高校生からのメッセージ《2》

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【写真】地震発生直後、神戸大学国際文化学部の裏から神戸市街をみおろす。市内各所から火災による煙りが立ち上っている。(1995年1月17日午前8時ごろ 神戸市灘区鶴甲2丁目で撮影 写真提供=大西道一さん)


高校生からのメッセージ《1》

  • 一人の死に、何人もの悲しみがある(京都府・西山聡史)
  • 残された人の気持ち、わかっているから(京都府・生田 唯)
  • 事実を受け止めよう。そしてボランティアへ(東京都・竹広慶子)
  • 神奈川県立釜利谷高校のみなさんからの感想

  • 「助からないときは助からない」と思っていた(東京都・矢吹千織)
  • 「生きる」ということを考えた(東京都・小林由里子)
  • 無念さ、悲しさが伝わってきた(東京都・鷹羽晴之)
  • 大切な人を亡くす想い 分かる気がした(東京都・小林朋子)
  • 距離をおいていた私……知って良かった(神奈川県・鈴木真結)

  • これからくる地震。乗り切るようがんばります(神奈川県・金子顕光)
  • パニックに陥った時、どうする(神奈川県・高橋みゆき)
  • 震災でおばあちゃんを亡くして(神奈川県・宮田結生)
  • 考えていた以上に生々しかった(神奈川県・芳賀亜矢子)
  • 一つ失うだけでも悲しいのに(神奈川県・羽田奈々恵)

  • 多くの遺体と体育館で生活することになったら(神奈川県・野澤直矢)
  • 棺が足りなかったこと(神奈川県・鈴木まどか)
  • 生きたかったに決まってる(神奈川県・中村祥子)

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    一人の死に、何人もの悲しみがある
    京都府 西山聡史(長尾谷高校)

    僕は、阪神淡路大震災のとき4歳だったので、
    あまり覚えていませんが、
    朝起きたら大変だったのを覚えています。
    テレビをつけたら、建物が壊れていたり、
    道も壊れていたのは、今でも心に残っています。

    阪神淡路大震災の死者が多かったのは覚えていましたが、
    この、友人、お母さん、お父さんの手記を読んで、
    一人の死に、まわりの何人もの人の悲しみがあるのがよくわかりました。

    井口さんの悔しさと悲しみは、忘れることはできないでしょう。

    今、生きているのがあたりまえのように思っていた僕ですが、
    絶たれた命がいっぱいあった、
    阪神淡路大震災やその後に起きた震災を忘れずに生きていくことが、
    大切なことだと思いたい。

    現在はきれいな街になった神戸ですが、
    そこには悲しみを乗り越えて
    がんばって生きている人たちがいることを忘れないでいたいです。

    最近、石川県で大きな地震があったり、
    三重県にも地震があったので、
    こういう大きな地震を忘れないでいようと思います。

    <2007年5月15日 総合学習「考えよう。命の尊さ」レポートより>


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    残された人の気持ち、わかっているから
    京都府 生田 唯(長尾谷高校)

    当時、僕は5歳で、
    京都の伏見区の自宅で寝ていました。
    家族の中で、僕だけがそのときのことをよく知りません。

    でも、テレビや新聞の報道はよく覚えています。
    悲惨な光景が飛び込んできて、戦争があったのかと思いました。

    父が、災害の救援活動に行っていました。
    トラックで物資を、
    避難所の人たちに届けたりしていたようです。

    焼け落ちた西尾荘、神戸大学の追悼手記を読んで、
    再び、阪神大震災の被害の映像や、
    新聞記事、メディアの報道を思い出しました。
    なんともいえない、感情が湧いてきました。

