高校生からのメッセージ《1》

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【写真】倒壊した阪神高速。現代日本建築の安全神話もこのとき崩壊した。(1995年1月18日午前 神戸市東灘区深江南町の国道43号線で)


高校生からのメッセージ《2》

  • 2-3センチの違いで人々は生死を分ける(神奈川県・大木梨絵)
  • 体験に耳を傾け、次世代に伝えたい(神奈川県・松本真衣美)

  • もっと阪神大震災の事を知りたい(神奈川県・山口佳奈子)
  • 魂に耳をかたむける(神奈川県・中戸川かおり)
  • 「誰かきてーっ」叫ぶ女性(神奈川県・市川泰幸)
  • 圧倒的な悲しみのなかで(神奈川県・近江かおる)
  • 今まで、死というものがあまりに遠かった(神奈川県・本川倫子)

  • 電気、ガス、水道がなくなった時(神奈川県・守屋菜穂子)
  • 急に恐くなって鳥肌がたちました(神奈川県・小沢瑞江)
  • 知らなかった「震災関連死」(神奈川県・佐藤晃子)
  • 考えが甘すぎた。少し吐き気がした(神奈川県・山本泰寛)
  • のどの奥がぐっとなった(神奈川県・米山顕子)

  • 六千通りの苦しみ、悲しみ(神奈川県・内田翔)
  • あれから、五年。忘れていた(神奈川県・石附泰典)
  • 報道のありかたに疑問(神奈川県・山鹿拓郎)
  • かわいそう つらすぎるよ(神奈川県・城田悠子)
  • もう一度読みかえしてみて(神奈川県・田中沙耶)

  • 父が台湾大震災に遭って(神奈川県・日高彩子)
  • 関連死や孤独死、減らしたい(神奈川県・布施はづき)
  • 関東大震災の話 聞いていたのに(神奈川県・穂坂恵利加)
  • こんなに悲しい思いをした人がいるのか(神奈川県・菅沼愛世)
  • 私達ができることは何か(神奈川県・梅田真理子)

  • 大切な命(神奈川県・堀内紗智)
  • 「語り継ぎたい。命の尊さ」を読んで(神奈川県・田中沙耶 )
  • 友達を亡くす悲しみ知った(小田原市・井上日向)
  • 被災したらぼくはどうなるか(小田原市・門松直幸)
  • 僕は叫ぶことができるだろうか(小田原市・門松栄治郎)

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    2-3センチの違いで人々は生死を分ける
    大木梨絵(神奈川県立西湘高校1年3組)

    私達の住む小田原は、いつ地震が起きてもおかしくないと言われている。
    そのためか小学生の頃から地震についての知識を教え込まれてきた。
    地震が起きた時、何が必要で、自分はどうすればいいのか、ということを。
    
    けれど、私はこの本を読んで地震の本当の恐ろしさ、
    怖さを知ることができた。
    大きな建物は崩壊し、道路まで閉ざしてしまう。
    わずか2-3センチの違いだけで人々は生死を分けられてしまうという。
    この本には今までの授業では教えてもらえなかった、
    地震での被害状況が詳しく書かれていた。
    
    私は少し地震を甘く見ていたかも知れない。
    きっと、どうにかなるだろうなんて考えていた。
    しかし、地震は戦争などとは違って人間が起こすことではなく、
    自然が起こすことなので、私達にはどうすることもできない。
    だからこそ、私達は、地震に備えて、
    避難道具を準備したり、知識を増やして、
    もっと地震に興味を持たなければいけないんだな、と思った。
    <2000年2月/感想文で>


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    体験に耳を傾け、次世代に伝えたい
    松本真衣美(神奈川県立西湘高校1年3組)

    私はその日、いつも通りに起きてテレビを見た。
    画面では、高速道路や家が破壊され、
    ところどころで火の手があがっていた。
    多くの被害者は朝早かったためにみんなパジャマ姿だった。
    本当に日本で起こっていることなのだろうか。
    私は信じられなかった。
    
    ほんの一部の体験談を読んでみて、多くの被災者が、
    テレビでは分かることのできない、辛く悲しい体験をし、
    多くのドラマがあったことを知った。
    ほんの数秒で生死が分かれてしまう。
    私達はその日その時の体験、
    その人の気持ちを理解するころができても、
    同じ気持ちになることはできないし、
    自分をその人たちに重ね合わせることはできない。
    
    だからこそ、何百人、何千人もの
    多くの被害者すべてとはいかないけど、
    できるだけ多くの体験談に耳を傾け、それを次世代に伝えていきたい。
    そして、たとえ自分の身に同じ災難がふりかかったとしても、
    多くの被災者が話してくれたことを思い出し、
    役に立てていきたい。
    何ごとにも決してあきらめないことが一番大切なのだ
    ということを教えてもらったような気がする。
    <2000年2月/感想文で>


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    もっと阪神大震災の事を知りたい
    山口佳奈子(神奈川県立西湘高校1年3組)

    阪神淡路大震災は私がまだ小学生の時に起きました。
    あの朝ニュースで
    震災現場の様子を放送していたのを今でも覚えています。
    道路がひっくり返っていたり、家がつぶされていたり。
    こんなことが私達と同じ日本で起こったとは
    とても信じられませんでした。
    
    この本では多くの体験が書かれていました。
    この体験がすべて実際にあったことだと思うと、
    とても恐いです。
    今までは、ただ恐いと思うだけでした。
    でも、今は違います。
    ただ恐いだけじゃなくて、
    私達はこの阪神淡路大震災の事をもっと知ってそして記憶しておき、
    次の世代の人たちに伝えなくてはいけないのだと思いました。
    
