【慰霊碑の向こうに】18 故・長尾信二さん(当時工学部2年)=父・邦昭さん、母・フジ子さんの証言=<前編>

 長尾信二さん(当時20歳、愛媛県立松山南高校卒、工学部応用化学科2年・/合気道部所属)は、神戸市灘区下河原通1-3の文化住宅1階に暮らしていた。
 1995年1月17日。地震当日の夕刻になって、仕事に出ていた父・邦昭さんと母・フジ子さんそれぞれの元に、「信二君が亡くなった」と連絡が入る。
 急ぎ親戚が集まり、フジ子さんの兄の大きな車に食料などを積み込み、邦昭さんの兄、弟も乗り込んで5人で深夜、高松を出発。大渋滞の中をくぐりぬけ、十数時間かけて18日の夕方、神戸市灘区に着いた。
 信二さんは小学校の理科室に寝かされていた。そばには、神戸大の友人が交代で付き添っていたという。

 取材班は、高松市の実家を訪ねて、父・邦昭さん(81)、母・フジ子さん(77)にお話をうかがった。

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(写真1:なくなる2日前、愛媛県重信町<現・東温市>の成人式で 画像の一部を加工しています)

当日夕方知らされた 「信二君が亡くなったんです」

ききて)震災発生当時、こちら高松も揺れたんですよね。
父・邦昭さん)震度4ぐらいやったです。結構揺れた記憶あるわね。
ききて)その時は、信二さんが大変だっていうことはまだ?
母・フジ子さん)全然。
父・邦昭さん)全然思わなんだね。神戸がそういう状態になっておるという認識はなかったですわね。寝よったんだけどもね。ああ揺れた、という程度で。
父・邦昭さん)だから神戸に大きな被害があったいうのはニュースで知りました。
ききて)テレビで?
母・フジ子さん)そうそうそう。亡くなったというのは、神戸大学の合気道部のお友達から知らされました。午後7時、6時半ぐらいかな、私が仕事行きおったから。夕方ですよ。それで「信二君が亡くなったんです」いうけん、「えー」いうて、もう腰が抜けて歩けなかった。そんなこと思うとりおりませんから。
母・フジ子さん)大学に入る時にね、「お母さん、何かあった時にどこで集合する?」っていうたんですよ。んで、え〜、主人(邦昭さん)の里が田舎の一軒家で、密集しとらんかったから、そこはどうっちゃならんと思うから。主人の里へ集合しようっていって、そんな約束したんですよ。
ききて)ご主人のお里というのはどちらですか。
父・邦昭さん)香川県綾川町いうてね。こっから、車で30分あまりかな。ちょっと南の方へ。
母・フジ子さん)そんなことまで約束して。
きき手)じゃあ大きな災害があったりしたら、そこに集まろうねと。

母・フジ子さん)「遠く(親元離れて)神戸まで行くから、海渡るから、そんな思いをするんかなあ」とか思いながら、決めとったんですよ。3時間あったら歩いてでもいけるから。

(写真2:インタビューにこたえる長尾邦昭さんとフジ子さん 高松市の自宅で 2023年11月3日午後撮影)

中学時代の町で成人式に出席するため高松に帰省

母・フジ子さん)1月に、お正月に帰ってきた時かな。高松市西植田の私のほうの里の家を壊した時に、あの子が、帰ってきとったんですよ。親戚の人みんんなに会って挨拶した。あの子は、皆さんにお別れしたんかなあ…。
母・フジ子さん)主人の転勤で、あの子も愛媛の高校に通ったんですけど、そこのみんなにも成人式でお会いして、ご挨拶して帰っとる。だからみーんなに挨拶しとる。
ききて)1月17日の地震の前には、信二さんはお正月に戻ってきて、そのあと成人式にも帰ってこられていたんですね。
母・フジ子さん)1月14日には熱を出しとった。自分でバイクで行くといいよったんですよ。私は15日(の成人の)の朝に熱が下がってたら、(成人式に車で)連れていってあげるっていいました。

