神戸大学の「学歌」の歴史は以外に浅く、作られたのは1992年(平成4年)の創立90周年のときでした。昭和の卒業生は「学歌」を知りません。ではそれまでに歌われていたのは? 明治時代に作られた愛唱歌「商神」でした。商神とはヘルメス(マーキュリー)のこと。そのルーツを紐解くと…。
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(写真:新制の神戸大学になってまもない頃の卒業アルバムから。現在はクリーム色の六甲台本館は、まだ戦時下の迷彩の跡が残ってどす黒い。 1954年「経済学部第2回卒業アルバム」)
神戸大学グリークラブ 創部120年記念「第74回定期演奏会」のパンフレット(編集:米谷和真<まいたに・かずま>部長=工学部電気電子工学科・4年=)によると、神戸高等商業学校の設置から4年後の1906年(明治39年)に、学生団体「語学部」の中に「音楽部」が成立。その年の6月8日の学友会新入生歓迎会で、「商神」が初演されたという記録があるといいます。
商神とはヘルメス(マーキュリー)のこと。マーキュリーのシンボルの羽や杖を、学章のモチーフにした大学は多く、旧制の高等商業学校を源流に持つ一橋大学や大阪市立大学の学章も「マーキュリー」の翼を取り入れました。(「マーキュリー(ヘルメス)の翼に乗って」広島大学高等教育研究開発センター https://rihe.hiroshima-u.ac.jp/center-data/school-badge/no-8/ )
神戸大学グリークラブ 創部120年記念「第74回定期演奏会」のパンフレットには次のように記されています。
学友会報によると、忠田兵造作詞、米田虎之助作曲、演奏は音楽部でした。作曲者 米田虎之助は、御影師範学校音楽教諭 米野鹿之助の誤植である可能性が高いです。昨年の関東OB会で伺った話によると、1955年の第一回旧三商大交歓演奏会で初めて「商神」の合唱版(男声四部)が編曲され、演奏されたそうです。商神男声四部版には天野版と村上版があり、現在では村上版を演奏しています。(混声四部版は1988年に斉田好男氏が編曲)。商神は1〜8番まであり、初代校長・水島銕也の下、神戸高商の国際的経済人の育成、世界的視野と語学力、実務能力を重視した教育思想が歌詞の随所に現れています。(参考文献:野邑理子神戸大学愛唱歌「商神」の由来-旧制神戸高等商業学校の教育)
以来、1929年に旧制の神戸商業大学に昇格、1944年に神戸経済大学へ名称変更され、1949年に新制大学として、姫路高等学校、神戸工業専門学校、兵庫師範学校、兵庫青年師範学校などとともに「神戸大学」として設置されて以降も、高商の流れを汲む社会科学系学部を中心に、課外活動団体などで愛唱歌として歌い継がれてきました。
神戸大学創立90周年を機に、1992年(平成4年)に「神戸大学学歌」が制作されるまでは、校歌の代わりに歌われることもあったのです。
「商神(しょうしん)」(明治39年発表)の歌詞は次のとおりです。
「商神」 作詞:忠田兵造/作曲:米田虎之助(米野鹿之助か?)
一、
商神(しょうしん)彩なす翅(つばさ)をあげて
靈杖(れいじょう) 遙に東を指せば
靈(く)しき果實(このみ)は雲間を漏(も)りて
秋津島根に落つぞと見えし、
所はこゝぞ菊水かをる、
湊河原(みなとがわら)の近きほとりに、
かく傅(つた)はりし天(あめ)のさとしも,
人はさとらで幾年か經(へ)ぬ
二、
神(かみ)の息吹(いぶき)のこもりて成りし
靈果(れいか)いかでか地(つち)に朽(く)つべき
豊榮(とよさか)昇る朝日のかげに
八洲(やしま)の外(そと)の潮風吹きて
いつしか催す氣運に乗じ
わが學校(まなびや)ぞ世に生れたる
眠る商界(しょうかい)夢さますべき
使命は天(てん)の授けし所
三、
此處 摩耶(まや)の山 六甲の峯
連り亘(わた)る山ふところに
數(かず)の若鷹(わかたか)はぐくまれ居て
静(しずか)にうかがふ雲の行(ゆき)かひ
朝(あした)妙(たえ)なる琴のひびきは
敏馬(みるめ)の濱(はま)に松を吹く風
