに、息子は今どうしているのかと馬鹿な思いに、とらわれていることがあります。なぜこの家にいつまでも帰ってこないのだろうと・・・。友人達に西部さんの部屋にいくといつも暖かな流れがある。知らない同士も友達にすぐしてくれていました。楽しかったと聞かされました。実家から離れた下宿生活は、さぞ自由で大勢の仲間に囲まれ楽しい生活を送ったようです。でも本人の口から、今聞きたいものです。電話でも、手紙でもいいのに・・・。二十三歳でこんなに早くに別れがくるのなら、まだまだ親として、してやることがたくさんありました。又、してもらいたいことがたくさんありました。
今はあまりにもむなしい・・・。よく子供に先に逝かれた親達が「今まで生きててくれてありがとう」と言われているが私が未だにそれが言えない「ゴメンネ直行」「ごめんね直ちゃん」この言葉ばかりが口をついて出てくる。朝、晩仏壇に手を合わせ、お経を唱える。そして帰ってこれないかな−。なんて思うのである。私はまだまだダメな親であるらしい。あれから五年、年がたつごとに悲しみは深くなっていくのです。
交通事故等、若い方がスピードの出し過ぎで亡くなったりするのを耳にします。ちょっとしたことで殺されることを聞きます。若い皆さん命を大事にしていただきたい。一生懸命育てた親の気持ちをよく考えてほしいと思います。
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