(写真3:実家にはいまも成人式前に処方してもらった薬の袋が残されている  画像の一部を加工しています)

母・フジ子さん)朝6時ごろかな、「どうなん?」いうたら、「行ける。お母さん行けるから」っていうの。ほな「連れてってあげる」いうて送った。
ききて)式はどこであったんですか?
母・フジ子さん)愛媛県重信町。今は東温市です。そこの中学校を卒業しとるから、重信町の成人式に行ったんですよ。んで帰る時、「神戸大学の大学院、お母さん行くからね」といって。私もええ?と思うたけど、ああ行ったらいいよいうて。自分が思うだけの事をしたらいいよ。…その時にはそんな話して、んで晩に神戸へ帰って行きました。
ききて)晩というのは…
母・フジ子さん)1月15日、成人式の晩に。赤飯やら親戚に配って、ほんで「帰る」いうんですよ。帰らんでええいうのにね。何か大学のレポートか何かがあるから、それを出さないかん。提出物があるけん帰るいうんです。しょうがないから、夜の11時半ぐらいに出たんですよ、バイクで。船の乗り場まで。
ききて)フェリーで神戸へ?
母・フジ子さん)そいで帰ったんです。

(写真4:亡くなる2日前、愛媛県重信町<現・東温市>の成人式で 1995年1月15日撮影 画像の一部を加工しています)

1月15日、成人式の晩に神戸に帰っていった

父・邦昭さん)16日の夜にこちらを出とけば助かっとった可能性が高いわねえ。
ききて)1月15日の夜に神戸に向かったから、16日の朝にはもう神戸に帰っていた?
母・フジ子さんと父・邦昭さん)帰っとったんよ。
父・邦昭さん)だから16日に出発しておけば17日の朝は港にいたはず。
母・フジ子さん)船の中におったんよ。
父・邦昭さん)船つく前くらいだったんや。
母・フジ子さん)主人の里の甥がね、ちょうど16日(17日)の朝のその神戸の地震の時に船に乗っとったんですよ。ほんで助かった。…だから、まあなんか…全てが、たぶんもうそれは寿命というんでしょうね。うん。

17日の夕方 合気道部の友人から母・フジ子さんに電話で一報が

ききて)それで、(地震が起きた)17日の夕方に合気道部のお友達から連絡があった?
母・フジ子さん)電話があったんです。ナガヤマ君いうてね。あの…1つ年上なんだけど、おんなじ合気道しとって。学部は工学部やったと思います。その子から電話があったけど、「うそー」いう感じやねえ。そんな死ぬわけないと思ったけど、もうそれから、もう全然…。
きき手)その後はどう行動されたのですか?
父・邦昭さん)連絡を受けてから、そのままは行けなんだなあ。
母・フジ子さん)いや、夜中に行った。
父・邦昭さん)行ったんか。
母・フジ子さん)うんもう、みんな親戚の人が集まって、お弁当や何か作ってくれて。向こう(神戸)行っても何もないからと思って、してくれて。
ききて)それで、親戚のみなさんは留守番をしてくれた。
母・フジ子さん)そうそう、赤飯も置いたまま。もう情けないでしょう。

(写真5:母・フジ子さん)

ききて)どういうルートで神戸に向かわれたんですか。
父・邦昭さん)山陽道だったかな。
母・フジ子さん)坂出からね、橋を渡っていったんです。
ききて)自家用車ですか?
母・フジ子さ)私の兄のね、大きな車で行ったんですよ。えー…5人で迎えに行ったんです。主人の兄と、弟と、私の里の兄と、それと私と、主人とで行ったんだけど。明石まで行って。神戸から離れとるところで、もう火がね、もうこんなんなりよるんですよ。だから「私は歩いていく」いうて、もう歩いていくからみんな帰ってくださいいうたら、「いやそういうわけにはいかん」。で結局、次の日やんな、着いたの。
ききて)ということは、1月17日の深夜に高松を出発して、18日に神戸に着いたんですね。

