花を手向け鎮魂の祈り 震災の日から6年

新たな世紀を迎えても、この日の風景だけは変わらない……。今年も六甲台の慰霊碑前には、犠牲者の遺族や学生ら多くの人が訪れ鎮魂の祈りをささげた。正午には教職員らによる献花式が行われ、西塚学長らが一人ずつ花を手向けた。(震災取材班)【1月17日 神戸大学NEWS NET=UNN】?

「1年は1月17日から始まる」

 「毎年十二月頃になると、胸が締めつけられる思いがするんです」と競恵美子さんは打ち明ける。犠牲になった基弘さんの元には、名古屋から両親と妹が訪れた。「明けましておめでとう、ってどうしても言えないんです。今年もよろしくね、だけとしか」。遺族にしかわからない気持ちだ。
 「今年で七回忌だから、来年からは来る人も減ってしまうかな」と妹の朗子さんは寂しそうに話す。

 犠牲者とその遺族にとって、五年や世紀の変わり目は何の区切りも意味しない。神戸大の慰霊碑前には、前年にも増して多くの人が訪れていた。いつしか顔なじみになった教職員、学生、マスコミ記者らが入りまじり、再会をなつかしんでいた。

 「世間は新世紀だ、お正月だと賑わっているけど、私の一年は常に一月十七日から始まるんです」息子の純さんを亡くした、工藤延子さんの正直な気持ちだ。
 工藤さんは、神戸大の近況や慰霊イベントの情報などを記した「17th」を、純さんが使っていたワープロで定期的に発行している。他の遺族と会えることも、慰霊碑を毎年訪れる理由の一つだ。この日も次々に訪れる遺族に、積極的に声をかけていた。同じつらさを経験した人同士しか、交わせない会話がある。
 「職場で『神戸に行く』と言うと、『何しに』と言われショックだった」とため息をつくのは、藤原信宏さんを亡くした父親の宏美さん。下宿跡にも立ち寄ったが、現在は駐車場になっており花を置くのも気が引けてしまうという。「大学にこういう場所があるのは嬉しい。来年も来ようと思っています」。慰霊碑の役割は、震災の傷跡が小さくなればなるほど重要になっていく。

献花式も21世紀へ

Photo 正午には学長、副学長、学部長ら約五十人の教職員が集まり、一分間の黙とうの後、一人ずつ白菊の花を捧げた。震災直後の就任以来献花を続けてきた西塚泰美学長も、今年の二月で退官する。「学長が代わられても、二十一世紀になっても、献花式は続けられますか」との質問に、学長は「うんそうだね」とうなずいた。

《編注》
・工藤純さんが「一人息子」とあるのは誤りでした。お詫びして訂正します。《2001年1月26日 入力》
・藤原信宏さん、宏美さんの姓が抜けていました。お詫びいたします。《2001年2月17日 入力》

【写真下】今年で退任する西塚学長が、最後に神戸大を代表して献花。(1月17日午後0時ごろ 撮影=山本賢也)

 

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