    阪神大震災では人々は地震に対してなんの準備もありませんでした。
    阪神大震災で被害にあった人たちは、
    地震はいつくるか分らないから常に準備するべきだ
    と言うことを身を持って教えてくれたのだと思います。
    教えられた私達は、これからのために伝えていくことが必要なのです。
    私はこのことを知って、もっと阪神大震災の事を知りたいと思いました。
    そして、伝えていきたいと思います。
    <2000年2月/感想文で>


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    魂に耳をかたむける
    中戸川かおり(神奈川県立西湘高校1年9組)

    
    阪神・淡路大震災が起こった時、私は小学生だった。
    もう五年も前の事なのに、私は今でもはっきり覚えている。
    日に日に増え続ける死者の数を伝える新聞。
    神戸が火に包まれて焼け落ちていく様子を伝えるテレビ。
    まるで電波ジャックをされたかのように、
    全てのチャンネルが大震災関連だった。
    
    今まで大地震と言えば、
    歴史の教科書の一つの項目でしかなかった。
    それが今私の生きている時に起きている。
    信じられなかった。
    
    いたるところで救援が遅いと言う声があがっていた。
    はじめは、「道路もグチャグチャなんだからしょうがないじゃん」
    と思っていた。
    しかし、実際にその場にいたらどうだろう。
    自分の目の前で人が死んで行く。
    助けが足りないばかりに、
    なくさなくてよかった命が一つ、
    また一つと消えていくのだ。
    その悲しさは、涙もでないほど……。
    
    私が住んでいる地域も、
    いつ大地震が起きてもおかしくないところだ。
    私の枕元には常にライトが置いてある。
    たまに、寝ようとする時、地震が起きたら部屋がどうなるかを想像する。
    ピアノにつぶされるかもしれない。
    本棚が落ちてくるかもしれない。
    
    ではどうしたらいいのか。
    それが今の私には足りない。
    
    今回この本を読んで、私にできることは、
    今後同じような境遇に出会った時に、
    少しでも神戸で足りなかったことを補うこと、
    そして、大震災で亡くなった人の命を
    決して無駄にしてはいけないということ。
    亡くなった人はもう戻ってこないけれど、
    その人たちを知っている人は大勢生きている。
    生き続けている限り、亡くなった人も生きているのだ。
    
    今、私にできること。
    それは魂に耳をかたむけること。
    <2000年2月/感想文で>


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    「誰かきてーっ」叫ぶ女性
    市川泰幸(神奈川県立西湘高校1年5組)

    僕は今まで阪神大震災の事はとても大きな地震だった
    ということくらいしか思っていませんでした。
    けど、この本は地震の直後やいろいろな人の体験談が書いてあったので、
    今までに知らなかった阪神大震災を知ることができました。
    なかでも心に残ったのは
    「誰かきてーっ」と叫ぶ女性の話でした。
    この女性がいたからこそ、
    生き埋めになった何人もの人が助かったんだと思うと
    最後まで希望を捨てず、あきらめないことが
    すごく大切だと言うことがよく分りました。
    
    被災地では今まで当たり前に使えていた
    電気や水道などがいきなりまったく使えなくなってしまうけど、
    それでも頑張って生活した被災者達はすごいと思います。
    僕だったらそんな生活、耐えられるか分りません。
    僕はまだこんな大きな震災をうけたことがありませんが、
    今住んでいる所はいつ地震が起きてもおかしくない場所です。
    この本で読んだことを忘れず、最後まで叫び続けた女性のように、
    希望を捨てず、あきらめないで往き、
    少しでも多くの人を救いたいと思います。
    <2000年2月/感想文で>


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    圧倒的な悲しみのなかで
    近江かおる(神奈川県立西湘高校1年5組)

    何から始めれば、どんなふうに表現をすれば、
    今、私が感じている気持ちを伝えることができるのか分りませんが、
    ただ、一つ確かなのは、圧倒的な悲しみです。
    胸が締めつけられているような、そんな感じです。
    
    私は阪神大震災が起きた頃は小学生で、
    たいしたことも分らずに、
    「ああ、関西で地震が起きたんだ。大変だな」
    と、何となく思っているだけでした。
    
    あまりに遠く、非現実的な出来事だったので、
    テレビの中の出来事のような感覚でしかなかったのです。
    現実で、同じ世界で、同じ国で起こっているというのに、
    どこかでやはり、この国では、ともすれば現実では
    このようなことは起こっていなかったのではないだろうか
    という思いがありました。
    
    私は自分を恥ずかしく思います。
    何も知らずに、何も知ろうとせず、
    今、この場で先生に本を読んでもらうまで、
    こんなに悲しい思いをしている人たちが
    たくさんいるということに
    気がつかなかったのですから。
    <2000年2月/感想文で>


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    今まで、死というものがあまりに遠かった
    本川倫子(神奈川県立西湘高校1年5組)

    私が小学校六年生の時に阪神大震災は起こった。
    その時私は、連日テレビから流れてくる映像と、
    アナウンサーが伝える現状に小学生なりに心を痛めた。
    しかし、今思うと心を痛めるという感情よりも、
    「うわぁ」という驚きの気持ちのが大きかった。
    住んでいた所が神奈川県ということもあり、神戸の大震災の事は
    あまり身近に感じず、月日が経つうちに、
    自然と震災の記憶は薄らいでいった。
    
    だから今回、学校の授業で震災の体験談をプリントで見た時は、
    はっきりいってショックだった。
    震災を経験した人々、一人一人にこんな傷があるんだと思ったら、
    涙が出てきて、とても他人事だとは思えなくなった。
    
    今まで私は一人一人の悲しみなどに目を向けず、
    神戸が復興しただのなんだのと、
    表の社会面での神戸の損害しか理解していなかったんだと思うと、
    恥ずかしい気持ちと、後悔の思いが込み上げてきた。
    震災を経験した人々の心から決して傷が消えることはないだろうと思う。
    