両親らは地震の日の夜に、急きょ神戸へ向かう

母・フジ子さん)全然通らせてもくれんへしね。
ききて)どの辺りで進めなくなりましたか?
母・フジ子さん)トンネルの手前やね。
父・邦昭さん)あれはね…。明石を通って、神戸に入る…
母・フジ子さん)寸前くらいから
父・邦昭さん)ちょっと前ぐらいかな。
ききて)でそこで動かなくなったんですね。
母・フジ子さん)大渋滞。大渋滞やけども、「どちらへ行くんですか」と聞かれて、いや息子がこんなになって迎えに行きよるんです、いうたら、「そしたらこっちのルート通ってください」と、通してくれた。
父・邦昭さん)うちは被災者ということで、通してくれたんですけど。
母・フジ子さん)それでも、そこからでもものすごい時間かかったね。
ききて)灘区の現場近くに着いたのは?
母・フジ子さん)もう、もう暗くなる寸前だったね。
父・邦昭さん)18日の夕方4時くらいやった気がするなあ。
母・フジ子さん)助け出してくれた合気道部の人らは、「信ちゃんのところ、ひょっとしたら」いうんで、みんなが連絡したんだと思うんね。ほいで、集まって一つ一つ手作業で、倒れた梁とかぜんぶ除けた。
母・フジ子さん)「おばちゃんね、(出したとき、体は)ぬくかったよお」いうてね、いってくれてね。その子たちは(地震の日の)朝の6時台にはもう現場に来とったらしいです。助けにね。
父・邦昭さん)せやから1時間くらいちゃうかな、地震があってからね。

倒壊したアパート 友人たちが引っ張り出してくれていた

ききて)アパートはどんな状況だったですか?
母・フジ子さん)もうぺっちゃんこ。
父・邦昭さん)2階建てだったんちゃうんか。
母・フジ子さん)うん。でうちの子は「梁」いうんですかね。それが、胸に。ベッドの上で寝とったから、きれいなんですよ。なあんにも外傷なし。何ていうんですか、内臓出血かなんかそんな感じで。それで息が止まって。
父・邦昭さん)圧迫死。
母・フジ子さん)そやな、圧迫死いうんやな。
ききて)じゃあ現場を見たときは、アパートは1階が潰れていて、2階はまだ見えた?
母・フジ子さん)2階の人は助かっとった。そう、神戸大学の子がもうひとりおったと思うけど、その子はたぶん2階やから助かったと思います。
ききて)じゃあもう信二さんはみんなに引っ張り出された?
母・フジ子さん)17日の昼に出してくれたと思うんです。
ききて)17日の朝が地震でしたから、みんなが駆けつけて出すまで1日はかかった?
母・フジ子さん)そりゃもう半日はかかっとるでしょう。
父・邦昭さん)半日はかかっとる。
ききて)17日の昼に、信二さんは出してもらったんですね。

(写真6:入学式の朝、下宿前で母・フジ子さんと 1993年4月)

信二さんは、小学校の理科室に寝かされていた

母・フジ子さん)遺体を収容するところが決まっとったんですよ。小学校だった。小学校の理科室に寝かされとった。神戸大の子が2人、交代でずっとそばにおってくれた。
父・邦昭さん)(遺体は)50体くらい並んでたなあ。
ききて)何小学校ですか?
母・フジ子さん)山のほう、山手の方の小学校だった
父・邦昭さん)名前はちょっと記憶にないんですよ。
母・フジ子さん)学校訪ねて、で2か所目におった。
父・邦昭さん)いっぱい(遺体が)並んどってねえ…。もうびっくりしてものもいえんような状態になったからねえ。
(沈黙)
ききて)その、灘区下河原通りのアパートから、安置所まではどなたが運ばれたんですか?
母・フジ子さん)学生たちが連れて行ってくれたと思う。
母・フジ子さん)アパートの現場には行けなんだ。ぐちゃぐちゃだ。通れん通れん。
父・邦昭さん)現場はまた後から行った。
ききて)じゃあとりあえず小学校に
母・フジ子さん)理科室だったです。理科室に寝てた。だから、あの子たちが連れていってくれたんやね。
(沈黙)

