「北アルプス大日岳遭難事故の真実と責任を究明する兵庫の集い」が21日、兵庫県尼崎市労働福祉会館2階大ホールで行われ、約230人が集まった。大日岳遭難事故報告会が関西で行われるのは初。【6月21日 神戸大学NEWS NET=UNN】
2000年3月5日、北アルプス大日岳山頂上付近2501メートルで、溝上国秀さん(当時神戸大2年)と内藤三恭司さん(当時都立大2年)が、文部科学省(旧文部省)主催の登山研修中に雪庇(せっぴ、※注)の崩落で遭難、死亡した。この事故について文科省は翌年2月にまとめた事故報告書の中で、「40メートルにおよぶ雪庇は前例がなく、事故の予見は不可能」との調査結果を載せた。事故報告書の中で事故原因にほとんど触れていないにもかかわらず、国に責任一切なしとした文部科学省の最終判断を不服として02年3月、溝上さんと内藤さんの遺族が国に対して損害賠償を求め、富山地裁に提訴した。
今回、尼崎市労働福祉会館で行われた事故報告会は、10分の休憩をはさんだ2部構成で行われた。第1部では、大日岳国賠訴訟の主任代理人を務める中島嘉久弁護士が、「一流の登山家が先導しても事故にあったのだから、事故は不可避と考えるのはおかしい。勘や経験で冬山を登っていたのでは、いつまでたっても教訓は活かされず、事故はなくならない」と集まった聴衆に訴えた。また、神戸大ワンダーフォーゲル部のOBが、遺族が思いを綴った「遺族の思い」を朗読すると、聴衆の中には、目にハンカチをあてる姿も見られた。
第2部では、アルパインガイドの重野太肚二さんが、専門家の立場から事故報告書の問題点を指摘。「雪庇は大きくなるほど、崩落の予測は容易になる。講師は何も考えずに登っていたとしか思えない」と話した。事故報告書の内容と、法廷での国の主張が大きく異なるなど、国側の対応の不備も指摘。「引率講師には高度な注意義務が必要。雪庇上で休憩を取ることを指示した引率講師や、雪庇の事前調査を行っていなかった国の常識を疑う」と文科省のずさんな研修会の実態を批判した。
続いて、遺族らが大ホールの壇上に立ち、国賠訴訟に至った経緯と、事故当時の心境などを語った。最後に、司会を務める浜嶋隆昌さんが、集まった聴衆を前に「大日岳遭難訴訟署名運動」への参加を呼びかけた。溝上国秀さんの母、洋子さんは「ここ(関西での報告会)まで来るのは、しんどかった。これを期に、関西でもこの事故に興味をもってくれる人が増えてほしい」と話した。
現在、溝上さんたちは、大日岳遭難訴訟に関するHP(http://www.eonet.ne.jp/~kuni/)で、署名を呼びかけている。
※注)雪庇は、山の尾根上に乗った雪が、風によって一方向に張り出した「ひさし」のようになったものを言う。
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