    今まで、死というものがあまりにも遠かったのかも知れない。
    <2000年2月/感想文で>


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    電気、ガス、水道がなくなった時
    守屋菜穂子(神奈川県立西湘高校1年5組)

    地震は本当に怖いものだと思う。
    震度7なんて今まで一度も体験したことは私はないけど、
    とてつもなくすごいということは分る。
    
    でも、一番怖いのは地震よりも、その直後の生活だと思う。
    今回これを読むと、それがあきらかに分かる。
    電気、ガス、水道がある生活に慣れている私達。
    それが、急になくなったら混乱するのも当たり前だろう。
    私だって、電気がなくなったら暗いし、ガスがなくなったら寒いし、
    水道がなくなったら人間の命にさえも関わってしまうし、考えるときりがない。
    そんなに私達の生活に密着しているものが一瞬で……。
    本当に恐ろしいと思った。
    
    その頃のテレビのニュースを見ていたら、
    水のために行列を作って何時間も待っている人達がいた。
    こっちだったら蛇口をひねれば簡単に水が出てしまうのに。
    食べ物もそうだ。
    今は食べ物が腐る程あるのに、それも一瞬にしてなくなってしまう。
    そのせいで救援物資も並んでとりにいく人がいる。
    同じ日本なのに、どうしてこんなに違うものなのか。
    地震は一瞬にしてみんなの幸せを奪うものなのだなあと思った。
    
    地震後の生活に耐えられずに自殺してしまう人や、
    病気が治せないまま死んでしまう人の事を思うと、
    本当に涙がとまらないなあと思いました。
    小田原にも、もうすぐ地震がくるといわれています。
    常に準備が整っていないと、苦しい思いをしてしまうので、
    「備えあれば憂いなし」という言葉を守って生きていこうと思いました。
    <2000年2月/感想文で>


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    急に恐くなって鳥肌がたちました
    小沢瑞江(神奈川県立西湘高校1年5組)

    私は「震災」という事について、こんなに深く考えたのは初めての事です。
    今までの私は、漠然とした事件としか受け止めていませんでした。
    こんなことがあったなんて……。先生の朗読を聞いているうちに、
    ここまで考えたことのなかった自分が恥ずかしくなると同時に、
    急に恐くなってきて鳥肌がたちました。
    
    私の住んでいるこの地区も、近いうちに大きな地震がくるそうです。
    もし、大きな地震がきた時、
    私達がどう対処するのかが一番大切なんだと思います。
    この阪神大震災をただの過去としての事件ではなく、
    これを見本に(見本といったらおかしいけど)
    私達はできるだけ被害を少なくすることが、とても大切です。
    
    地震で家がつぶれて、やっとこさ助かったのに、その後、
    孤独死してしまうなんてあんまりです。
    
    地震は恐いけれど、私達がパニックになっても何の解決にもなりません。
    この体験談はあまり知られてはいないと思います。
    だからこそ、私達はみんなに伝えていき、
    どのように対処すればいいのか伝えていくことがとても重要だと私は思います。
    <2000年2月/感想文で>


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    知らなかった「震災関連死」
    佐藤晃子(神奈川県立西湘高校1年5組)

    単純に、「地震って恐ろしい」と思いました。
    プリントを読むのが途中ですごくツラくてイヤになりました。
    特に死んでしまった人の家族の方達の家族の文は涙が出てきそうでした。
    
    たった数十秒の間に、六千四百人を超える死者をだした本当に突然の地震。
    家を失った人、仕事を失った人、そして家族や友人を失ってしまった人…。
    自分にとって大切なものをたくさん失ってしまった関西の人達は、
    その怒りや悲しみや苦しさを、誰かにぶつけることもできずに、
    ただただこらえたんだと思います。
    きっとそれは何の関係もない私が思っているよりも
    ずっと遥かに堪え難いものだと思います。
    
    驚いたのは、
    地震で直接ケガをして死んでしまった人ばかりじゃないということです。
    それらは「震災関連死」というもので、避難所生活のストレスや、
    通院ができないなどが原因だったということでした。
    私はそのことを今知り、それと同時に「自分がどれだけ無関心だったか」
    ということにも気がつきました。
    
    今さらいっても本当に遅いけれど、「私は関東だから」
    などといっていた自分がとても腹立たしいです。
    なぜ関東だの関西だのいう前に
    同じ人間であるということに目を向けなかったのか…。
    そう考えていれば、あの時、自分ももっと役に立てたかも知れないのに…
    と、後悔しています。
    
    人間はこの世で一番偉そうな顔をしています。
    でも、どんなに裕福になっても、どんなに科学が進歩しても、
    自然には逆らえません。
    
    事前に防ぐことも、何の対策もできないけれど、
    地震は人間に、そして未来に対して、
    何かをうったえている……そんな気がします。
    <2000年2月/感想文で>


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    考えが甘すぎた。少し吐き気がした
    山本泰寛(神奈川県立西湘高校1年5組)

    今まで地震の事について深く考えたことがなく、
    「たいしたことはない。すぐにコタツや机の下に隠れればいい。
    どうして阪神の人達はそれができなかったんだ?」
    と、ある意味ばかにしていました。
    しかしこの本の中に書いてあった
    ”ただフトンの上で揺れに踊らされていた”
    という部分を読んで自分の考えが甘すぎることを感じました。
    
    ”目の前で友人が瓦礫に体が埋まっており、
    助けようとしていたら火の手が回ってきて
    見殺しにする形でその場から去った”
    という話を読んだ時、僕は少し吐き気がしました。
    気持ち悪いとかそういうのじゃなくて、
    むせび泣きのような感じでした。
    