僧侶のおじはお経をあげようとしたが 「ごめん。もうようあげん」

母・フジ子さん)いやもう、きれいな姿で普通に寝とるんですよ。
父・邦昭さん)顔や何かに傷がなかったもんだから、ここ(胸部を叩く)はもういかなんだ
母・フジ子さん)朝ね、合気道部の練習が6時半からだったと思うんですよ。もうちょっとで起きる時間だったんだろうと思うんだけど、布団の中では起きとったかもしれん。とにかく布団をかぶったと思うんですよ。それだけ、外(傷)がないということは。布団被ったまんま圧死ということで、亡くなったんやろ…。もう全然普通に穏やかな顔しとったです。
母・フジ子さん)でももう信じられんから、「はよ起きて。起きて」といってね、起こそうとしたりした。で、うちは主人の兄がお寺さんなんです。(本来なら)お勤めあげるけど、「ごめん。もうようあげん」いうてね、そないいいましたわ。(フジ子さん涙ぐむ)
…よう(お経を)あげられんいうてね。ちょっとだけ読んで…したけど。
母・フジ子さん)私は若いから、どっかへ逃げとると思うとったんですよ。そんな死ぬはずないと思うとった。でもそんな甘くはなかったね。(地震が)ものすごかったから。
(沈黙)

(写真7:父・邦昭さん)

もうどんな言葉でやっても戻ってこん

父・邦昭さん)知らせを受けたんは、高松刑務所で勤務しおった時だった。夕方の5時ごろだったかねえ。聞いて、ええええ、いうばっかりでね。
母・フジ子さん)私は午後7時に知ったんやで。
父・邦昭さん)いやその前に5時ごろに…。で、ほかの者(同僚)に、はよ迎えに行かないといかんといわれて。すぐ家に帰ってきて、それから神戸に行ったんです。信じられんですわね。えええ、いうばっかりでね。神戸で地震があったいうニュースは出とるんやけども、うちの子がそういう状態になっとるいうことは全然意識なんかないもんやからねえ。ただ、死んだという知らせを受けたもんじゃから、まあ行こうということで、さっきのような話になったんですけどもね。
ききて)理科室で対面された時は。
父・邦昭さん)まあ顔見ても、落ち着いた顔しとったという印象とね、すぐ起きてくるんじゃなかろうかという感じを受けたんじゃけどね。それも、もうわしは口には出さずにじいっと見よっただけやったんじゃけども。もうどんな言葉でやっても戻ってこんというのは理解できるでしょう。身内のしかも、息子が先死ぬというというのは、もう本当に、口には出せんですよ。うーん。こればっかりはねぇ。

「歳とったら面倒見てあげる」 優しい子でした

母・フジ子さん)特に、優しい子だったんですよ。ものすごく優しい。「お母さん見てあげるからねって、そないにいってくれてね。最期をね、見るからねいうて。
ききて)じゃあ、歳をとってもお母さんのめんどうみるからと?
母・フジ子さん)「歳とったら見てあげるから」って、そんなんまでいうてくれてね。大学行く前だったですよ。まだ高等学校ぐらいで、そんなんいうかなと思うたんやけどね。優しい。とにかく優しかったですよ。

(写真8:父・邦昭さんと母・フジ子さん 高松市の自宅で 2023年11月3日午後撮影)

続く

<2023年11月3日取材/2023年1月10日 アップロード>

(取材:奥田百合子、蔦旺太朗/川﨑成真、村上愛純、尾畑陽貴)

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