    震災の後の神戸は、まるで空爆の後のように思えました。
    そこで、生死をさまよう人々がいたのは、確かでした。

    ついさっきまで、元気で笑っていた
    友人や家族が死ぬってことは、
    想像を絶する悲しみと、
    自分の不甲斐なさが身にしみる。

    特に、自然の災害は、
    人間がどうすることもできない部分がほとんどだと思う。

    僕は、戦争や大きな災害を直接体験したことはないけど、
    人が死んだ後の、残された人の気持ちはわかっているから…。

    西尾荘であった話がすべてではないし、
    あのとき、神戸ではそこらじゅうで同じようなことがおこっていた。
    そう考えると他人事なんかでは済まされない。

    これは、いつ自分におきるかわからないこと。

    亡くなった人たちが体験したことを教訓に、
    それをいかすことが私たちの課題だと思う。

    <2007年5月15日 総合学習「考えよう。命の尊さ」レポートより>


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    事実を受け止めよう。そしてボランティアへ
    東京都品川区 竹広慶子(東京都立芝商業高等学校商業科 2年)

    私は8年前の阪神淡路大震災の被災者です。
    住んでいたところは神戸市東灘区。
    以前、『週刊子供ニュース』でとりあげていただいた
    神戸市立本山第二小学校に通学していました。

    震災当時、小学校三年生だった私は、
    電気が復旧し家族全員でテレビをつけた瞬間、
    傾いたビルが崩れ、
    ホコリが舞い上がる映像が
    繰り返し流れているのをみました。

    受け止めたくない事実・現実を知り、
    ただショックを受けたことをとてもよく覚えています。

    通っている高校の先生に
    「竹広はこの学校の中で
     誰も体験していないことを体験したのだから
     もっと現実を知るべきだよ」と、
    住田さんにメールを送ることを薦めて下さいました。

    今、神戸市内は元気を取り戻し震災前と同じ活気だと、
    報道されていますが、
    震災前にはなかった『教訓・心構え』があると思います。
    <2003年1月23日 メールで>

         ○     ○

    何度読み返しても
    『日常と非日常のスイッチの切り替え』という言葉は
    印象に残りました。

    避難所で生活している時は、
    「なんでココにいるんだろう?」とか
    「いつから学校が始まるんだろう?」とか、
    わかりきっている事だからこそ、
    わからない『フリ』をしていた気がします。

    住田さんの本を読んで、もう一度事実を受け止めようと
    震災の本や雑誌など、図書館で探して読みたいと
    思いました。

    住田さんの
    〔なんでもボランティアなので何が得意か(手芸、スポーツ、介護などなど)
    から絞っていかれるとよいのではと思います〕の言葉にヒントを得て、
    いろんなスポーツ経験があるので体力に自信があります。
    それを生かしゴミ拾いをするボランティア団体に入団し、まずは身の回りからできる
    事をはじめ、
    徐々に視野を広げていきたいと思います。
    (2003年2月6日 メールで)

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    神奈川県立釜利谷高校のみなさんからの感想
    神奈川県立釜利谷高校のみなさんは
    川手徹先生と一緒にブックレットを読んで
    著者にフランクに語りかけるような感想文を
    書いてくれました。
    高校生の率直なコトバが返ってきました。
    著者も、返事を書きました。
    そのやりとりを掲載します。
    



    A.Y.(1年4組、女子)
    もし私がこの人たちの立場だっただろうと思うと思いつきません。
    家族、親戚、友達、大切な人。
    私はとてつもなく悲しくなると思います。
    大きな地震にあったことがない私達がこんなことを言っても
    説得力というか、そういうものがないと思います。
    坂本さんの文を見た時、「もうええから逃げてくれ」
    って言葉、心に大きく響きました。
    私でも同じことを言えるって今は思うけど、
    その時、坂本さんがどんな気持ちで言ったのか、想像できません。
    もうこれ以上無駄な命を落として欲しくないと改めて実感しました。
    
    【著者からの返事】
     坂本さんが「もうええから逃げてくれ」と言ったときの気持ち。
     私にもどんな気持ちなのか…。
     深い、深いコトバのように思えます。
     生きているのに、脱出できない…そこに火が迫ってくる。
     そしてそのあと…。考えたくないけど、実際にあった出来事なんですよね。
    
    
    



    綿貫竜太(1年4組)
    友達が下宿に閉じこめられて火で焼け死んだら
    経験したこがないほど悲しむと思う。
    携帯電話をもっていれば、まず、連絡がとれるし、ライトにもなる、
    今どういう状況なのかわかる。
    多分すごい便利だと思う。
    