    実際自分が助ける側の人間だったとしたら
    どうするだろうと考えると答えが出ません。
    <2000年2月/感想文で>


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    のどの奥がぐっとなった
    米山顕子(神奈川県立西湘高校1年5組)

    実は、さっき地震がありました。(今日は2月11日です)
    ものすごく恐かった。
    国語の授業で阪神大震災の事を聞いていたから。
    
    最初、小さな、本当に小さな揺れがあって、
    でも、その時は電車のせいだと思った。
    うちは線路沿いだから、ゆれることもある。
    そうしたら、大きめの揺れになって何秒か揺れた。
    あたしは警戒した。
    
    もし、授業で地震の事をやっていなかったら
    のほほんとすごしていただろう。警戒も何もしなかったと思う。
    今も、明日の朝がいつもの朝じゃないかも、と少し心配している。
    
    授業で聞いたことは生々しかった。
    個人、一人一人の死を取り巻く人々の
    悲しみの文字でうめつくされていた。
    後悔もたくさん伝わってきて、のどの奥がぐっとなった。
    今また、最初から読み返してみた。
    やっぱり、のどの奥がぐっとなった。
    
    感想や考えを文字にしようとしても、のどがぐっとなるか、
    ”悲しい”、”ひどい”とか、ありきたりな事しか言葉にできない。
    でも、本当に恐い。
    <2000年2月/感想文で>


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    六千通りの苦しみ、悲しみ
    内田翔(神奈川県立西湘高校1年9組)

    大震災による死者は六千人を超え、負傷者は四万。
    これだけでも災害の大きさは十分に分かる。
    しかし、あくまでも数字の上での話であって、
    人が六千人も亡くなる地震とはどういうものなのかは、
    遭遇した人にしか分からないだろう。
    運が悪かったとしか言い様がないのも事実だと思う。
    が、それだけでは納得できない
    六千通りの苦しみ、悲しみもあった。
    正直、赤の他人の僕はどう考えていいか分からない。
    <2000年2月/感想文で> 


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    あれから、五年。忘れていた 石附泰典(神奈川県立西湘高校1年5組)

    今回のこの「命」という授業は、
    「忘れていた何か」を思い出したような気がします。
    震災当時は、テレビでその状況を見て、声がでなかった。
    しかし、あれから、五年。
    自分はこの出来事について忘れていた。
    そして今、授業でやり、改めて地震の恐さを知った。
    これからはもう少し「地震」に関心を持っていこうと思う。
    
    とにかく人間の手ではどうする事もできない「地震」。
    どうしたら少しでも被害をやわらげる事ができるのか
    もう一度考え直してみたい。
    <2000年2月/感想文で>


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    報道のありかたに疑問
    山鹿拓郎(神奈川県立西湘高校1年5組)

    阪神大震災が起きたのは、僕が小学校五年生の時だった。
    あの朝見たニュースは
    阪神地方に震度6の大きな地震があったという事だった。
    そのニュースをしばらく見ていると、
    よく覚えていないけどたしか、
    死者五、六名とかすごく少ない人数といっていた。
    しかし学校から帰ると、その死者が六百数十名に及んでいる。
    僕は大変驚いた。
    そして死者は増え続け六千名を超えた。
    もし最初の時点での情報がもう少し詳しく報道されていたのなら
    もっと救援隊が早く大勢で行けたと思うと悔しくて仕方ない。
    このような情報の混乱によって
    助けられた人が助けられないというような事が起きてしまったとは
    大変悔しく悲しく思った。
    
    あと、ヘリコプターの、記者達の使い方が許せなかった。
    あんなたくさんのヘリコプターを使うくらいなら、
    もっと違った形で利用してほしかった。
    今度このような災害が起きた時に、
    よく考えて正しい報道をしてほしいと思った。
    <2000年2月/感想文で>


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    かわいそう つらすぎるよ
    城田悠子(神奈川県立西湘高等学校 1年3組)

    私の頭の中には、いろんな思いが浮かびました。
    それは、一言で言えそうで、言えない。
    とっても複雑な思いです。
    「かわいそう」「どうして?」
    「仕方ないのかな?」「つらすぎるよ」
    と、さまざまでした。
    でも、この一言一言の思いの奥には、
    現実に起こった厳しくて悲しい出来事があるんです。

    何の予告もなく、いきなり起った地震で、何の罪もない人が、
    何の意味もなく亡くなったかと思うと、とても残酷だと思います。

    私からみて、おじいちゃんおばあちゃんにあたる年齢の人も、
    私からみて、赤ちゃんの子も、
    そして私と同じぐらいの人たち。

    誰だって、どんな年齢だって一生懸命、生きているのに、
    ほんの1分間にもならない、
    一瞬のできごとでたくさんの命が奪われて、
    その後もずっと真っ暗な窮屈なところで
    一人ぼっちで亡くなった人もいます。
    自分との戦いだったと私は思いました。
    誰もいない、ただ一人で何ができるか?
    何もできない。
    ただ、少しでも長く自分でいたい。そう思うとおもいました。

    誰にだって大切な人がいっぱいいます。
    私にもいっぱいいます。
    家族、友達、スキな人。
    そんな人と、ずっと、一緒にいたい。
    今の私はそんな思いがいっぱいです。
    この思いだって、どんな人でも、
    何歳でも、みんな持っていると思います。

    だから私は思った。
    人が思うことの奥には何かがあるんだ、と。
    そんな思いを大切に失わないでいくことが
    一番大事なことなんじゃないかなぁ。と思います。
    どんな人だって一人ぼっちじゃない。
    みんながそういう思いを持っていてほしいと思います。
    <2000年/感想文で>

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    もう一度読みかえしてみて
    田中沙耶(神奈川県立西湘高等学校 1年3組)

