大学にある慰霊碑の前を通りかかったり、
また学生が亡くなった下宿跡を訪ねたりするたび
時間は違うけど、碑に刻まれている39人と
同じ場所を共有しているんだという
不思議な気分になります。
そうして、亡くなった先輩たちも、
同じ景色やにおいの中で
レポートに追われたり、クラブ活動をしたり、
将来のことについて考えたり・・・。
きっと私と同じような毎日を送っていたんだろうな、
などと、いろいろ想像するのですが、
私が今、ここで死ななければならないという状況は、
どうしても考えられません。
きっと先輩たちも、
1995年1月17日で人生を終わらなければならなかったなんて
思いもしなかったことでしょう。
でも、39人もの学生がここで亡くなったという事実は
多くの資料が示しているように本当の話で
しかも、それはほんの5年前のことです。
5年前、家の下敷きになった友人が火にまかれて亡くなるのを
ただ見ていなければならなかった、
そんな出来事が、JR六甲道の近くであったのです。
震災特集の取材やブックレットなどで当時の状況を知り、
友人やご遺族の思いに触れるにつれ
39人もの学生が亡くなったという事実の重みは
私の中で増していきます。
先輩たちの無念さやご遺族の悲しみは、いかばかりだろう。
同じような災害に見舞われたら、私だったらどうするだろう・・・。
当時、広島の高校生で、
神戸にいなかった私も、
同じ場所を共有している者として
阪神大震災は、もはや他人事ではないのです。
震災の記憶をつなぎとめておきたいと思い
神戸大の震災の記録を残してきました。
「他人事ではない」震災の取材や、そこで感じたことから
私が語り継げる、何かを見つけたことは
とても意義深いことだと思っています。
〈2000年6月5日 メールで〉
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