    【著者からの返事】
     携帯TELがあれば、本当に便利ですね。
     「ライトにもなる」というアイデアはGOOD!
     実際、山での遭難などではうまく連絡がとれて、助かった例もあります。
     でも地震だと、一斉に何万人もの人がTELをかけはじめて、
     かかりにくくなったり、中継アンテナや回線がダメになったりするんです。
     どうしましょう?!(公衆TELがそんな時、無料になるそうだよ)
     それと、ガス漏れのある時は、引火にも注意だね。
    
    
    



    M.M.(1年4組、女子)
    大きな地震で建物がくずれるなんて大変なことだと思う。
    死んだ人の家族はすごい悲しいと思う。
    建物の強度をもっと強くすればいいと思う。
    
    【著者からの返事】
     ”建物の強度をもっと強くすれば良い”という提案はその通りです。
     でも全部建て替えるのはお金がかかるし…。
     どうしたらいいでしょう。
     いくつかアイデアはあるようです。
     いろいろ調べてみて下さい!!
    
    
    



    T.F.(1年4組、女子)
    西尾荘で亡くなった3人はかわいそうだと思った。
    亡くなった人たちは短い人生で、これからというのに
    地震で亡くなったのは残念だと思った。
    
    【著者からの返事】
     「亡くなった人達は短い人生で、これからというのに…残念だ」
     と書いてくれましたね。
     自分より年上の人が亡くなるのと、年下の人が亡くなるとのでは、
     身内の人の悲しみ方も違いますよね。
    
    
    



    平川雄太(1年4組)
    別に僕は地震は普段ある事故とあまりかわらないと思っていました。
    なぜならば、急に家が火事で親が死んだり、
    仲の良い友達が車でひかれていなくなることとか、いろいろあるからです。
    だから地震は事が多くおこる感じで、なんともないものだと思っていたからです。
    だけどそうしていなくなった人とは
    少し悲しみ方が、違うんだということがよくわかりました。
    
    【著者からの返事】
     「地震で身内の人間を亡くすことと、
     事故や火事で亡くすことの悲しみ方が少し違うのではないか」
     という指摘は正解だと思う。
     地震等の災害は地球や自然の力で起きるので、
     「チクショー!」「許せない!」と思う相手がいないのです…。
     だから遺族の皆さんは悲しみや怒りをどこにぶつけていいかわからない、
     そんな辛さがあるのだそうです。
    
    
    



    M.M.(1年4組、女子)
    体力作り(とくに腕力、脚力)
    近所との交流
    棚などが倒れてこないように支える!
    筋力の強いダーリン?を作ってたすけてもらう♡
    
    【著者からの返事】
     「体力作り、近所との交流、棚ナドが倒れてこないように」
     これ、大切。
     私の家でも、もっとこうしたことを推進します!
     「筋力の強いダーリンを作ってたすけてもらう」
     これも良い考え。私も妻を助けられるよう筋力を鍛えます♡
     でも、筋力のあるダーリンが生き埋めになったら…
     M子さんが助けを呼び、だれもこなければM子さんが力を発揮せねば!
     バールのようなものでこじあけたり、声をかけて励ましたり。
     決してダーリンを見捨てないで下さい。
     そしてその方法を、あらゆる方法を考えて下さい。
     (近所や、学校のみんなでね)
    
    
    



    【著者から】
     神奈川県立釜利谷高校1年4組の皆さん。
     災害が起きたら若い皆さんの方が、川手先生や
     私より力を発揮するチャンスが多いと思います。
     本を読んでくださってちょっと考えたことを心の中に
    (心の片すみでいいから)大切にして下さい。

    <2002年2月11日>

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    「助からないときは助からない」と思っていた
    東京都 矢吹千織(東京学芸大学付属高校 3年)

