松尾麗華さん
当時:龍谷大・法学部2年
被災地:芦屋市呉川町10ー4
写真:中央
執筆:兼徳さん(父)

 

心の底に渦巻く悲しみ


  愛娘を失い、震災取材には一切沈黙を守ってきた。心の底に悲しみが渦巻いていたのであろう。写真には震災二日前の娘の成人式の姿(写真中央)である。この日は、自分に送られてきた『下関のフグサシ』を「お父さん晩酌に食べてね」と言った。それが娘の最後の言葉である。
 大震災当日は、娘は翌日の法学部の後期試験で東灘の家に宿泊していた。私は五日前に撮影した恩師の祝賀会のビデオを見ていた。突然、ド・ド・ド・ドーという地鳴りと共に床一面にガラスと家具が飛び散った。急ぎ東灘の家に電話したら呼び出しベルが鳴っている、良かった無事だと思った。外に出るとお城の様な前の家がなくなっていた。
 その日は家の下敷になった人達の救出である。翌朝、小学校校庭に水をもらいに行き、飛びかう取材ヘリコプターに、救援物資を運べばいいのにと思った。朝九時、物を入れようと開いた紙袋の中にオモチャのような数珠を見た!!その瞬間、娘が呼んでいると思った。水を握り飯を持ち東灘の家に走った。二階建の家が一階となり、娘は近くの公民館の床で永遠の眠りについていた。「麗華、お父さんだよ」と抱きしめていると、大勢の人達が来て、死体は小学校に運ぶと持ち去った。あと一分遅れていたら娘の生死もわからず死体も引き取れなかったであろう。
 その後、どんなに探してもあの数珠はみつからない。あれは娘が必死に私を呼びよせた心霊現象であろう。
 その後、放置された死体を各地で見た。  


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