    やっぱり第3・4章は何度読んでも辛いものがある。
    人の死の現場を聞くことは、私にとって耐えがたいものがある。
    まして、その人の身内の手記などはたまらなく辛い。
    “あの時ああしていればよかった”などの後悔、
    “もう一度会いたかった。”というやりきれない気持ち。
    私たち第三者からでもその気持ちは理解できるけれど、
    しかしそれはあくまでも想像にすぎない。
    この辛さは、その人にしかわからないものだと思う。

    だけど、そこで少しでも理解できるように
    努力することが大事なんだと思う。
    もちろん地震があって
    大勢の犠牲者が出たことは語り継ぐべきだと思う。

    しかし、そこで止めないで、その亡くなった人それぞれに
    違った悲しみがあることまで伝えていくべきじゃないかなと思う。
    <2000年/感想文で>

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    父が台湾大震災に遭って
    日高彩子(神奈川県立西湘高等学校 1年3組)

    私の父は台湾大震災の被災者です。
    震源から六十キロメートルくらいしか離れてなかったけど、
    住んでいる建物が新しかったので、幸運にも無事でした。

    地震があってすぐ、連絡を取っていたので、安心はしたけれど、
    テレビなどで被災地が映ると、今すぐに台湾に行きたくなっていた。
    いつもなら、外国で地震が起きても、別に何も思わなかったけれど、
    今回の授業とあわせて、他人事ではないとあらためて思った。

    もし、私が大地震の被災者になったなら、
    実際どんな行動をするのかわからないと思う。
    その為には災害に対する心構えを
    しておかなければいけないと思う。
    けれど、口では簡単に言っているけど、
    本当に被災者になった時の事を考えると、
    怖くてどうしても「考えないようにしよう」と思って、
    現実逃避してしまう。
    今度は真剣にこの事について考えたい。
    <2000年/感想文で>

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    関連死や孤独死、減らしたい
    布施はづき(神奈川県立西湘高等学校 1年3組)

    正直、この話を読んだ時、地震って本当に恐いんだなぁと思った。

    先日、私の近くでも少し大きな地震があった。
    突然縦揺れがきて、家の物が倒れ、もうだめなのかなぁと思った。
    後で冷静に考えると、私の後ろにはストーブがついていた。
    もし、この地震が大地震だったら、火事になっていたかもしれない。
    そう思うとぞっとした。

    地震は、心の準備をする間もなく突然やってくる。
    まして、神戸の人たちは自分たちの住んでいるところには
    決して地震など起きないだろうと思っていたのだから、
    私が先日経験した恐怖よりも、もっと大きな恐怖を感じたに違いない。

    もし、この辺りにも大地震が起きたら、どうなってしまうのだろう。
    きっと電気もガスも水道もすべて止まり、
    とても大きな恐怖に襲われるに違いない。
    しかし、このような時こそ私たちは神戸の人が経験した教訓を
    生かしていく必要があるのだと思う。

    その教訓とは、
    「地震関連死」や「孤独死」を少なくすることではないだろうか。
    自宅を失ってしまった人や、一人暮らしのお年寄りには、
    震災後のストレスを少しでも軽くできるようなケアが必要だ。
    しかし、阪神大震災では、
    このようなケアがあまりできていなかったために、
    「震災関連死」や「孤独死」が増えてしまったんだと思う。

    私たちはこのような「震災関連死」や「孤独死」を少なくするために
    どのようなケアができるのか、
    考えることのできる時間がまだあるはずである。
    この時間を有効に使って、よく考えることが、
    阪神大震災から学んだことであり、メッセージなのではないだろうか。
    <2000年/感想文で>

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    関東大震災の話 聞いていたのに
    穂坂恵利加 (神奈川県立西湘高等学校 1年5組)

    1995年1月17日、早朝。
    小学校5年生だった私は、いつものように目覚め、
    いつものように朝食をとっていました。
    神戸で何が起こっているのかも知らず。

    その頃の私は阪神大震災を
    それほど大きなものとは考えていなかった気がします。
    小さな頃から、祖母に関東大震災の話を
    耳にタコができるくらい聞いていたのに。

    この本を見る機会ができて、
    明らかに昔の私よりは理解する事ができました。
    一瞬にして最愛の人を失う悲しさや悔しさ。
    震災へのやり場のない怒り。

    でもきっと、失ったものだけではないと私は思います。
    助け合う気持ち、命の大切さ、
    これから私たちがどのように毎日を過ごしていくべきか。
    それは一人ひとり色々な形で心に残っていると思います。

    それをどうやって次の世代に伝えるかだと思います。
    <2000年2月/感想文で>

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    こんなに悲しい思いをした人がいるのか
    菅沼愛世(神奈川県立西湘高等学校 3年4組)

    …自分の目の前で人が死んでいくなんて考えられない。
    地震が起きた短時間の間に、こんなに悲しく、
    悔しい思いをした人がいるのかと思うと、
    いたたまれない気持ちになった。

    前に家族で地震の話になったとき、
    外の庭に地震のとき必要なものを置いておかなくちゃねと
    話しておきながら、いまだに対策をしていない。
    地震が起きたらうちの家族は危ないと思った。
    <2000年2月/感想文で>

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    私達ができることは何か
    梅田真理子(不二聖心高校1年)

     もし、友達が自分の目の前で死んでいったとしたら……。そんな事、今まで考えてもみないことで想像もつきません。
     この本に出てくる井口さんの体験は、彼の一生の悲しい、悔しい出来事が一気にまとまって出てきたのではないかと思うほど悲劇的です。