    阪神大震災が起きた当時私は日本を離れており、
    (小学生でオーストラリアのシドニーに住んでいました)
    テレビや新聞で被災地の様子を知ってはいたものの、
    実際に神戸で被災された方の、くわしいお話を読むのは初めてでした。

    17日の地震の状況や揺れているときの気持ちが、
    生々しく、わかりやすく書かれてあり
    地震の恐ろしさが切々と伝わってきました。

    また、目の前で親友やご家族を亡くした方々の悲しみは、
    私の想像以上に深いものだと思います。

    ご本にもありましたが、
    確かに東京のほとんどの人々は、
    大惨事であったとは知りつつも阪神大震災をどこか
    他人事としてとらえ、忘れかけているように思います

    私自身も、母の地震対策(家具のつっぱり棒や非常用の水など)に対して
    「神経質だなあ、 大地震が来たら助からないときはどうせ助からないのに」と
    思っていました。
    しかし、今はこんな風に軽く考えていた自分を反省しています。

    東京は、いつ大地震が起きてもおかしくない状態なので、
    少しでも助かる可能性を作っておくのは、
    決して無駄なことではないのだと教えられました。

    この本によって本当にいろいろなことを考えさせていただきました。
    私達のような若い年代がこの教訓を活かせるようにしたいと思います。
    (2001年9月 メールで)

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    「生きる」ということを考えた
    東京都 小林由里子(都立芝商業高等学校 2年)

    何回か目頭が熱くなってしまい、少し恥ずかしかったです。
    最近では自分が美味しい食事をして、学校に行って、部活をしたり、勉強したり、
    好きなことをやったり、そういう事が当たり前に思っていて、
    「生きる」という事を真剣に考えた事なんてなかったです。
    
    住田さんの震災の話を聞いて、
    今、自分たちが生きていることが幸運な事だと思いました。
    阪神大震災のニュースは、TVや新聞などで、何となくは知っていましたが、
    結局、「自分達の事ではないから」と言って、ほとんど関わろうとしませんでした。
    何年経っても震災の事を忘れられない人がいるのを、知りました。
    <2000年11月22日/講演を聞いて>


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    無念さ、悲しさが伝わってきた
    東京都 鷹羽晴之(都立芝商業高等学校 2年)

    震災で息子さんを亡くした。
    ご両親のやりきれない気持ち、
    無念さ、悲しさが伝わってきました。
    
    本当は息子さんは最後の最後まで生きていて、
    最後は、大学生の必死の救助もむなしく、亡くなってしまいました。
    その事実を信じたくない、息子は倒れた家に押しつぶされて、
    苦しまないで死んだんだと思いたい、
    とても悔やんでも悔やみきれない気持ちが伝わりました。
    自分がその場にいれば息子を助けられたかも知れない、
    自分がいたらまだ元気に生きていたかもしれない、
    そんなお父さんの気持ちがわかりました。
    あの震災さえなければ、息子さんは社会人になって
    バリバリ仕事をしていたと思います。
    
    これから社会人になる上で、大事な話を聞けたと思います。
    <2000年11月22日/講演を聞いて>


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    大切な人を亡くす想い 分かる気がした
    東京都 小林朋子(都立芝商業高等学校 2年)

    友達を助けられなかった井口克己さん(24)の想いは、
    実際は彼の立場になっていないので分かりませんが、私も心を痛めました。
    
    自分にとって大切な人が亡くなってしまった時の悲しみは
    自分が生きていく間はなくならないと私は思っています。
    私は事故や震災ではないですが、
    大切な人を小さい時に亡くした事があるので、
    その面では井口さんの想いは分かるような気がしました。
    <2000年11月22日/講演を聞いて>


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    距離をおいていた私……知って良かった
    小田原市 鈴木真結(西湘高校1年3組)

    西尾荘の生々しい話を聞いて、
    恐怖と悲惨さで涙があふれ、鳥肌が立った。
    あれが自分だったら?大切な人だったら?と思うとさらに……。
    そしてその父母の可能性にかけた探し方。
    それでも見つからず、とうとう意を決して焼跡を掘り始め、出てきた骨。
    こんなに悲しい対面があるのだ。
    