夕(ゆうべ)やさしき舞の姿は
茅渟(ちぬ)の浦曲(うらわ)に白帆(しらほ)行く影
四、
希望に滿(み)てる春の潮(うしお)の
寄せてはかへす清き渚や
熱誠(ねっせい)もゆる夏の盛(さかり)を
いたはる風の葺合(ふきあい)の里
須磨や明石をかけて照るらん
月には物のあはれをぞ知る
冬は凛たる後(うしろ)の山風、
奔馬(ほんば)空行く 勢(いきおい)示す
五、
夫(そ)れ山水(さんすい)の秀靈(しゅうれい)の氣は、
偉人傑士(いじんけっし)を起(た)たしむとかや
天(てん)の使命を胸に收めて
清き自然に抱(いだ)かれながら
筋骨鍛へ智德(ちとく)を研(みが)く
切磋琢磨の四年の春秋
養ひ得たる鬱勃(うつぼつ)の意氣
抱負を語れや五百のをのこ
六、
金甌無缺(きんおうむけつ)の三千余年
かがやく光の劔(つるぎ)の譽(ほまれ)
心はおなじ大和男子(やまとおのこ)の
我等は牙籌(がちゅう)を執(と)つて起ちなむ
日出づる旗を高くかざして
日入らぬ國と手を携へて
目ざす平和の戦(いくさ)の場(にわ)に
匂ふ御國(みくに)の花ぞ咲かせむ
七、
雄飛の時ぞと塒(ねぐら)離れて
野に立出(たちいず)る蒼鷹幾羽(そうよういくは)
爪も研(みが)きぬ力も足りぬ
尋(ひろ)にも餘(あま)る 翅(つばさ)を張れば
枝の百鳥(ちょう) 皆 慴(おそ)れ伏す
扶搖(ふよう)萬里(ばんり)の風を起して
おのが向々(むきむき)東に西に
雲に突入(つきい)る勢ひ見よや
八、
あゝ芳(かぐ)はしき櫻の國の
咲くや此花(このはな) 難波津(なにわづ)近く
帆船(ほふね)黒船(くろふね)出入(でいり)しげき
神戸は我等の北溟(ほくめい)なるぞ
鵬翼圖南(ほうよくとなん)の時至る迄
いざや静(しずか)に學び修めて
祖國の榮(はえ)を我等祈らむ
我等の榮(はえ)を神に祈らむ
明治43年発行の「學校歌集」(蘭汀書院)の記載通りに
旧字体で文字を起こし、読み仮名をつけました。
◯ ◯
同書では、一番の歌詞が「かく傅はりし天(てん)のさとしも」と書かれていますが
本稿では、現在神戸大で歌われている「天(あめ)のさとしも」としました。
二番は「八洲の外(ほか)の潮風吹きて」と記されていますが、
本記事では現在伝わる「八洲の外(そと)の」としました。
また、七番は「扶搖(ふにょう)萬里」とふりがなが記載されていますが、
ここでは一般的な読み「扶搖(ふよう)萬里」としました。<編集部 2026年02月23日>
商神(しょうしん):ギリシア・ローマ神話に登場するヘルメス(マーキュリー)のこと。
翼のある帽子、翼のある靴、手には魔法の杖を持つ姿で描かれる。
菊水(きくすい):南北朝時代の武将・楠木正成の紋。湊川神社は正成を祀る神社。近くを湊川が流れる。
秋津島(あきつしま)、八洲(やしま):日本の古称。
摩耶(まや):六甲山系の摩耶山。
敏馬(みぬめ、みるめ):灘区の地名。敏馬神社がある。
茅渟(ちぬ)の浦:大阪湾の古称。
葺合(ふきあい):神戸市の中央区の町名。旧区名。
須磨、明石:兵庫県の地名。
鬱勃(うつぼつ):意気が高まる様子。
金甌無缺(きんおうむけつ):守りが堅く国土に欠けるところがないさま。完全無欠。
牙籌(がちゅう):そろばん。昔、中国で計算に用いた象牙製の棒。
蒼鷹(そうよう):羽の色が青みがかった灰色をした鷹。オオタカ。
扶搖(ふよう):つむじ風。
難波津(なにわづ):古代、大阪湾にあった港。
咲くや此花(このはな): 『古今和歌集』の仮名序、難波津の歌の一節。
北溟(ほくめい):はるか北方にある大海。
鵬翼圖南(ほうよくとなん):鵬(おおとり)が翼を広げて南方めざし飛び立とうとすること。大きな事業にのり出そうとすること。
(明治庚戌初春「學校歌集」 蘭汀書院=明治43年=から)
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/c/c3/NDL855084_学校歌集.pdf
了
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