     1995年1月17日に起きた阪神大震災。あの朝のことは当時小学五年生だった私も鮮明に覚えています。倒壊する道路や建物、それにたくさんの死者に呆然としました。でも、一人ひとりの方々におおい被さった悲しみの深さは、理解できていませんでした。
     当時神戸大学の学生だった井口さんを含めた3人が、崩れたアパートの下敷きになり、救出しようとかけつけた友人の目の前で炎にのみ込まれ、絶命した事実が記されています。

     親友の中村さんを助けられず、その死の一部始終を見届けた井口さんの話には息をのんでしまいました。「なんでよりによって一番死なせては行けない人がこんなところで死ななければならないのか」井口さんが言った一言に彼の思いが表わされているように思います。「一番死なせてはいけない人」を死なせてしまった思い。しかも、自分が貸したスキー板が友人の頭にのしかかり、最後には、それが救出の妨げとなってしまったのです。どんなに悔しかったことでしょう。
     私は、井口さんの言葉の内に怒りさえ込められている気がします。その怒りとは、自分自身に対して、そして助け出すことのできなかった当時の状況全てに向けられたものです。「神様はいないのか」と叫んだ井口さんの心情はよく理解できます。友人を助けられなかった自分の無力さに対する憤りや、友人の死の一端は自分に責任があるといった罪悪感。私にはその重圧に堪えられる自信がありません。

     中村さんの他にも、このやけたアパートでは、坂本さんと鈴木さんという二人の学生が亡くなりました。そしてこの二人の骨をご両親が拾ったのです。遺体と対面するのでさえ、親にとってはどれほどの辛さでしょう。それなのに、亡き骸すらなく焼け骨になった我が子を掘り出す親の苦しみ。私の知っている限りで最も悲しい出来事でした。
     坂本さんは、前日の夜までお父さんや妹と一緒に食事をしていたそうです。家が近かっただけに「あの日泊っていれば」という後悔が残っているとありました。翌日、現地へ向かったご両親は、焼け野原となった現場を見てもこの中に自分の息子がいるとは思わなかったと言います。坂本さんも鈴木さんも、あちこち探してまわって、とうとう決断をつけて、掘りはじめたと書かれています。どんな時でも親というのは、子供の最悪の場合は想像できないし、したくないものなのだと思うと胸が痛くなりました。「自分たちの親の手で骨を探す悔しさは、言葉では言いつくせません」と言った鈴木さんのお父さんの気持ちがどんなだったかと思うと、私までやるせなくなります。

     こうした悲惨な体験、思い出したくない経験というものは、誰でも忘れたいと思うでしょう。しかし、それでよいのでしょうか。歴史上の人類の汚点ともいうべきものは、やはり、忘れてはいけないのです。忘れてしまって、また同じようなことが起きて……そんなことでは、人間である意味がありません。
     人間は、話すことができ、書くことができます。そして、覚え、忘れず、改めることもできるのです。それが大切なことなのだと今一度感じずには、いられませんでした。

     この本には、震災のことだけではなく、広島の原爆についても書かれています。その中で著者が「私が体験したわけでもないのに被爆者のみなさんの気持ちを伝えきれるのか」という部分に私は深く共感しました。アナウンサーとしての彼の苦悩が伝わってきたのです。
     自分が体験してないことを取材して公共の電波にのせ、皆にわかりやすく伝えなければいけない。どんなに不安だったでしょう。私も自分には何ができるか、どうしたらいいのかと悩むと思います。
     著者は体験者に話を聞きました。何人もの話を聞いて、彼は思ったのです。「体験者だって、それぞれ体験したことは違うのだ。だから自分は自分が伝え聞いたことをそのままひとつひとつ伝えていけばよいのだ」と。私もうなずいていました。

     体験者ではなくては分からないことでも、それらをより多く聞くことで、体験者でない私達がわかることができるのではないか。それは決して無意味なことではない。もしまた同じようなことが起きた時、役に立てることができたら——それが、後に続く者のできることであり、しなければならないことなのです。
    <NTT読書感想文コンクールより/1999年12月6日>

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    大切な命
    堀内 紗智 (神奈川県立小田原高校1年)

     “はじめに”を読み進めていたら、「キレる」「むかつく」という言葉が目にとび込んできた。そう言えば、私自身この言葉を乱用しているな、と反省してしまった。そして軽い気持ちで使うこの言葉が人の命を奪う遠因になっているかも知れない、と気づいた。
     “はじめに”では、昨年黒磯市で起きた中学校教師刺殺事件に触れ、今の中学生が人の死に出会う体験の不足が命を軽んじる風潮につながっているのではないか、と述べられている。私もその通りだと思った。

     私は4年前に一度、身内の死に立ち会ったことがある。曾祖母の死顔は気持ちよさそうに寝ているようで死んだとは思えなかった。でも時間がたち顔が変わってしまった時、初めて、曾祖母の死を実感した。その変化を知ると、生きていることの意義がうっすらとわかってくるような気がする。

     こうした死の現場を記憶することが、自分の身辺を守る第一歩になると本書には書かれているが、それにしても紹介されている死の現場は、どれも切ない。話は、1995年に起きた阪神大震災に材をとっている。
     あの1月17日の朝、阪神間では五千人余りの人がこの世から去っていった。本書第3章には、その内の数名の死の現場が綴られている。大学生の話なので、身近に感じられた。

     その中の一つの事例として、アパートが倒壊し、その中で生き埋めになった大学生がいた。友人が救出を試みたが、もう少しで助けられる、という時に火が出て、結局その人を救出することができなかったという記事があった。
     もし親友を助けられなかったのが私だったとしたら…。親友をなくしてショックを受けてその後助けられなかった自分に後悔して一生そのことをひきずりながら生きて行くだろう。
     息子をなくした家族は、焼け跡に遺骨を拾いにいった時どんなに悲し思いをしただろう。骨になった息子を見て、火さえ出なければこんな姿にはならなかったかもしれないのにと悔やんだだろう。