    体育館で聞いたこの恐怖は家まで続き、夢にまで続いた。
    恐い話が大嫌いな私は
    こうした話にできるだけ距離をおいていた。
    小学生の時に行ったひめゆりの塔でのあの怖さ、
    中学生の時に創作劇で学んだ原爆の怖さ、
    そしてこの地震の怖さ。
    全て嫌で嫌で仕方がない。
    
    しかし、知って良かった。
    
    住田アナの言った、想像力を普段からも持ち、
    情報もできるだけ多く持ち、
    一人でも多くの命を救う力になりたい。
    そしてこれをまた次へ伝えていきたい。
    <2000年6月/講演会感想文>


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    これからくる地震。乗り切るようがんばります
    小田原市 金子顕光(西湘高校1年3組)

    
    阪神大震災はよく覚えています。
    ふと目が覚めて、テレビをつけたら、
    ニュースで報道されていました。
    前から関東には地震がくるが、
    関西にはこないと言われていたので、驚いてました。
    やはり、実際に被害を受けた人の話を聞くと
    改めて地震の怖さを知りました。
    
    事前に何をやればいいのか?
    それは第一にパニックにならない事ですね。
    だから、避難訓練は大切にすべきだと思います。
    阪神大震災の時、あまりに突然で、
    何も準備ができてなかったと思います。
    常にもしもの事を考えていないと、
    いざとなった時に何もできないからです。
    
    この地震の話を聞いたことで、これからくる、
    関東大震災を乗り切るようがんばります。
    (くるよね?関東大震災)
    <2000年6月/講演会感想文>


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    パニックに陥った時、どうする
    小田原市 高橋みゆき(西湘高校3年7組)

    
    お話にあった様に、
    震災後は私達のような若い人が必要になるのでしょう。
    いつもは体力もなくて不甲斐無い私でも、
    できることは少なくないでしょう。
    
    けれど、災害でパニックに陥った時、
    はたして他人を思いやった行動がとれるのか。
    自分が小さな子供などを押しのけて逃げたりしないか。
    私にははっきりと答えられません。
    
    今の日常の中では、死に直結する事態でも、
    「まさか」と言って、あり得ないもののように思いがちですが、
    今回のお話を忘れずに、何があってもおかしくないと
    心を引き締めていきたいです。
    <2000年6月/講演会感想文>


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    震災でおばあちゃんを亡くして
    小田原市 宮田結生(西湘高校1年4組)

    
    僕は阪神大震災の話を聞いていてとても苦痛でした。
    それは僕のおばあちゃんも大震災で亡くなっているからです。
    
    ちょうど小学生の頃、朝テレビを見たら、
    橋や家が崩れて車からは火や煙が出ていました。
    なんだ?と思い聞いていると地震と言っていました。
    当時は最大でも震度3しか経験したことのない僕が
    地震でここまでなるのかとなぜか不安になっていました。
    
    神戸は、おじいちゃんとおばあちゃんが
    住んでいる所じゃんと思い
    唖然としていました。
    
    それから2日位たった日に、おばあちゃんが亡くなったと聞きました。
    朝早いうちに起きた地震じゃ何もできないじゃないかと思いました。
    
    講演会を聞いて常にひとりひとり、意識を持つことが大切で、
    冷静に行動し、人を尊重しあいながら生きていく必要があると
    改めて感じました。
    <2000年6月/講演会感想文>


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    考えていた以上に生々しかった
    小田原市 芳賀亜矢子(西湘高校1年3組)

    阪神大震災の講演会を開いてもらうと聞いても、そんなに興味はなかった。
    しかし、実際に講演を聞いてみると、その話は予想以上に生々しかった。
    
    簡単に死者六千四百三十人と言っても、その悲しみはそれぞれ違う。
    六千四百三十通りの悲しみがあるんだと実感させられた。
    
    すぐ目の前で埋もれている友人を見殺しにしなければならなかった
    その苦しみはどんなものだろう。
    生きていると信じていた息子の骨を掘り出した時は、
    一体どんな気持ちだったのだろう。
    
