【震災特集5】震災に触れる経験 語り合える「場」

 緊急連載「大学から震災の灯は消えたか」第5回。震災時、被災地のボランティアとして活動に参加した、神野順子さん・希美さん母子。ボランティア活動を続けることで、震災を語るきっかけとなる「場」を守っている順子さん。一方の希美さんも、身内を亡くした友人とのふとした出来事から、「場」の大切さに気がついて――。体験を自然に話せる「場」の意味を考える。【6月28日 UNN】

 神戸大農学部4年生の神野希美さん(22)は中学1年の時、神戸市北区で被災した。幸い、自宅周辺の被害は、皿が棚から落ちるなど軽微なものですんだ。
 母・順子さん(47)に連れられて、震災直後の三宮に向かった。順子さんを手伝って、希美さんも、妹たち2人とボランティア活動に参加した。小さな体で、炊き出しやごみ拾いに奮闘した。被災直後の三宮は、別の町に変わっていた。「音のない世界」。ビルの窓が割れ、ブラインドが風に揺れている。無気味だった。

 現在、順子さんはNPO「阪神淡路大震災1・17希望の灯り(HANDS)」のスタッフとして働いている。高齢者や障害者を対象とした移送サービスなどの仕事が中心。夜中の2時まで働くことがあるほど多忙な仕事だ。
 順子さんは「『震災とはこういうものだ』と諭すことが語り継ぎだとは思わない。震災のことを語る『場』を残していくが大事」と話す。

 「希望の灯り」に毎月、灯りの掃除にくる老夫婦がいる。修学旅行などで通りがかった生徒が、「希望の灯り」に興味を示していると、この老夫婦が学生たちに笑顔で話しかけるのだそうだ。
 「それはね。8年前の震災で・・・」。自然な形で、震災が伝えられていく。「希望の灯り」が震災を語り継ぐ「場」になっている。

 大学入学後の希美さんは、ワンダーフォーゲル部に入り、山にのぼる日々。農学部で研究を続けるかたわら、バイトで塾講師をする普通の女子大生だ。普段の生活で、震災を考える機会はほとんどない。
 友人の男子学生Aさんは、中学からの友人。3年前の1月17日、彼に誘われて「希望の灯り」を訪れた。
 6000人にのぼる犠牲者の名を刻んだ「めい想の空間」で、その友人が、プレートに刻まれた祖父が震災で亡くなった事を打ち明けた。祖父の名前を見つめて、淡々とした口調で、「あの日」のことを話しはじめた。震災直後の家のこと、窓ガラスが割れて怖かったこと、そして亡くなった祖父の悲しみ。
 「その時、このモニュメントが彼にとって、とっても大切なものなんだって思った」と希美さんはいう。

 順子さんと希美さん。今では、親子で震災について話す機会はほとんどない。
 でも、それぞれに心の中で「あの日のこと」を大事に想っている。

 震災という事実に触れた経験があるか。そして、ときに、自然に語り合える「場」があるか。
 語り継ぐと言うことは、そういうことかもしれない。


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