     亡くなってしまった人だって助かれば未来があったのに。私はまだまだ死にたくない。これからいろいろなことを体験したい。自分がそう思うから私は人の命を奪うことはぜったいにできない。死の現場をよく知ることができれば、同じ過ちはくり返さない。だから死に直面した人に話を聞いてその話をたくさんの人に伝えることが私たちの仕事だと思う。

     第6章「語り継ぐこと」では、どうしたら人の痛みを分かちあえるか、について書かれてあった。これは、著者が「広島原爆の日」の特集番組のリポーターをした時の体験が書かれてある。
     自分が体験したこともない被爆について、その人々の気持ちをどう伝えたら良いか悩む著者。それはそっくり、私がもし、阪神大震災について伝えなくてはいけなくなったら、同じように悩むはずだ。事象は知っていても、体験はしていないのだから、何を言ったら良いかわからない。

     でも、著者は言う「誰でもそれは同じです。大切なのは、(そのことについて)少しでも理解しあい、あなたの次の世代に語り継ぐことです。それがあなたに託されているのです」と。ここを読んで、肩の力がスーッと抜けていくのが感じられた。
     体験していないから言えない、のではなくて、自分が伝え聞いたことを、そのまま伝えていけば、それが人の痛みを分かちあえる第一歩につながることになるのだ。

     それともう一つ。最終章で著者が、この震災で失った神戸大学の学生について触れて、「もし、地球の長い歴史の中で、その歯車がほんのちょっとずれていたら私たちの学年が、この地震に遭遇したかもしれない」と書いてあった。
     もし、あの地震が私の住む小田原で起きたとしたらば…。家族の誰かがいなくなってしまうかもしれない。私一人だけがとり残されてしまうかもしれない。大切な友達を失ってしまうかもしれない。そんなことを考えていると、とても怖くなった。

     あの時小学生だった私は、もし寝ている時に地震が来たらタンスの下敷きになって危ない、と家族に言って倒れてこないようにしてもらった。今でも小さな地震があると、テレビで見た光景を思い出して怖くなる事がある。
     結局、こうして自分の身に事件事故を置き換えてみると、命の尊さ、大切さがよくわかってくる。地球上では今も、あちこちで人が命を落としてゆく場面が頻発している。

     それらを決して「他人事」とは思わないで、何かが起きたら、1人でも多くの人の命を救えるように努力したい。そんなことをこの本から教えられた気がする。
    <読書感想文として/1999年10月16日>
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    「語り継ぎたい。命の尊さ」を読んで
    田中沙耶 (神奈川県立西湘高等学校1年)

     大切な友人を目の前で失うという光景が考えられるだろうか。もし自分の身に起きたら抜け殻になってしまうこと間違いなし。だから、この本の第3章に出てくる手記を読み進めて行く内に涙がとめどもなくあふれてきた。

     4年前の1995年1月17日、あの阪神大震災が起きた朝、神戸の六甲町で3人の大学生が友人の目の前で命を失った。崩壊したアパートの下敷きになり、助けだそうと集まった友達が必死の救出を続ける中、出火。炎と轟音に包まれ、「目の前で敬愛すべき友を見殺しにしてしまった」とある。

     その一部始終を目撃した友人の心には、今でもあの日の苦しみが湧き起こってくるという。彼の言う、「これからもずっと1月17日は来るけど、何年経ったからといって“今更”と言って欲しくはない」に込められた思いに、ハッとした。4年間もずっと1人の友人の死にこだわって、それを引きずりながら過ごした日々は、どんなに重かったことだろう。

     私にとっての1995年からの4年間は、どんな日々だったか。震災が起きた年、私は小学生だった。それから中学に入学し、勉強や部活で人間関係の難しさ、友情の温かさを学んだ。高校受験の体験、それは生まれて初めてあんなに勉強し、毎日が苦しかった。4年間は、私にとってとても短い時間だったと思う。でもこの4年間が、自分の生きて行く方向を決める時期にもつながった。

     格別に充実していたとか、「青春」を意識したこともなかったけど、生きているからこそ味わえたことはいっぱいあった。でも、この3章に登場する3人の大学生の人生は、4年前で止まってしまった。家にはさまれ、押しつぶされ、そして炎と煙に巻かれ命を終えた3人。焼け跡からは骨しか出てこなかったという。やりきれないほどつらい記述だった。

     阪神大震災の後、ニュースなどでもよく耳にした“孤独死”という問題にも本書はふれていた。今までよくわからなかったが、この本の解説を読んで、今まで自分のもっていた“死”というイメージが変わった。

     私の以前までの死に対するイメージは、病死、事故死など原因が目にみえてわかるものだけだった。しかし、“孤独死”というのは、精神的なもので、今までのとは違うものだった。震災で親族を失った辛さを酒に逃げアルコール性肝疾患で死を迎えた人。生活再建の先行きが見えずに自殺をした人。精神的なもので死んでしまうなんて、人間て弱いなあと感じた。

     でも、彼らだって、もしもこの震災にさえ遭わなければ死を選ぶこともなかったのに。あの震災がもし神戸ではなく、小田原だったならば…、その姿はとりもなおさず私の隣人であったかもしれない。友達や、そう、自分自身であったかもしれない。だけど、私は死を選ばない、と思う。自信はないけれど。それは、そんなに深い心の傷を私はいまだかつて味わったことがないからだ。でも、あんな未曾有の被害(何と言ったって、ビルが崩れたり、高速道路の高架まで倒壊したのだ。)から、とりあえず命は助かったのだから、やはりその命を大切に守って行かなければと思う。