    その悲しみを全部理解することは無理だけど、
    今はただ死者への冥福と、
    同じ悲劇が二度と繰り返されないことを祈る。
    <2000年6月/講演会感想文>


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    一つ失うだけでも悲しいのに
    小田原市 羽田奈々恵(西湘高校1年4組)

    今までの地震の話の中で一番リアルだったと思う。
    なんだかうまく言えないけど、自分が大地震に遭遇したら、
    ということについて深く考えさせられた気がする。
    
    人間は欲深いから、自分の命が助かったら、次は大切な人の命、
    次はお金、財産や食料や服……。
    あたし的にはプリクラとか写真とかも失いたくない。
    でも、大きい地震がきたら、そんなの、多分全部なんか助からない。
    それどころか自分さえ生きていられるかどうかわかんないし……。
    大切な人やものをたくさん失うのはどんなに悲しいだろう。
    一つ失うだけでもすごい悲しいのに、たくんさんなんて考えられない。
    
    阪神淡路大震災でも、あたしとタメとか、
    同じくらいの年の人がたくさん亡くなったと思う。
    もしそれがあたしだったらと思うと、死にたくない。
    まだ、やりたいことが数えきれない程あるし、
    今とか、かなり楽しいから。
    でも、あたしも死ぬかもしれない。
    そうおもうと、阪神大震災はひとごとじゃないんだと思った。
    
    話を聞いてて、
    テレビとかを見てても全然知らなかったことがたくさんあった。
    亡くなった人のひつぎがたりないことや、火葬ができないこととか、
    体育館の中ではすみの方に亡くなった人たちの遺体がたくさん置かれていて
    そんな中にたくさんの人たちが寝たりしてることとか。
    改めて、怖い、と思った。
    <2000年6月/講演会感想文>


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    多くの遺体と体育館で生活することになったら
    小田原市 野澤直矢(西湘高校1年4組)

    目の前で友達が死んでしまったら、
    多くの遺体と同じ体育館で生活することになったらと、
    話を聞きながら想像しただけでなんとも言えない気持ちになった。
    しかし、現実は想像をはるかに超えていたことだろう。
    
    自然災害は防ぎようがない。
    しかし、被害を少なくする事はできると思う。
    そのためにも、正しい知識を持たなければいけないと思った。
    しかし、それ以上になぜか悲しい気持ちになった。
    <2000年6月/講演会感想文>


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    棺が足りなかったこと
    小田原市 鈴木まどか(西湘高校1年4組)

    住田さんの話を聞いて一番印象に残ったのは、
    亡くなった人々の数の方が多くて、
    棺が足りなかったということです。
    それほど阪神大震災で亡くなった人々の数が
    多かったんだと改めて思いました。
    そして、亡くなった人々、一人一人の家族、知人……
    その人々の悲しみを考えると、私も悲しくなります。
    
    もし、自分が震災で家族や友達を失ってしまったら。
    また、自分自身が死んでしまったら。
    そう考えると、とても恐ろしいです。
    
    今あることすべて当たり前だと思っている生活。
    例えば家、食べ物、ライフライン、
    そして家族、友達、それに自分自身。
    それがなんの前ぶれもなくなくなってしまう。
    
    未曾有の阪神大震災という災害があったことを忘れません。
    <2000年6月/講演会感想文>


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    生きたかったに決まってる
    小田原市 中村祥子(西湘高校1年4組)

    被災者の方々には申し訳ないけれど、
    阪神大震災があった事は知っていても
    そんなに興味はなかった。
    だから住田さんが話を始めた時も
    笑顔を浮かべられていたんだろうと思う。
    
    だが、私の顔から笑顔が消えていくのがわかった。
    西尾荘の話だ。
    今もどっかで生きている、そう願っている親の気持ちを知ると、
    涙を流さずにはいられない。
    
    被災者の方々は「なんであの時こうしなかったんだ。なんで……」
    と後悔の気持ちが出てくると思う。
    
    亡くなった人だって生きたかったに決まってるんだ。
    <2000年6月/講演会感想文>


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