【震災特集6】「忘れないために」 大学に残る震災の場<上>

 緊急連載「大学から震災の灯は消えたか」第6回。震災では被災地の大学が大きな被害を受けた。震災を語り継ぐ「場」はどのような形で残っているのか。今回は、学内の犠牲者の数が多かった神戸大、甲南大、関学のキャンパスを歩いてみた。【7月5日 UNN】

 神戸市東灘区にある甲南大学。正門をくぐると、校舎の前に建つ石碑が見えてく る。
 「常ニ備ヘヨ」。
 石碑には、甲南学園創立者の故・平生釟三郎の筆による文字が刻まれている。過去2回、学園を見舞った大災害のたびに噛み締められた言葉だ。一つは1938年の阪神大水害。もう一つは、16人の学生を亡くした95年の「1・17」。

 阪神淡路大震災に襲われた甲南大は、校舎5棟が全壊するなど大きな被害を受けた。壁がはがれ落ち、グラウンドには亀裂が走った。住宅地に囲まれた大学は、地域の力にも助けられながら、復興作業を開始。現在の校舎を建て直すまでに、2年の月日を費やした。
 平生の言葉を刻んだ記念碑ができたのは、その直後の97年4月。学内で最も人が行き交う場所を選んで建てられた。2001年の4月には、記念碑の向かいの植え込みに犠牲者の名前を記した慰霊碑も造られている。
 「(学生の中でも)記念碑があるのは、結構有名ですよ。目に付く場所にあるし」。近くの木陰で友人と談笑していた男子学生(法・3年)は、大阪出身という。記念碑を見ることで、「当時の体験とかテレビの映像を思い出すこともありますね」と話す。

 一方で、広報部長の土山さんは「(学生は)慰霊碑があるのは知っているでしょうが、震災のことを意識する人は少ないですね」と見る。再建された現在の真新しい校舎に「震災があったなんて信じられない」と、ある男子学生。校舎前の記念碑が、震災が起こった5時46分を指す時計を模したものだと、どれほどの人が知っているだろうか。
 「それでも」と土屋部長は言う。「(当時を)思い出すことはなくても、復興したという事実を忘れないための場所であればいい。どういうことがあったのかという事は、話していくべきだ」。
 「現在」につながる「過去」を語り継ぐこと。震災で再度学んだ「常ニ備ヘヨ」の精神はここにある。

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 兵庫県西宮市上ヶ原。その美しさに定評のある関学上ヶ原キャンパスにも、震災の記憶を残すための場所がある。
 大学のシンボル、時計台の正面に広がる中央芝生広場の北側。こじんまりとした神学部校舎の裏手に、23本の若木が並ぶ。今年1月に、被災地の緑化活動などを進める「阪神・淡路震災復興支援10年委員会」が、大学の犠牲者と同じ数だけ植えたハクモクレンだ。関学は15人の学生と、8人の教職員を失った。

 通りかかった学生数人に、ハクモクレンについて尋ねてみた。いずれも、「知りません」、「分かりません」との返事。学生の認知度は高くないようだ。
 ハクモクレン自体も、キャンパスの風景のなかに溶け込んでいる。すぐ西側に植樹を記念したプレートが建てられているものの、学内には標識や案内板もなく、その存在を知る人が少ないのも自然なことかもしれない。
 しかし、震災による死から生まれた生命に、寄せる想いが少ないわけではない。ハクモクレン植樹の日も、式典が行われた礼拝堂には超満員の人が押しかけた。「目に見える形で残せるのはいい。健やかに育ってほしい」と平松学長。
 無言の命で震災を語り続けるハクモクレンは、春には白い花をつけた。いま必要なのは、その存在を広めていくことかもしれない。

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 「友よ 神戸大学を そして世界を見続けてほしい」。
 港町・神戸の市街地が眼下に広がる六甲山の中腹、神戸大六甲台キャンパス(神戸市灘区)に、この言葉が刻まれた銘板と慰霊碑がある。震災後に建てられた三宮の高層ビル郡まで見渡せる高台の広場に、震災の翌年の96年3月に建てられた。
 碑は、当時の工学部非常勤講師で、京都精華大学の小林陸一郎教授が制作。「神殿」の意味を持つメキシコのピラミッドをイメージした高さ1・4メートルの赤御影石の台座に、金箔を施した「鎮魂」、「慈」の文字が掲げられている。碑の横にある銘板には、犠牲者全員の名前と碑文が刻んである。

 激震地に位置していた神戸大では、震災で39人の学生と、教職員や生協職員をあわせて44人が犠牲になった。海側の市街地や下宿街も大部分が倒壊していた。
 広報課長の長塚友宏さんは、当時の経営学部人事課に勤務。震災から3日後に六甲台にキャンパスを訪れた。「今の慰霊碑が建っているところから街を見下ろすと、まっくらな闇のあちこちから火の手があがっていて不気味だった」と振り返る。
 その慰霊碑から望む夜景も、街の復興後はきらびやかなネオンの灯りに変わった。神戸の夜景を見渡せる慰霊碑のスペースは、今では多くの学生の憩いの場だ。しかし、学内で慰霊碑の存在を尋ねてみると、「(碑が)どこにあるか全然知らない」と3年の男子学生。学生すべてに知られている場とは言えない。

 それでも、「震災が風化しているというが、私はそうは思わない」と話すのは、六甲台学務課長の城谷忠澄さんだ。当時、人事課で働いていた。「1月17日には、神戸大の学生が、慰霊碑を囲んで夜通し話している」。
 また、遺族にとってもその想いは同じ。毎年、1月17日には、朝日が昇る前から訪れた遺族が、慰霊碑にいろとりどりの花を手向けていく。また、普段から訪れる遺族も多く、遺族間の交流の場にもなっている。「ここが心のよりどころ。ここにくればみんなに会える」とある遺族。慰霊碑の存在が、つないでいく想いがある。

※連載のバックナンバーはウェブ版特設コーナー(http://www.unn-news.com/sinsai/2003rensai/)でご覧頂けます。

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