     その命を守るための方策が、7章に載っていた。タイトルは「危機管理意識をもっておこう」とあった。
     例えば、震災ではなくて、私の目の前で急に人が倒れたとする。その時私はパニックになりながらもとりあえずその人に声をかけるだろう。その次は何をしたら良いのか分からずに、多分立ち尽くしてしまうだろう。

     冷静になれば、救急車を呼ばなくてはとか、その人の家族に連絡を入れなければなどと考えも及ぶ。
     本書でまず目に飛び込んだ言葉は、「異常を察知する、そして行動に移す。」だ。具体的には、日頃から非常事態のシミュレーションをしておくことだという。さらに、いつも使える手段が使えなくなることも想定することだという。「AがだめならB」、「BがだめならC」という言葉で表現されたとおり、二段階くらいの行動パターンは考えるべきだという。

     阪神大震災クラスの大災害では、普段当たり前に来るはずの消防車も救急車もパトカーも来ることができなかったという。そんな時、人は絶望し、怒りがこみ上げ、いらぬ言い争いをしてしまう。そうしたら、もしかしたら助かったかもしれない命をみすみす落とすことにもつながってしまう。

     印象に残ったのは、救急車が来ない時に、軽トラックでケガ人を病院に運んだことだ。とっさには気づかない救命法を教えられた気がする。これからの人生へ向かう上で、かけがえのない一冊にめぐり会えた。
    <読書感想文として/1999年10月16日>
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    友達を亡くす悲しみ知った
    小田原市 井上日向(神奈川県立小田原高校1年・15歳)

     実際に地震を体験した人はすごい。僕の今まで感じていた阪神大震災とは全然違っていたからだ。あの震災はぼくが小5の時だった。あの時のテレビで炎上した街や、崩壊した道路を見て、「ひどいなぁ」とは思ったが、神戸の人たちにとってはそんなものじゃなかったんだろう。ほんの数分で、友達や家族を亡くしてしまった人だっているんだ。それを考えるととても辛くなる。
     「友達を亡くす悲しみ」というのは、経験したことがないが、本当に言葉にできないものだと思う。実際友達が居なくなったらとっても嫌だ。ぼくは今、高校に入り今までとは違った友達が爆発的に増えている。だから、よけいに、その大切な友達が目の前から居なくなったらと思ったら、ゾッとした。神戸の人たちはあの日だけで何万人もそんな深い痛みを体験をしたんだなと思ったらかわいそうでしかたなくなった。  第7章がぼくにはとても印象に残った。もし、このような災害に遭った時、まず、どうすれば良いか。次に何をなすべきかを自分なりに考えて行動しなくてはいけないと思った。そして、その状況で自分にできる最善を尽くすことができるようにしたいと思った。
     エピローグの「6,000人余りが亡くなって、6,000余通りの悲しみがあります」という文は、心にガツンときた。たしかに、一人の人間の人生というのは、かけがえのないものなんだということがわかった。だからこそ、ケンカをしたときなんてつい「死ね」なんて思ってしまうが、論争の相手にも大切な命や人生があるんだということを認識しておかなくてはいけないと思った。 <1999年4月3日/手紙>
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    被災したらぼくはどうなるか
    小田原市 門松直幸(神奈川県立小田原高校3年・18歳)

     ほとんどの副教材は、「まえがき」が、なんかカタムズカシク(わかりにくい言葉がタラタラ並べられている状態)て読む気がしない。だけど、この本は、「まえがき」でぼくたちに、いろいろなことを語りかけて、問題提起をしてくれた。だから、引き込まれるように、本文を読みだした。
     文章が読みやすかった。途中ダレないで読めた理由は、説教じみていないこと。それから、体験談がとてもインパクトがあって、目が離せなくなったこと。著者の感覚(地震の音・ガスの臭い・事件現場の状況描写)が随所にちりばめられていて、自分もその現場に居合わせているような感じになれた。
     全体をとおして読んでみて、「どうしたらよいか」というまず問題提起をしてくれてぼくたちに考えるきっかけをつくってくれる。つられてぼくもそこで考えてしまった。そして、読み進めていくと、「どうした方が良い」というような答えというか、ヒントを述べてくれている。なんかホッとした。とくに、p.48の「悲しみの淵に立つ人と、私たちをつないでくれるのは何か。それは、情報です。記録です。語り継ぐことなのです」という言葉は素直に受入れられた。そうか、これならぼくにもできる、という気がしてきた。
     震災とか災害に遭った時、いったいぼくはどうなるか、というシミュレーションもしてみた。たぶんぼくは、ハイになってしまうだろう。でも、そこでちゃんと確認しなくてはいけないということもわかった。声かけもしなくては、と思った。ぼくは、できると思う。それが命を救う第一歩だと思うから。 <1999年1月30日/手紙>
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    僕は叫ぶことができるだろうか
    小田原市 門松栄治郎 (神奈川県立足柄高校1年・15歳)

     僕自身のアンテナが出ていなかったせいか、語り継がれていても、戦争のことは知らなかった。この本を読んで、もっと戦争のことが知りたくなった。そして、原爆資料館にはぜったい行ってみたいと思った。
     読みやすくて、次から次へと知りたくなって読み進めることができた。とくに、西尾荘の話にはジーンときた。とくに、井口さんのように友人を亡くした悲しみは想像もできなかった。それに、息子を亡くした親の悲しみも想像できない。
     前に2回ほど住田さんの講演を聞いたせいか、本の内容もよくわかったし、講演ではつかみきれなかった、住田さんの言いたいこともよくわかった気がした。
     「叫び続ける人」がいたからこし助かったという所で、住田さんが最終フレーズで言っていたようにもし、皆ムリだと思っていたら、助かる命も助からなかっただろう。本当にそれにはドキッとした。それにしても本当にこんな場になった時、僕は叫び続けることができるだろうか。 <1999年1月30日/手紙>
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