一九九一年一月に中国雲南省の梅里雪山で遭難した日中合同登山隊の日本人隊員で、神戸大大学院生の船原尚武さん(当時三〇)の日記などが九月十三日に上海市で、岡山県大原町に住む父親の船原尚さん(七〇)ら両親の手に引き渡されたと、共同通信が伝えた。【9月14日 UNN】
梅里雪山では、氷河の移動に伴い、遭難した隊員十七人の遺体がここ数年相次いで発見されている。十三日も新たに四遺体が発見されたとの連絡が入ったが、そのうち三体は部分遺体のため身元確認が難しく、船原さんの遺体はまだ確認されていない。
日記などは今年七月に現地の住民が梅里雪山のふもとの氷河で見つけ、上海市在住の中国人カメラマン、劉瑾さん(二七)が預かっていたもの。日記二冊のほか、神戸大と書かれた布袋やカメラ、ハーケンなどがある。
同通信は、劉さんが「ご両親にぜひ渡したいと思っていた」と日記を手渡すと、尚さんは「この字は間違いなく息子のもの。息子が自分の手で書いた日記を手にできて感無量です」と謝意を述べたと報じている。 尚さんによると、九〇年十一月に神戸港で別れたのが尚武さんと会った最後だという。同通信は、尚さんが「事故までの足跡が克明に書かれている日記は、梅里雪山に登ろうという人すべての財産。整理して今後に役立ててほしい」と語ったと伝えている。
コメント
この記事へのトラックバックはありません。
この記事へのコメントはありません。