「絵に励まされた」画塾後輩が遺族と初対面
2017年1月20日 記者=瀧本善斗
震災で犠牲になった上野志乃さん=当時(発達・2年)=の父、政志さんは、志乃さんが亡くなった神戸市灘区琵琶町の下宿跡で地震発生時刻を迎えた。今年は志乃さんと同じ高校・画塾に通った後輩も初めて訪れ、遺影の前で手を合わせた。
【写真】上野志乃さんが亡くなった下宿跡で線香を供える本下瑞穂さん(左)と志乃さんの父政志さん(17日 撮影=瀧本善斗)
政志さんは昨年同様、脚立に板を架けて遺影や木地蔵を立て掛けた。志乃さんが好きだった花、デンファレも供えてある。
跡地には住宅が立ち並ぶ。「地震発生が早朝でなかったら、こんなことはできないかもしれない」と、周りを気にしながら黙祷した。
今年は思わぬ来客もあった。志乃さんの高校の5年後輩で、グラフィックデザイナーの本下(ほんげ)瑞穂さんだ。志乃さんが発達科学部を美術受験するため通った画塾も、本下さんと同じだったという。昨年のニュースネット委員会の震災特集を見て、同委員会を通して連絡し、宝塚市から駆け付けた。
本下さんは画塾時代、なかなか絵が上達しなかった。先生から「昔こんな作品を作った生徒がいる」と見せられたのが志乃さんの木炭画。ワイン樽が部屋の隅に置かれた様子を描いていた。
「大きなモチーフ(題材)のパース(遠近法)をバランスよくとるのは難しいが、うまく仕上げられていた」と感動。志乃さんの絵に憧れながら、絵の勉強を積み芸大に合格できた。
しかし合格を報告しに画塾を訪ねると、志乃さんが震災ですでに亡くなっていたことを聞き、ショックを受けた。「才能ある人がなぜ」。デザイナーになってからも、絵に苦労するたび志乃さんの木炭画を思い出して、つらさを乗り越えてきたという。
政志さんは志乃さんが生前制作した、マンドリン部コンサートのパンフレットの表紙を本下さんに見せた。デンファレの花を描いたもので、位置や数を何度も試行錯誤したという。「センスを感じる。良い仕事をされていたんですね」と本下さんは涙を流した。
政志さんは「22年たってこんな出会いがあるとは思わなかった。とても充実感がある」とほほえんでいた。
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